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世界で一番まともな元大統領。
こんな総理が日本にも出るようになるのは何時の事でしょう。
あまりの違いに涙が出ます。朝日新聞から
質素な暮らしぶりから、「世界で一番貧しい大統領」として注目を集めた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、近く出版社などの招きで初来日する。「清
貧の思想」を地でいく農園暮らしの根っこには、いったい何があるのか。いまも上院議員として、国民から熱い支持を受ける政治家の自宅を訪ね、その原点を聞
いた。◇
首都モンテビデオから車で30分。畑のわきの小さな平屋で、ムヒカ氏は上院議員の妻と2人で暮らす。愛車は1987年製の昔懐かしいフォルクスワーゲン。自ら家事をし、畑も耕す。秋を感じる南半球の3月。トレパン姿で出てきたムヒカ氏が、庭のベンチに腰を下ろした。
■大統領公邸に住まなかった理由
――とても静かですね。
「いいところだろう。この国は自然豊かで、とても美しい。特にこんな小さな村は年寄りが暮らすには、もってこいなんだ」
――大統領公邸には結局、引っ越さなかったそうですね。
「当たり前だよ。私はもともと農民の心を持って生まれた。自然が大好きなんだ。4階建ての豪邸で30人からの使用人に囲まれて暮らすなんて、まっぴらだ」
――アラブの富豪が、あなたの愛車に100万ドル払うと購入を申し出た噂(うわさ)を聞きました。
「本当の話だ。息子が珍しい車を集めていると言っていたな。もちろん断ったさ。あの車は友人たちからもらった大事な贈り物だ。贈り物は売り物じゃないんだよ」
――「世界で一番貧しい」という称号をどう思いますか。
「みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」
「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていく
には働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなっ
てしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」――幸せだと感じるのは、どんなときですか。
「自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているときさ。いまは冬に向けて、ビニールハウスにトマトの植え替え作業をしているときかな。それに幸せとは、隣の人のことをよく知り、地元の人々とよく話し合うこと。会話に時間をかけることだとも思う」
――大都会の生活では難しいですね。
「人間が犯した間違いの一つが、巨大都市をつくりあげてしまったことだ。人間的な暮らしには、まったく向いていない。人が生きるうえでは、都市は小さいほうがいいんだよ。そもそも通勤に毎日3時間も4時間も無駄に使うなんて、馬鹿げている」
――でも、東京で私たちはそうやって暮らしているのです。
「効率や成長一辺倒の西洋文明とは違った別の文化、別の暮らしが日本にはあったはずだろう。それを突然、全部忘れてしまったような印象が私にはある」
――2012年にブラジルの国連会議(リオ+20)でした演説は、日本で絵本になりました。
「このまま大量消費と資源の浪費を続け、自然を攻撃していては地球がもたない、生き方から変えていこう、と言いたかったんだ。簡素な生き方は、日本人に
も響くんだと思う。子どものころ、近所に日本からの農業移民がたくさんいてね。みんな勤勉で、わずかな持ち物でも満ち足りて暮らしていた。いまの日本人も
同じかどうかは知らないが」◇
60~70年代、ムヒカ氏は都市ゲリラ「トゥパマロス」のメンバーとなり、武装闘争に携わった。投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったこともある。
■獄中に14年、うち10年は独房に
――軍事政権下、長く投獄されていたそうですね。
「平等な社会を夢見て、私はゲリラになった。でも捕まって、14年近く収監されたんだ。うち10年ほどは軍の独房だった。長く本も読ませてもらえなかった。厳しく、つらい歳月だったよ」
「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」
――刑務所が原点ですか。
「そうだ。人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」
――独房で何が見えました?
「生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」
「もう一つ、ファナチシズム(熱狂)は危ないということだ。左であれ右であれ宗教であれ、狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。憎しみのうえに、善きものは決して築けない。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」
ログイン前の続き ◇
民政復帰とともに85年に釈放されたムヒカ氏は、ゲリラ仲間と政治団体を創設。89年にいまの与党、左派連合「拡大戦線」に加わった。下院、上院議員をへて昨年まで5年間、大統領を務めた。
■「お前は王子様かというような政治家が」
――有権者はあなたに何を期待したのでしょう。
「自分たちの代表を大統領に、と思ったのだろう。特に貧しい層やつつましい中間層がそうだ。特権層には好かれなかったが」
「貴族社会や封建社会に抗議し、生まれによる違いをなくした制度が民主主義だった。その原点は、私たち人間は基本的に平等だ、という理念だったはずだ。
ところが、いまの世界を見回してごらん。まるで王様のように振る舞う大統領や、お前は王子様かという政治家がたくさんいる。王宮の時代に逆戻りしたかのよ
うだ」「私たち政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなんだ。一部特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう」
「それに最近の政治家は退屈な人間が多くて、いつも経済のことばかり話している。これでは信頼を失うはずだ。人生には、もっとほかに大切なことがいろいろあるんだから。たとえば、街角で1人の女性に恋してしまうことに経済が何の関係がある?」
――実際、既成政治への不信から米国ではトランプ旋風が起きています。代議制民主主義が機能していないとも言われます。
「いまは文明の移行期なんだ。昔の仕組みはうまく回らず、来たるべきものはまだ熟していない。だから不満が生まれる。ただ、批判ができるのもそこに自由があるからだろう。民主主義は欠陥だらけだが、これまで人が考えたなかではいい仕組みだよ」
「それに時がたてば、きっと新しい仕組みが生まれると思う。デジタル技術が新しい政治参加への扉を開くかもしれないし」
「ドイツやスイスでも政治に不満を持つ多くの若者に出会った。市場主義に流される人生は嫌だという、たっぷり教育を受けた世代だった。米国でも、大学に
はトランプ氏とは正反対の開放的で寛容な多くの学生がいる。いま希望を感じるのは彼らだね。貧乏人の意地ではなく、知性で世界を変えていこうという若者た
ちだ」◇
かつてウルグアイは「南米のスイス」と呼ばれ、福祉国家を目指して中間層も比較的厚かった。民政移管後は格差が拡大。01年のアルゼンチン経済危機の余波も受けて不満が高まり、ムヒカ氏らの左派政権誕生につながったとされる。ムヒカ氏の退任前の支持率は65%に達した。
■国家に何でも指図されてはいけない
――かつて収監されていた刑務所が、きれいなショッピングモールになっていますね。
「私も行ってみたんだが、まったく驚いたよ。まさにグローバル化の象徴だ。でも、人って馬鹿だよね。簡単に宣伝に支配されて。奥さん、このクリームをつけたらシワが消えますよだなんて、うそっぱちに決まっているのに。そんなものに大枚を払うんだから」
――格差が広がったのは?
「次々と規制を撤廃した新自由主義経済のせいだ。市場経済は放っておくと富をますます集中させる。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介
入する。公正な社会を目指す。それが政治の役割というものだ。国家には社会の強者から富を受け取り、弱者に再分配する義務がある」「れんがみたいに、みんな同じがいいと言っているわけではないよ。懸命に働いて努力した人が、ほうびを手にするのは当然だ。ただ、いまはどうかね。働い
てもいないような1人のために、大勢が汗水たらしている世の中じゃないか。これは気に入らない。富の集積にも限度がある」「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これは、まずい」
「いま中南米が抱えている最大の戦略的リスクは、いい関係を保つべき欧州諸国がテロなど自らの問題で手いっぱいになる一方で、中国が日に日に存在感を増していることだ。一国に深入りしすぎると我々が危うい。もっと関係を広げていきたいんだ」
――ご自身を政治的にどう定義しますか。
「できる限り平等な社会を求めてきたから左派だろう。ただ、心の底ではアナキスト(無政府主義者)でもある。実は私は、国家をあまり信用していないんだ」
――えっ、大統領だったのに?
「もちろん国家は必要だよ。だけど、危ない。あらゆるところに官僚が手を突っ込んでくるから。彼らは失うものが何もない。リスクも冒さない。なのに、い
つも決定権を握っている。だから国民は、国家というパパに何でも指図されていてはいけない。自治の力を身につけていかないと」――主張の異なる多くの勢力を与党にまとめるのは大変でしょう。
「急進左派から社会主義者、中道左派まで大小30ほどの派閥を抱えている。意見が対立し、少数派に理があることもある。でも十分に話し合った末に多数決
で出した結論には、みんな従うんだ。それが民主主義の流儀というものだろう。我々にはすでに45年の歴史の積み上げがある。選挙対策の野合なんかじゃない
よ」 -
畑が始まりました。
家の畑にセイショウ農法の肥料を入れて起こしました。
まだ一部の場所は凍ってました。
家の畑は全面的にセイショウ農法に切り替えです。
体はきついのですが、家の自給の畑は死ぬまで自分たちで作らなければなりません。
自分たちだけならそれほどたくさん作る必要もないので、それほど大変ではないでしょう。 -
ふりだし塾は終わったのか、終わってないのか。
終わってます。
げたは基本農業から撤退です。
今回の手伝い募集は、大鹿ナチュラルファームの実習生です。
移行が急激なので、一時的に手伝いの募集にしています。
大きく変わるのはげたでなく若い順平が作業を教えます。
古くてがんこなげたは運営にはほとんど関わりません。
げたと同じに作業をしたりするのはふりだし塾の(居候)のみです。
居候は古くて頑固なげたに付き合わなければなりません。
作業もゲストハウスの建築と、ゲストハウスの畑と田んぼの作業になります。
もちろんナチュラルファームが忙しいときは手伝いに行きます。
したがって、居候は昔風です。
希望者がいるとは思っていません。
もう古いげたにはついてこれる若い人はそんなにいないでしょう。
居候が唯一ふりだし塾の続きになります。
居候は馬とかヤギの世話もしなければなりません。
居候は自給自足の部分を主にやります。
農業も自給の部分が主になります。 -
ふりだし塾の手伝い再募集。
法人化の計画がまとまりました。
結局組合でなく株式会社にすることになりました。
ふりだし塾と娘夫婦で運営していきます。
げたは相談役です。
げたは現場はやりません。
ということで、今までとそれほど大きく変わるわけでなくなりました。
新しく会社で実習生を募集するまでの間は、昔と同じふりだし塾の手伝い募集になります。
仕事としては、よりプロの農家に近くなります。
自給は後退はしませんが、変化はしていきます。 -
法人化で変わっていくふりだし塾。
すべてが変わっていってます。
げたは基本農業から引退です。
と言っても、仕事が忙しいときとか、自給用の畑などはやります。
新しい農法の試験栽培もあります。
今年の畑の話し合いなんかも参加しません。
そうかといって暇ではありません。
馬小屋の仕上げをまかしてる、バーターとして山の開拓をしています、
毎日材木を移動して、根っこを掘り、地面を平らにしたりしてます。
山でのバックフォーの仕事は危険なので、毎日気疲れと体力的な疲れで時々息抜きをしながらやってます。
4月からは本格的にゲストハウスの仕事が始まります。
とりあえず、小屋と(また小屋です)風呂を作らなければ営業を始めることができません。
営業開始は半年ぐらい後になる可能性が大です。
今年はまだ一人も実習生の申し込みはありません。
一人問い合わせてきた大学生も、その後音沙汰なしです。
確実に時代は変わっていってるのでしょう。
変化は好きなので楽しくはあります。
死ぬまで新しいことに挑戦し続けたいと思ってます。
毎年同じことをするのは我慢ができません。 -
農業法人大鹿ナチュラルファームでは実習生を募集します。
結局しばらくはふりだし塾と同じようになります。
違うのはげたが農業の現場にほとんど行かなくなるだけと、仕事の場所が、ほかのメンバーの農場になる日もあるということです。
ふりだし塾の農場はほぼ全部がそのまま法人に移行します。
まだ法人を正式にはスタートしていません。
しばらくはふりだし塾のままと考えてください。 -
大鹿ふりだし塾の終了。
突然決まったので、1日たった今になってようやく実感がわいてきています。
新しい法人に農業の大部分が移行する機会に、げたは農業から撤退します。
この機会を逃したら、また何年もずるずるとふりだし塾をやらなければなりません。
結構大変なんですよ。
最近は若い人たちに付いていくのが困難になってきていました。
げたが古すぎるんだと思います。
いまだに頑強に携帯の所持もしていません。
思えば、3-4人いた手伝いが全員携帯を見ている状況が起こったあたりから限界は感じていました。
げたは小豆島という超田舎で生まれ育っていますので、同世代の人たちより一世代古い感じなのです。
これで引退ではありません。
新しくゲストハウスを立ち上げます。
今のままではいつゲストハウスがスタートできるか分からなかったのです。
農業はもうきつい仕事はできません。
体はボロボロです。
建築もできる仕事が少なくなってきました。
それでも体がボロボロになるまで働いたのは誇りだと思っています。
新しいゲストハウスの仕事が楽しみです。
本当にみなさん長らくありがとうございました。 -
ふりだし塾は変わります。
十数年やってきましたふりだし塾ですが、3月17日現在申し込みがいつ来るかわからない、それも短期の学生さんひとりです。
今年の農業の規模の決定をしなければならないので、現在の状態でのふりだし塾は終了するしかないようです。
もともと好きで始めたわけではありませんので、来なくなれば、使命は終えたのかと安堵してます。
これ以降は希望があれば1-2名の居候は受け入れます。
居候と手伝いの違いは、居候はもっと気楽なものです。
その分、こちらに合わない人はすぐに出てもらいます。
手伝いの場合は、こちらが気に入らなくても、今まではやってきてました。
名前はどうなるかわかりませんが、別の形での再開もあるかもしれませんが、
現在地でのふりだし塾は終わりです。
長らくありがとうございました。 -
神谷農法(好熱菌農法)の吉良商店さんを訪ねました。2回目です。
まず、吉良商店の入り口に門というより入り口なんですが、その横、両横共ですが、タヌキの石の置物がむかえてくれます。
これは限りなく怪しいですよね。
前回も今回も[怪しいね」なんて言いながらの訪問です。
神谷さんは天才なんでしょう。
臨死体験者でもあるらしいです。
何しろ実績がありすぎるほどあります。
全国のゴルフ場の芝の肥料も結構大きなシェアーを持ってるみたいです。
話も国際的だし、ヒートテックの開発者だし、ブリの養殖の初めの技術を編み出した人だし、カーボンの応用でいろんな発明をしてるそうだし。
年商何十億だし。
その割には従業員は家族4人とほかに数人みたいだし。
さすがに本と実際はかなり違います。
それでも、我々は追加の資材を買って帰ってきました。
怪しいし、人によっていうことは違うし、見学に行ったキュウリ農家は農薬も除草剤も使てるし、でもそれでもすごくいいキュウリを作ってるのは事実です。
何十たくさんの人が見学に訪れるのに、しっかり対応して立派な農家さんです。
今回伺ったのは、一番近くの鈴木さんのグラスハウスでした。
りっぱなキュウリを作っていました。
1反5千本のきゅうりを植えるのではなく、千本植えて、1本から5本の側枝を出すということみたいです。
このように本と実際は違うみたいです。
神谷さんは天才ですので,常人的でない表現もたくさんあるのでしょう。
結局2回行ってもよくわからないところも多いのです。
簡単だとは言ってますが、簡単ではなさそうです。
あたりまえですが、言葉で言うと、その菌を畑に定着させればいいだけのことですが、一度でも微生物資材を使った人は理解できるでしょうが、微生物を畑に定着させるのは簡単ではありません。
ケースバイケースなんです。
げたは30年近くEM菌を使った農法をやってるのでいろいろ理解しやすいのですが、この知識が返って新しいことを始めるのに邪魔をすることもあるのでそこは十分に注意してます。
それでは怪しいのになぜこの農法をやる決心は変わらないのかと言えば、神谷さんと吉良商店さんの感じがいいのです。
この感じがいいのは大事なことです。
それに、この農法がうまくいけば革命的な農法なんです。
そう簡単にはあきらめることはできないのです。
日本の農法が変わっていく可能性を秘めた農法なのです。
農薬を使う人も使わない人もどちらの人でもできる。
幅の広い農法なのです。
アバウトなところも好感度はアップです。
好きです神谷農法。
結局畑5反田んぼ5反と半分ぐらいの農地を一気に神谷農法に切り替えます。
本当は全部切り替えたいぐらいの気持ちはあるのですが、いろいろ事情もあり、半分は昨年までのやり方です。
最低3-5年はこの農法のやり方を試行錯誤でしょう。
技術を磨いて、よりたくさんの人にそのやり方を公開していくつもりです。
この場に至って四の五とケチなことを言ってる場合ではないのです。
技術は公開するべきなのです。
日本の農業を変えていかないと、日本の農業は壊滅します。 -
オークは楢のことだそうです。
ほとんどの人はオークは樫だと思っています。
これは最初に翻訳した人が間違ったそうです。
なんと恐ろしいことに、間違いだとわかってからかなり経っても、まだ辞書には樫と載ってるみたいです。
学者は間違いをなかなか認めないのか、怠惰なのかどちらかなのでしょう。
これ大きな間違いですよ。
結構オークの樽とか、オークの家具はどうとか言ってるのに、肝心の木が違ってたら話になりません。
樫は固すぎて家具にもできないし、樽にも向いてないみたいです。
楢がオークです。
頭の記憶を入れ替えてください。
(森の博物館」より。
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