• 2025年4月22日

    獣害除けの柵の補修。

    一番上の畑の獣除けの柵を補修しています。
    冬の間に大幅に柵が壊されます。
    最近の鹿はまず数が異常に多い。
    柵を直さなければ、畑は始めることができません。
    獣害も限界的です。

  • 2025年4月2日

    畑が本格的に始まりました。

    一番下の畑が本格的に始まりました。
    ふりだし塾には、下、家、上の3か所に畑があります。
    下は800メーター、家は1300メーター、上は1500メータの高度にあります。
    下の畑では上の畑では作れない、しょうがとかの温かいところでしかできない作物を作ってます。

  • 2025年3月25日

    イチゴの苗を作る。

    昨年はイチゴの草取りを熱心にやったので、通路に大量の苗ができてます。
    いつもは4月過ぎてから苗を作るので、実がつかない苗も多いのですが、今年はしっかり実がなりそうです。
    イチゴはいかに草を抜くかにかかってます。
    草さえ抜けば、おいしいイチゴがいっぱい食べれます。
    しかし実がなるまでは熱心に草を取るのですが、実がならなくなったら、草を抜かなくなるのです。
    今年は手伝いの彼が熱心にイチゴをやってくれるので、久しぶりに十分なイチゴが食べれそうです。

  • 2025年3月22日

    ゲストシェアハウスの古い家を解体してます。

    建物はチリホールで人力で引っ張り倒しました。
    倒した建物は分解して、使える材はまた使うので、丁寧にはがしていかなければなりません。
    時間がかかります。
    家の畑を始めました。
    肥料を入れて起こしました。

  • 2025年3月17日

    ボロボロの民家の再生。

    昨年お手伝いで来ていたこうき君が古いボロボロの民家の再生を始めました。
    当座はふりだし塾で滞在しながらの再生になります。
    何しろ、水も電気もない状態なので、屋根は落ちそうだし、柱も倒れそうなところもあるという、完全なぼろ屋です。
    条件はどうしてもいいという条件なので、最悪壊してもいいわけです。
    でも昔のまま残っている民家は今は珍しいのです。
    今はほとんどの家は、新建材で改築してます。
    この家は本当に古いまま、土間があり、囲炉裏があり、全部障子の家なのです。
    きっと素敵な家に再生されると思老います。
    またふりだし塾から、大鹿村に定住する人が一人増えました。

  • 2025年3月14日

    畑の作業が始まりました。

    雪が少なく、氷もだいぶん溶けてきましたので、とりあえず昨年使った市中の撤去から始めました。
    この後、たい肥を入れ起こす、イチゴの植え替えと畑作業が続きます。

  • 2025年2月18日

    無理ができません。

    やはり骨折と肺の破裂は大変なことみたいです。
    何とか仕事を再開しようとするのですが、やはり無理みたいです。
    20日後で一度また病院で再検査をしたのですが、骨折では全治に2か月かかると念を押されてしまいました。
    何とか仕事を再開したいのですが、軽作業があまりないのです。
    ほぼ全部の仕事が重労働なんです。
    あきらめました。
    と言っても当たり前なんですが、けがが治るまで無理をしないことにしました。
    ゲストシェアハウスのオープンは遅れるかもしれませんが、仕方ありません。

  • 2025年2月14日

    ゲストシェアハウスの本体、宿舎、物置小屋の工事は終わりました。

    工事は順調に進んでいます。
    お風呂もできたし、二階の個室もできたし。
    今はわら細工とかいろんな作業ができる小屋を作ってます。
    わら細工をもっと習って、教えることも考えてます。

  • 2025年2月8日

    水道が凍ってしまいました。

    昨年からの降水量の減少、つまり雨が降らない、で泉の水が枯れてきました。
    冬場は水道は流しっぱなしで凍結を防ぎます。
    ところが水量が少なくなると、いくら流しっぱなしでも水道は凍るのです。
    つまり手の打ちようはありません。
    雨が降るまで待つしかありません。

  • 2025年2月1日

    負傷で入院して、退院しました。

    木を切っていて、切った木に絡みついていた蔓が隣の木にまで絡みついていて、その木を引き込んで倒れ、当然ですが、前の木の横にいる私に、後ろから折れた木が、猛烈なスピードで飛んできます。
    後ろから飛んできた木が背中と頭に当たり、急な斜面を落っこちました。
    このケースは山では一番多く起こる事故で、死亡するケースも多い事故です。
    当たった時はこれはやばいねと思いました。
    同時に山の事故で死んだ友人が、死ぬ前に「これやばいね」と言っていたことを思い出しました。
    それぐらい強く木は当たったし、崖を転げ落ちたし、無事で済むはずはないのはわかりました。
    結果はあばら骨が骨折、肺の片方が破裂、これは結構重傷だと思います。
    それに非常に痛いのです。
    今回は近代医療の鎮痛剤とゆうものが、痛みのある人にとって、どれだけありがたいものかを痛感しました。
    さて重傷にもかかわらず、なぜ5日で退院になったか。
    これは多分病院からの追放だと思います。
    私がなぜ追放されなければならないのか、
    別に大したことをしてるわけではありません。
    マスクをしないのと、
    心電図の末端を体につけてるのですが、これがめんどくさい。
    重傷患者なので、いつ事態が急変するかもわからないので、常に心電図の末端を体の何か所かと、指先に取り付けてるのですが、
    この指先のやつがかったるいのです。
    もともと何でも腕とか指につけるのは嫌いなのです。
    看護師さんにもよるのですが、きちんとした、秩序維持型の看護師さんは、こちらが末端を外すとすぐに飛んできます。
    当然ですが自分で取ったとは言いません。
    また取れたんですねと、しらばくれます。
    そして看護師さんが来るたびに、またマスクの注意も受けます。
    これも表立っては、すぐに忘れるとか、すぐに外れるとかにしてるわけです。
    何しろ正攻法で問題を指摘して、トラブルを引き起こすのは面倒なので嫌いなのです。
    まだ日本ではこんなバカげた「マスク騒動をしなければならないのです。
    というわけで。
    重傷なのに5日で退院してきました。
    この5日で退院の理由は、私の勘違いかもしれませんし、
    それにしてもやはり早すぎるような気もします。
    どのみち、鎮痛剤を飲んで、痛みを我慢しつつ、安静にしてるしか方法はないので、病院にいる理由はないのもわかります。

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