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キャベツ、白菜。ビートの収穫が終わりました。
キャベツ、白菜、ビートの残りの収穫が終わりました。
恵子ちゃんが行ったので、今日から二人だけです。
来年は手伝いが居ないことを前提に、大幅に畑は縮小する予定です。
なにしろ長期で来た人もほとんど途中で何らかの事情でいなくなる、短期もあまり来ません。
規模の縮小もやむをえないと思います。
来年からは3人ぐらいを最大の受け入れにしようと思ってます。
この形での継続は難しいかもしれません。
来年からは徐々にやり方を変えていきます。
最終的にはどういう形になるかはわかりません。 -
マイナス5度。
昨日の気温です。
今朝はマイナス3度。
あまりの寒さです。
ここまでの寒さを予想してなかったのでキャベツも白菜も凍ってしまいました。
取り込んでたものまで凍ってしまいました。
今日も取り込んだのですが家の中に入れる時間が無いので外に置きっぱなしです。
白菜は上部がほとんど駄目になりました。
上部を切り落として保存するしかありません。
白菜もキャベツも注文は来てるのですが、出荷は難しいと思います。
ある程度は予想してましたが、現実になってみるとみじめなものです。
手伝いが来ないのは、やはりげたの過激発言が影響してるのかもしれません。
それでも鹿は鹿です、馬は馬です。
大鹿ふりだし塾も先がどうなるのでしょう。
この最悪の状況でまだ来年馬を飼おうという暴挙に出ようとしてます。
どう考えても無理なのですが、とりあえず飼って見ます。
馬に乗りたいのです。 -
自然農の稲刈り。
自然農の稲刈りがようやく終わりました。
イセヒカリはよく出来ました。
今までの稲で一番出来たのではと思います。
隣で作った起こして、代掻きして、買った苗で作ったアキタコマチよりも出来はいいのではないかと思われます。
同じ自然農でも買った苗のアキタコマチは全然できはよくありませんでした。
やはり自然農の場合は自分で作った苗で無いと駄目みたいです。
それと買った苗は出来るだけ早く植えないと駄目みたいなのですが、どうしても自分で作った苗を田植えして苗の足りないところに買った苗を植えるのは無理があるのかもしれません。
なにしろ田んぼにきてから2週間以上経ってるので、徒長した苗では根がかなり駄目になってるものと思われます。
こういうところが農業の難しさだと思います。
ある程度の面積、それも中途半端な面積での米作りでは苗作りのために時間を割くのが無理があるのです、
自分で苗を作るには田に水を入れなければならないのですが、他の人達より1ヶ月以上早く水を入れたいといっても、水路の管理はたくさんの人でやるし、なおかつこちらは水路から遠いので管理はうまく出来ません。
その一人が水を使う為に他の大勢の人に早くから水路の掃除をしてくれとはさすがに言いにくいのです。
苗を自分で作るためにはどうしても自分で自由に出来る水路の田んぼでなければ出来ません。
これは冬季潅水も同じです。
冬季潅水は起こさない田んぼ作りにはいいやり方だとは思うのですが、冬中一人で水路の管理は出来ません。
これにも独立した水路が必要です。
田んぼの稲作はどうしても他の人達との協調無しにはできないのです。
大部分の人が今までのやり方の稲作の場合どうしても一人だけ違う稲作りをするのは、中々出来ないのも無理は無いのです。ハッピーヒルはまあまあの出来です。
全体的には自然農もよく出来るようになったとは思います。
5年目にしてようやくまあまあできるようになって来ました。
それでも管理の時間と言うより、草取りの時間がどうしても取れません。
今年も草に負けた部分はあります。
自然農を大面積でやってる人は信じられません。
なにしろ労働時間は倍ですから。
と言っても、無農薬の野菜作りも、稲作りも労働時間は倍以上かかるのですが、その倍時間がかかるやり方はかなり無理があります。
やはり機械も何も持っていない人には自然農はいいとは思いますが、機械を全部持ってなおかつ、機械を使わない自然農は余計に抵抗が大きいのかもしれません。
その上収量が少ないのではよっぽどの信念が無いと自然農では稲は作れません。野菜も、他の穀類もほぼ条件は同じです。
自然農の大豆は草の手間がずいぶんかかりました。
出来はいいですが、大豆は元々肥料は要らないので、起こさないだけなのですが。
他の野菜は自然農では全然出来ないので一度やってやめました。 -
ついに寒くなりました。
ニンジンの収穫の途中であられが降ってきました。
あられといってもほぼ雪と変わりありません。
手が冷たくて少し早く打ち切り。
あと3日で生のものが終わりそうです。
ニンジン、ほうれん草、キャベツ、白菜、ビート、ゴボウが残ってます。
収穫が全部終わるのに後1週間から10日かかりそうです -
大鹿村産業文化祭に行ってきました。
行ってきましたが、ほとんどの時間は川で石を拾ってたのですが。
そもそも人が多くいるところは苦手です。
去年のおじいちゃんたちのコーラスも参りましたが、今年のNPO法人モザイクプロジェクトの表現にはびっくりしました。
最初の部分で出てきてしまいました。
ちょっと見るに耐えません。
街の方が田舎に興味を持つのは結構ですが、絶滅動物を保護しましょう見たいなのりには付いていけません。
大人が真面目にああゆうことができるのが信じられません。
あの人たちは何をしに大鹿村に来てるのでしょう、何日も村に滞在して忙しい中を村の人達に話を聞きたいと押しかけて仕事の邪魔をして、結果あんなとんでもないものを村の人の前でやって、恥ずかしくないのでしょうか。
はじめから村の人の話を聞く耳を持っていないとしか思えません。
自分たちの自己満足的な一方的な見方で田舎を美化して何が生まれると思ってるのでしょうか。
あんな活動で補助金が出るのもびっくりですが。
来年は産業文化祭には行きません。
今年はヒッピーを卒業論文にするとかの人もふりだしにはたくさん来ましたが、来年は引き受けるのにためらいがあります。
確かに待ちの人達に田舎の実情を知ってもらう必要があるのは事実ですが,向こうははなから理解する気はなさそうです。
自分たちで勝手に作った田舎像を、またヒッピー像を勝手に膨らますだけみたいに思えます。
もちろん振り出しに来たヒッピー好きの子達にもこちらの事を理解しようとする人達もいたのは事実です。
だから受け入れ側としてはそういう人も受け入れるべきだとは思いますが、今日はへこみました。
ひどすぎます。
あんな事をする暇があるのだったら、じいちゃんやばあちゃんの畑の手伝いデモしてくださいと言いたいです。
彼らは来年は受け入れることは難しいと思います。
そもそも街の人間は田舎に住み移る気が無いのだったら、中途半端に田舎に興味を持たないで下さいと言いたいです。
こちらは現実問題なのです。
いくらきれいごとに解釈されても、こちらの現実は何も変わりません。
厳しい意見だとは思いますが、田舎の現実はそれほど大変な状況なのです。
本当はすごく頭にきてるのですが、ののしるのだけはやめます。
本当のことを言えばいいとは限らないみたいでも在ります。
世の中は難しいです。
わたしには社会のことは分らないのかもしれません。
ずれがひどすぎて、こちらにも問題はあるのだとは思いますけど、分かり合うのは難しいのかもしれません。
ますます山に閉じこもりたくなります -
作者は雲黒斎。
出版社はサンマーク出版です。
1600円。
明日からももう少し内容を紹介します。 -
もっとあの世に聞いたこの世の仕組み。
前の続編です。
前作のあの世に聞いたこの世の仕組みも簡単で易しい言葉でこの世の仕組みを書いてます。
今回の本も大推薦です。
ともかく分りやすい文章です。
例えば最後のエピローグで幸福について書いてますが、げたもこの事は分ってはいるのですが、人に説明する場合この本は良くかかれてます。「幸福」は何かを得る事によってうまれるものではありません。
「不幸(満たされない気持ち)」の不在によってもたらされるものです。
「不幸」によってもたらされるのですから、それを「得る」ことで実現しようと思わないで下さい。
幸せというものが、どこかに存在してるわけではないのです。
どこかに存在してるわけではないのですから、探しても見つかりません。
不幸が無いその状態のことですから、どこかから持ってくる必要なんて無いのです。幸せが必要なのでなく不幸が不用なのです。
幸せが足りないのではありません。不幸が多すぎるのです。
どうか幸せを得ようとしないでください。
ただ大事に抱え続けている不幸を手放してください。
こういう話をすると、ついで「どうやって手放せばいいのですか」と聞かれます。
そういった質問が生まれる前に最初に気づいてほしいのは、その質問自体が不幸を抱え続けようとしているからこそ出る問いだと言う事。
そして、私は不幸だと言いつつ、その不幸が何であるかが、とらえ切れていないと言う事です。
自分にとって本当にいらないものだと感じたら、それを手放すことは、誰にでも実現可能です。
特別な教養も、特殊な才能も、血と汗のにじむ訓練も、誰かの命令も必要ありません。
つまり手放せないのは、その方法を知らないのではなく、単に手放したくないという思い、握り締めてるものに対しての執着があるからにほかなりません。
誰もあなたを幸せにはしてくれません。
自分を幸せにできるのは自分以外にいないのです。
不幸を抱え続ける事にエネルギーを費やすのはやめてみませんか。
幸せになろうとするその前に、不幸であり続けようととする自分の癖に気づきましょうということです。
どうやって気づくのですか?
その質問が癖です。
どうやってもこうやってもありません。
最初の一歩がそのままゴールです。
だからそこには条件も過程もありません。
状況を変えるとなればプロセスを必要としますが、不幸を手放すなら一瞬です。
ある状況と不幸という観念を結び付けなければいいだけです。
幸福になる条件を持たなければいいだけです。
おかねがなくったて、幸せになっちゃってもいいんじゃない。
頭が悪くったって、幸せになっちゃってもいいんじゃない。
体力がなくたって、才能がなくたって、努力が足りなくたって、運がなくたって、計画性がなくたって、感謝が足りなくたって、愛がなくたって、性格が悪く
たって、誰も認めてくれなくたって、ずっと不景気でも、良い事をしてなくたって、悪さばかりしてたって、エロい事ばかり考えてたって、君よりも恵まれない
人がたくさんいても、君が幸せになっちゃってもいいんじゃない。どうです、面白いし、分りやすいでしょ。
この文を読んでも幸せになれない人はしかたありません。
どうぞ後生大事に不幸を抱えて生きていってください。
不幸を選択したあなたの意思もまた尊重されなければならないのです。 -
鹿を指して馬と為す。
長年なぜ馬鹿は馬と鹿なのか疑問でした。
鹿は分るのですが、馬は利口そうだしなんでだろうと思ってました。
今回童子丸開さんの本を読んで意味が分りました。
昔中国の話です。
秦の始皇帝が死んだ後秦の実権を握った趙高が形ばかりの皇帝であった胡亥に1頭の鹿を献上して「これは馬です」と言い、秦の高官たちのうち(これは馬でない」と言ったものを全員処刑したそうです。
また戦国時代の武将である明智光秀は「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略と言う」と言う名言を残してるそうです。
つまり、政治とか国家とかは嘘が基本なのです。
今はどこもかしこも嘘ばかりの社会になってしまいました。
まさに全世界が鹿を馬と言ってる状態なのです。
今の食品偽装の問題もそうです。
何度問題になっても一向に無くなりません。
謝れば済むと思ってるしみんなやってるから仕方ないとも思ってるのでしょう。
なにしろ政府が嘘と分りきった事を平気でやりまくりなのです。
資本主義では嘘でも勝った方の勝ちなのだからしかたありません。
つまり外のもの、買った物は一切信用が出来ない状況なのです。
まともなものを食べたかったら自分で作るしかありません。
これから状況はもっと悪化するでしょう。
今は自己防衛で田舎に住んで自分で自分の食べるものは作らないと安全なものは食べれなくなってしまったと言う事です。
ここまで来て知らなかったは通じません。
知らない人が「うましか」なのです。
毎日会社で、学校で、社会で「うましか」をやってるうちに本当に鹿を馬だと思うようになってしまってるのです。
「うましか」なのに自分のことを「うましか」と思っていません。
「うましか」を通り越して狂ってるような気もしますが。
この世界は本当のことを言ってはいけない世界なのでしょう。
なにしろおしゃか様でも方便ですから。
本当のことを言うと、この山奥でも外に出るとちょっと大変です。
世間は狭いものです。
ここで書いたこともなんとなく伝わるのでしょう。
だんだん何処にも行けなくなってきてます。
元々外に行きたいわけではないので問題は無いのですが、やむをえなくて行く場合、例えば陽だまりマーケットなどは若干の問題が出ます。
早くこれも行かなくしたいのですが、今のところ人員不足でやむなく駆り出されています。
馬は馬です、鹿は鹿です。
もしかするとこちらのほうが「うましか」なのかも知れません。 -
蜂に刺されないために、蜂に刺されたら
蜂に一番いけないのが振動だそうです。
振動させると刺されるのです。
隣の中川村の蜂きちおじさん富永さんの本よりです。
また棒状のものを持つのも危ないようです。
まあこれくらいは田舎では常識ですけど。巣の下を早足は危ないみたいです。
黒いものは危険。
蜂に追われたら伏せるのが一番だそうです。
これは知りませんでした。
蜂は斜め上と真っ直ぐは良く見えるが斜め下は見えないそうです。
実際はこれは難しいと思います。
蜂に追われた場合は逃げるほうも必死なのでともかく巣から遠くに行きます。
しつこく刺してくる蜂は殺すしかありません。
これは昨年3匹のスズメバチに追いかけられた経験からです。
ただ逃げても追いかけてきますから伏せるのは有効かも。
草や部下葉や木の茂みに隠れるのは非常に有効みたいです。
車や家に入ってきた蜂は刺しません。
そもそも蜂は巣の近く以外ではほとんど刺しません。
刺されるのは誤って蜂に触れた場合のみです。
これは保障します。
家の中や車に入ってきて大騒ぎをしないように。
特に車は大騒ぎをして人を轢くケースは良くあるそうです。
刺さないのですからゆっくり対応してください。
暗いときに蜂の巣の前で懐中電灯をつけない。
蜂を怒らせると逃げるしかありません。
蜂の守備範囲は(つまり追いかけてくる距離です)クロスズメバチメートル、ヒメスズメバチ3メーター、小型スズメバチ5メーター、黄色スズメバチと大スズメバチはそれぞれ7と10メーター以上つまりどこまでも追ってくるのです。
刺された場合は富永さんはおしっこは有効で無いといってますが、私の経験では有効です。
ともかく直ぐに毒を吸い出す。
水があるところでは傷口を水洗いする、蜂毒は水に溶けるそうです。
その後は冷やす、蜂の毒は低温に弱い。
蜂に刺される可能性が高いときは予め缶ジュースを凍らせたものを用意するといいみたいです。げたは毎年10発くらい蜂に刺されます。
田舎では蜂に刺されず生きていくことは出来ません。
特に草蜂の被害が大きいのです。
機械で草刈した場合はそれほど刺されませんが手で草を刈るときにやられます。
スズメバチは危ないケースが多いので巣は取った方がいいのですが、巣を取るのも危険です。
げたも何度も失敗してます。
最近は蜂の警戒も厳重で、夜に巣の外に居る蜂が居るので煙幕でやる前にやられたりします。
長野では蜂の子を食べるので蜂の巣を取るのに殺虫剤は使わず、煙幕を使います。
煙幕を2発くらい長い棒の先に着け巣に突っ込みます。
すかさず巣をダンボールの箱に落とします。
下に下ろしたら巣を壊して親蜂を巣から外していきます。
スズメバチの焼酎付けを作りたいときはここで焼酎のビンに親蜂を入れていきます。
蜂が気絶してるのは約10分です。
すばやく仕事をしないと蜂は目覚めます。
蜂の巣は天然の抗生物質です。
彼らの巣を菌から守るためなのです。
人間が食べても良い薬になります。 -
乾かす。
1日の半分は家での仕事になります。
ほとんどは乾かしてるのです。
冬場に使う保存のもので一番簡単なのは乾かす事です。
今やってるのはビートを収穫して、ビートはヤギのえさとして室で袋に入れて保存します。
茎と葉っぱは干してヤギのえさ、他にはヤギのえさとして、豆ガラの干したもの、大根の葉の干したもの、トウモロコシの茎と葉を干したもの、雑穀類のわらの干したもの。ほとんど野菜と穀類、豆類の食べるところ以外を干したものです。
普通は捨てられるもので山羊が飼えます。
干すものはまだまだあります。
イモ類も保存の前に干します。
マコモや熊笹などお茶にするものも干します。
トウモロコシも干します。
柿も干します。
ひょうたんも干します。玉ねぎやニンニクも干します。
その他にもハーブや種類、その他たくさんの干し物があります。
今年は干し場が増えたので楽に仕事が出来ます。
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