• 2019年4月9日

    昨日と今日、トラックで愛知県まで往復です。

    セイショウ農法の資材を取り入ったのですが、2トントラックをレンタルして、片道4時間です。
    昨日は、帰りの半分を,名古屋の中神さんが手伝って運転してくれました。
    着いてからの荷物の下しも手伝ってくれて、助かりました。
    今日もこうちゃんも手伝ってくれ、たけるも二日とも手伝ってくれ、本当に助かりました。
    こういうハードな仕事がいつまでできるかわかりません。
    今年は何とかなりました。

  • 2019年4月6日

    故郷喪失

    戦ってほしい。さらにくだらなくなった世の中に対して。
    切実に、切実に生きる力となり得るのでありますから。?

  • 2019年4月5日

    春が来ません。

    今日は少し暖かだったのですが、昨日までは真冬とそう変わらない毎日でした。
    最低気温がプラスになりません。
    梅は1分咲きのまま止まってしまってます。
    咲き始めていたクロッカスや福寿草の花も寒さで花が痛んでるものが多くみられます。
    野菜の定植も踏み切れません。
    もう異常気象が当たり前になってしまいました。
    今年は冬越しの野菜もほぼ駄目になってしまいました。
    イチゴも、玉ねぎも、ホウレン草も残ってるのは1-2割です。
    畑が始められないので、相変わらず開拓と、新八角堂の周りの駐車スペースを広げてます。
    崖を削り、その土を移動して、低い場所を高くして、車が駐車できるスペースと、キャンプできる場所を作ってます。
    開拓でたくさん出てきた切り株を、土を盛る場所の一番下に置いていってます。
    山の道を作るときなんかも、低い側に切り株を置いて土止めにする方法は結構行われています。
    切り株は土の中にあると、なかなか腐りません。
    埋めてしまうと、1000年ぐらいしたら、石炭になってるかもしれません。

  • 2019年4月3日

    げたさんに賛同!

    資本の暴走により行き過ぎたテクノロジーの発達が人間の精神を退化させ
    モラル崩壊を起していますので、すでに精神は破滅していますね。

    世界的な不況になれば、

    「こんな意識レベルの低い星ブッ潰しちまえ」

    と、自爆的な考えをする団体が出てきても驚きません。

  • 2019年4月2日

    このまま行くと、あと何年ほどで破滅が来ると思いますか。

    これは地球の破滅の話です。
    もしあなたがこのまま行っても、あと何千年と人類は反映して、明るい未来が待ってると思っているのなら、超楽観論者です。
    核の問題、原発の問題、環境の問題、経済の問題、政治の問題、農業の問題、健康の問題、どれ一つをとっても大きな問題を抱えてます。
    一つ一つの問題でも大きな結末を迎えるのに、これらの複合した現象が、非常に近い将来に始まるというのがげたの見解です。
    一人一人が、何も考えず、問題を先送りにして、リアリティーのない生き方をしてきた結末はおそらく絶望的なものでしょう。
    お金に支配された私たちの文明は、お金以外のことを考えなくなってしまいました。
    これだけ問題だらけなのに、現実を見ようともせず、ひたすら時間つぶしに興じています。
    そしてある日崩壊の日が来たとき「どうして、なんでこうなったの」なんて意味不明のことを叫ぶんだと思います。
    原因があって結果が起きます。
    人類は自転車操業状態なので、一人が止まろうと思っても止まれません。
    現在は止まろうとさえせず、もっと早くもっとたくさんなんて加速中です。
    止まって考える時間さえないと信じているのです。
    まだまだ先はある、猶予は十分あると思ってしまってるのです。
    何度警告してもほほ誰も関心を示しません。
    本当にあなたはこのまま人類は生き残れると思っていますか。

  • 2019年4月2日

    未使用地の再開拓。お初桃の定植。

    家のすぐ近くなのに手入れができなくて、はいることもできなくなった場所の再開拓をしてます。
    木を切ってそのままにしておくと、主に生えてくるものはトゲを持ったのイチゴとか野バラ類とか、たらとか、それ以外にツル性の植物が生えてきます。
    どちらの種類の植物も通行するのも難しくなってしまいます。
    今回この空いた部分に果物の木を植えていってます。
    木が育ってくると、これらの植物は太陽を遮られて勢いがなくなってきます。
    トゲのある植物を取るのは結構痛いものです。
    毎日指は必ずとげが刺さってます。
    今回は約20本の野生の桃の木と、リンゴを2種類、梨とソルダムと、カシクルミを1本づつ植えてます。
    桃はすでに20本から30本植えています。
    種を植えたものもあります。
    大きい桃の木は4本。
    これは観賞用の花桃が2本と、野生の桃2本です。
    観賞用の桃は花芽が多くてきれいなんですが、実は食べられまないものが多いのです。
    野生の桃も甘みがそれほどないのと、ほとんどの実に虫が入っているのであまり食べれません。
    今回植えた野生の桃は「お初桃」と言って、接ぎ木の台木として使われる、大鹿村に古くからあるものです。
    その野生のお初桃の中に1本だけ実がおいしい木が、ありました。
    その野生の桃の中でよくにおいしい桃の種を買って植えたものが今回の野生のお初桃です。
    種で作る場合は親と同じものはできません。
    この中に何本かは甘くておいしい桃が出るかもしれません。
    この新しい野生桃の育種と、この場所を桃で飾るのがげたの夢でもあります。
    10年か、20年後には桃の花で囲まれた場所になるでしょう。

  • 2019年3月28日

    新しい宇宙時代の幕開けはインチキ本でした。

    1はともかく、2は無茶苦茶です。
    訳者の言うように、元の原稿に大幅に加筆してるのかもしれませんが、とても読めるレベルの本ではないと思います。
    ただし地球空洞説とか、UFOとかがインチキではありません。
    地球製UFOはあると思います。
    宇宙人はいるとは思いますが、アメリカの味方をする宇宙人がいるかどうかは疑問です。
    それでも事実は驚愕なんだとは思うので、アメリカに最新技術を教える宇宙人がいる可能性はあるのでしょう。
    ドイツもUFOを作ってたのはほぼ間違いないのでしょう。
    ナチスはアメリカとか南米に行ったのは、多分本当でしょう。
    ヒットラーも多分死なずに、どこかに逃げたのでしょう。
    余りにも事実は大きなミステリーなんだと思います。
    何が本当で何が嘘かは誰にもわからないでしょう。
    あまり真面目にこの手の話はしないほうが賢明です。
    げたはみんなと違う意見が好きなだけなのです。
    ともかく徹底的に人と同じが嫌いなだけのすねものなのです。
    変人と言われれば、認めます。
    自分では自分のことを変だとは思っていません。

  • 2019年3月28日

    リアリティー。

    今日は家庭内のことで朝から落ち込んでるので、いろいろ考えてしまいます。
    最近は、ふりだし塾に自給自足を学びに来て、すぐに変える人たちも増えています。
    多分、テレビとか本とかで自給自足のことを見て、何となく来る人が増えてるんでしょう。
    つまり深くは考えてないのです。
    そして現実の自給自足の生活の、その手前の、虫とか、ポットン便所とか、汚さとかで既に付いていけなくなって、逃げ帰ってしまうのです。
    街での生活は生きているという実感が無くても何とかやっていけるのでしょう。
    もちろん多くの田舎に住んでる人たちも、ほぼ同じ症状です。
    生きるということにリアリティーを感じることができないのでしょう。
    自分たちのやってることが、生きる上でどうしてもやらなくてはならないことが無いんじゃないかと思われます。
    本来人間は自分たちだけで生きてるわけではありません。
    多くの人たちとのつながりで生きてるし、自然とも密接にかかわりあって生きているのです。
    虫が嫌いと言うことについても少し考えればわかると思いますが、虫がいなくなれば私たち人類は生きていけません。
    今ミツバチがほぼ絶滅状態なんですが、これが私たちにどのような影響を与えるかは、時間が立たないとわからないのでしょう。
    ミツバチだけではありません。
    そのほかのどの虫たちも、この地球の中で必要じゃない虫はいないのです。
    もちろん私たちに迷惑な虫はいっぱいいますよ。
    そうだからと言って、迷惑だからの理由で、虫を殺すことが正当化されるでしょうか。
    この点についても、理論的にはわかってる人も、実際虫に接すると、たちまちそれを忘れてしまいます。
    農業も知らぬ間に汚れ仕事に落ちてしまってるものと思われます。
    土で汚れるのは汚いのでしょうか、土は汚いものなのでしょうか、私たちは汚いモノの上で生きてるのでしょうか。
    土が汚いのだったら、地球そのものが汚くなってしまいます。
    次に極端な例で、ウンコは汚いモノなんでしょうか。
    昨日あなたが食べたものは汚いはずがありません。
    それが体の中を通って、肛門から出たとたんに汚いものになるんでしょうか。
    ウンコは体の中にあったわけですが、そのあなたも汚いのでしょうか。
    あなたはウンコとは関係ないんでしょうか。
    汚いものだから、水に流して、もう後のことは何も考えないんでしょうか。
    有機農法ではウンコを畑に入れます。
    もちろん人間のモノはほとんどありません。
    牛や豚や、鶏のウンコです。
    ウンコで育ったトマトは汚くないのでしょうか。
    何処から汚くなって、何処から汚いのでしょうか。
    それとも化学肥料だけで育った野菜の方が、清潔でいいのでしょうか。
    生きることにリアリティーが無いから何も考えないんじゃないでしょうか。
    リアリティーが無くて生きてることは生きてると言えるのでしょうか。
    このぐらいのことは、自給自足を考える前に考えましょうよ。
    何度も書きますが、虫が嫌いな人、土を手で触れない人、土がついたものが汚いと思う人、ウンコは汚いと思ってる人、すみませんウンコくらいはいいです。
    ともかくこんなこともわかっていない人は来ないでください。
    お願いですから、それでなくとも今は自給自足を教えるのに、ひじょな困難があるのです。
    世代ギャップと、文化ギャップが大きすぎて、農業ひとつとっても教えるのが非常に難しくなってます。
    ちいちいぱっぱじゃないんですよここは。
    これも通じないかもしれませんね。
    ここは違う文化の国だと思ってください。
    あなた方の文化は通用しません。
    他の文化も尊重してください。
    世界にはあなた方が想像もできない文化がいっぱいあるんですよ。
    そこでも人は生きていってるんですよ。
    この狭い日本の異常な世界が、普遍的な文化価値だと誤解しないでください。
    あなた方現在の日本は世界中でも際立って異常な世界なんですよ。
    まあこんなことをいくら書いても無駄なことはわかってます。
    山奥の世捨て人の独り言です。
    独り言なので怒らないでくださいね。
    なにしろ最近は、名前を名乗らなくてもよくなったので、暇な人がすぐに攻撃してきます。
    気に入らなければ見ないでくださいよ。
    独り言ぐらいいわせてくださいよ。
    文句を言うのでしたら、正々堂々と名乗ってからにしてください。

  • 2019年3月28日

    あったら便利は無くても平気。

    漫画を読んでたら、面白い表現がありました。
    「あったら便利は無くても平気。」
    何かふりだし塾の看板にでもしたいくらいのいい表現です。
    でも街の人たちには多分わからないことなんだろうと思います。
    街の人もこれぐらいはわかると思ってるかもしれませんが、それを本当に生きてるのでしょうか。
    わかってても、やらなくては、わかってないのと同じだと思います。
    実を有と街の人たちとのあまりにもの違いに、最近どうしていいか解りません。
    昨日、一昨日と昔のインド時代の友達が子供を連れて遊びに来てました。
    彼らが帰ってから鶏小屋に行くと、鶏のエサが小屋の外にも内側にも撒いてました。
    子供は遊びなんでしょう。
    こちらの孫も一緒ですから、彼らだけを責めることはできないのですが、何か絶望的です。
    鶏のエサは当然ですが人間も食べれます。
    食べるものを、遊びでばらまく、これはなんなのでしょう。
    ここまで街の人たちとの溝は深くなってしまったのでしょうか。
    最近は偶然ネットで見た、ふりだし塾に来た人のブログに、書かれていたことでもショックを受けてます。
    げたは彼女は嫌いではないんですが、こんなことを書いていたのかとショックでした。
    彼女が一番最初に家に来たとき、げたは当然ですがどうぞ座ってくださいと,言ったのですが、
    彼女はこう書いてました。
    「座れと言っててもこんなに汚いところろに、座れといううんですか。」
    だいたいこんなニュアンスだったと思います。
    これはショックでした。
    まさかこんなポイントで、こんなとらえ方をしてるとは、夢にも思わなかったのです。
    ここに自給自足を学びに来てるんですよ。
    こちらがぜひ来てくれと頼んだんじゃなくて、向こうから来たいと言ってきてるんですよ。
    もう信じられません。
    と言うより情けないです。
    もう街の人との接点はなくなってきてるように思います。
    虫も嫌い、汚いのも嫌い、土も嫌い、それでどんなにして自給自足をやろうとしてるんでしょうか。
    皆さんがきれいすぎで、虫がいなさすぎで、土もないところに住んでるのです。
    それが当たり前になってしまって、生まれたときから何でもあって、物が無いなんて経験したことが無い人たちが人口の多くを占めるようになってきてるのです。
    その陰で、戦争で死んでる人たち、飢餓で死んでる人たち、このような現実が同じ地球の中で起こってることさえ、現実のリアリティーとしてとらえることができない人たちが増えて来てるのです。
    日本でも東京と大きな街だけが栄えて、田舎はどんどんダメになってるのに、その現実さえ直視できないのです。
    多分人類はこのまま滅びの道を一直線に進んでいくのでしょう。
    はじまりは、
    あったら便利です。
    無くても平気なもののために、自由も平和も、幸せさえもなくなってるのに、それにさえ目を向けようとしないのです。

  • 2019年3月22日

    2018.5.25の記事について

    ゲタさん、の言う”若い人”の具体的な年齢層をお教え願えれば幸いです。
    記事の内容について概ね賛同致します。

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