• 2014年4月8日

    江戸時代から見える日本。

    百姓の力、渡辺尚志、柏書房。
    江戸時代の村を調べて、そこから現代へ通じる問題が起こってるのではないかという本です。
    百姓とは農業だけでなく、村で生きる人の中で、村が認めたものを百姓と呼ばれてました。
    各家で家長のみです。
    百姓というのは、勝手に名乗れないものだったのですんね、
    元来村は土地についても明確な所有権はありませんでした。
    そこに江戸中期から貨幣経済が急速に入ってきました。
    貨幣経済が入ってくれば来るほど、一部の人達に富が集中していきました。
    同時に村の共同社会は徐々に崩れていきます。
    貨幣経済が村をここまでにしてしまったのです。
    貨幣経済とは搾取の方法にすぎないのです。
    お金は多いところにより多く入っていきます。
    少ない人はますます少なくなっていくのです。
    日本も一時はみんなが豊かになっていくと錯覚しましたが、結果的には貨幣経済の波に飲まれてしまいました。
    自給を崩して、専業化して、よりたくさん稼げるかと思えば、どういうわけかだんだん貧しい人が増えていく。
    これが江戸時代の農村の実態です。
    誰なんですか、江戸時代は理想的な社会だったなんて、ろくに江戸時代の事も知らずに大法螺を吹いてる人は。
    たぶん縄文時代もそんなもんでしょう。
    詰まりかって理想的な社会は一度も来ていないのです。
    一度自給をくずせば後は雪だるま式に大部分の人は貧しくなっていくのです。
    一部の人に富が集中すれば、残りの人が貧しくなるのは当たり前です。
    こんなに単純な事なんですよ。
    大学で経済を難しそうに教えてるのは、ともかく訳分らないようにして、事実を隠蔽してるからなのです。
    真実は単純なのです。
    そして明治の中ごろになって、土地の私有が確定して、村は崩壊してしまったのです。
    巣出ぬ昔から駄目になっていたのです。
    戦後の農地解放で少しは良くなったものの、また同じ道に進んでいってます。
    一部の人に農地を集約してなんて、また昔に戻るだけなのです。
    土地は誰のものでもありません。
    共産主義は、土地と富の一極独占ですよ。
    最悪な選択が共産主義なのです。
    労働者のものでは無いんですよ。
    地域自給自足でとちはみんなの共同利用するものにする必要があります。
    お金は最低必要なものを村が作って流通させればいいのです。
    お金も土地も使えるだけにすればいいのです。
    お金をためるから問題が発生するのです。
    地域の共同体がしっかりしていれば、保険も年金も必要ではありません。
    保険も年金もそれで儲けてる人がいるということは、ほとんどの人は損をしてるのです。
    江戸時代初期はまだ貨幣経済はほとんど村に入ってきていないので、比較的平和で平等な社会だったわけです。
    といっても武士が一定の年貢を取ってましたので、それ分余分に働かなくてはならなかったのです。
    武士なんていっても、元々盗賊なんですよ。
    えらそうに武士道なんていってますけど、超インチキなんですよ。
    日本なんていってますけど、これもインチキですよ。
    国があるから搾取されるし、戦争があるのです。
    私達には国は必要ではありません。
    世界連邦なんて、世界独裁にすぎないんですよ。
    国連なんてのもインチキ集団にすぎないのです。
    そもそも国連ではないですよ、あれは連合諸国と訳すのです。
    つまり、戦争で勝った連合国の集まりなのです。
    日本が地位の低いのは当たり前なのです。
    戦争で負けて、戦争犯罪人になった人達が祭られてる靖国神社に首相が参拝するからアメリカも、ヨーロッパも怒ってるのです。
    国があるとこんな事になってしまうのです。
    それで、中国は悪い、韓国は悪いと大宣伝してるのです。
    マスコミに煽られて中国と韓国が嫌いになった人達、中国でも韓国でも一般の人達は私達と同じなんですよ。
    つまり、いい人も悪い人もいるけど総じて大部分の人達はいい人なんですよ。
    というより普通の人達なんです。
    国なんていうからおかしな事になってしまうのです。
    茶番ですから国の指導者はとんでもない人がなってしまうのです。
    自分たちの足元が危ないので他の国に興味を持っていくのです。
    歴史を勉強してください。
    みんなこれですよ。
    徳川家康も、豊臣秀吉もみんな泥棒の大親分にすぎないのです。
    それで、歴史をでっち上げて自らを美化するのです。
    歴史を勉強する場合は基本的に勝った人達が作ったインチキの集合が私達の習う歴史なんです。
    偉人も賢人もいなかったのです。
    ただ貧しい多数の人と、一部の権力者がいたにすぎません。
    これは全ての歴史でそうです。
    私達の習う歴史は全て嘘なのです。
    事実を権力者が美化したものです。
    今特に良く言われてる人達が悪いやつらなのです。
    国とか、権力者の支配の仕方を良く知らないと、結局とんでもない事になってしまいます。
    地方の経済圏が独立して他を侵さない、自分の経済圏では働かない人が収入をたくさん取る事をさせないシステムも構築する。
    土地を持っている、お金を持っているだけで働かなくても食べていける、働いてるけど難をしてるのか分らない、実質的に生産をしない人を減らす。
    これを書いたらまた一部の怖い人達が弱者を差別するのかなんていいそうですが、これは違いますよ。
    これぐらいのことは理解しましょうね。
    インテリジェンスが足りないので言葉尻で噛み付いてくる人がいるんですよね。
    これは言いすぎですが、ちょっと興奮しました。
    妻栄働く能力がある人で、生産しないで食べている人が増えれば増えるほど、生産する人は貧しくなるのです。
    組織とか集団は大きくなるほどこのような人達は増えて生きます。
    日本人がある程度豊かなのは、世界中から盗んでくる国の下でこそこそおこぼれをいただいてるからなのです。
    これは恥ずかしい事です。
    私達は名誉の貧乏人になるしかないのです。
    物も金もたくさん持っていないけど幸せに生きてます、これが自給自足の生き方なのです。
    後は無い人同士で助け合って生きていけばいいのです。
    大鹿村はこの自給自足が確立する絶好の位置にあります。
    この村を自給自足の村にする。
    それが大鹿ふりだし塾がやろうとしてる事です。

  • 2014年4月7日

    マイナス7度、

    今朝の気温です。
    とんでもないでしょ。
    梅が全然咲きません。
    道がまたとんでもない状態です。
    車が上がらず、バックで引き上げ。
    毎日車を引き上げなければなりません。
    昨日は宅急便やさん。
    今日はもう一台出かけてるので、夜にまた引き上げなければならないかもしれません。
    いつまでこれが続くのでしょう。
    今日も道直しもしました。
    直しても直しても車が下に下りていくのでまたやり直し。
    同じ家族でもこんなもんです。
    げたはこんなときは下に行きません。
    道直しにこんなに時間を掛けてるのに他の家族は気にしません。
    他の人達は自分でやって無いので大変さは分らないのでしょう。
    自分たちの都合ばかり言って下に出かけていきます。
    気温がプラスになって1週間ぐらいしないとみちは安定しません。
    今年は今までで一番遅くまで道が落ち着かない年になるでしょう。
    だんだん寒くなってきて、山奥の生活はきびしくなってます。
    キャベツもレタスもまだ定植できません。
    昔はといっても何年か前まではですが、3月末には定植してました。
    サニーレタスの種もまだ蒔いてません。

  • 2014年4月6日

    油を500cc絞る。

    外は雪で室内で油を絞りました。
    今回は回転式の油搾り機。
    3時間で500cc搾れました。
    ひまわりです。
    朝から殻を取って、総合すると準備と後始末を入れると6時間ぐらい。
    やはり時間はかかります。
    早く大鹿村にも油屋さんを作らないと大変です。
    ひまわりが搾るのが簡単なのでひまわりを増産します。
    品種も寒いところでも作れるロシアンひまわりにします。
    ひまわりの品種の名前は忘れましたが、オイレン酸が多いとか酸化しにくいとかなのですが、暖かいところで作らないとその成分が十分出来ないとかで、下の畑で作ってます、ふりだしでは農地の主力は寒い1500メーターの場所です。
    主力の畑は余裕があるのでそこで作れる品種の方がいいという判断です。
    ひろみは色々こだわってますが、げたにとっては油は油です。
    なんか色んな情報に惑わされてるような気がします。
    その土地で作りやすい品種が一番です。
    面倒なんです。
    げたの農法はめんどくさいのはいや農法です。

  • 2014年4月6日

    雪です。

    外は雪が降ってます。
    朝起きると雪景色。
    冬です。
    醤油搾り3日目。
    醤油のもろみを入れる袋を8枚に増やしました。
    順調に搾れてます。

  • 2014年4月6日

    醤油搾り2日目.棚田作り、梅の木の選定。

    朝はマイナス4度、夕方はマイナス2度。
    冬に逆戻りです。
    朝から醤油絞りの続き。
    醤油を絞るために、袋2枚に分けてもろみを入れ搾っていたのですが、袋を増やしました。
    醤油屋では1枚の袋は厚みはあまり無く、たくさんの袋に分けて、それを搾ってたので、袋を増やしました。
    醤油は本来家で作る人はほとんどいません。
    味噌は家で作っていました。
    それだけ醤油つくりは難しいものなのでしょう。
    3回分あるのですが、まだ1回目が終わりません。
    今年の醤油の原料は1回目は大豆と小麦、2回目は黒豆と裸麦、3回目は黒豆と小麦です。
    1回目の味は薄い。
    昨年の大豆とヒエがおいしかった。
    搾るのは男二人がかりです。
    1回目は今日も終わりませんでした。

    棚田を作ってます。
    思ったようには行きません。
    それでも今は重機があるから早く出来ますが、昔は本当に大変だったと思います。
    重機が無い時代はひたすら手で作業をしてたのでしょう。
    頭が下がります。
    それでも生きていかなければならなかったので、そんな事を言ってる間もなかったでしょう。
    何代にもわたって仕事の積み重ねが棚田なのだと思います。

    梅ノ木の選定が面白いのです。
    今まで選定がこんなに面白いとは思っていませんでした。
    今年は娘たちが中学校の横でブルーベリーを始めます。
    剪定をしてたのですが、取りやすいところを残すとの事でした。
    これは目からうろこでした。
    そもそも剪定の本はあります。
    ところが剪定の本を書く人はプロです。
    剪定の仕方も色々あって、かえって的が絞れません。
    用は取りやすいところを残す。
    これです。
    アマは失敗してもいいのです。
    こういう風に考えると楽なのです。
    もちろん今までにも剪定はやってますから、基本は出来てるのですよ。
    間違わないように。
    基本が出来てから、好きにするです。
    基本もできて無いのに自分の思いどうりにやると失敗するでしょう。
    木は失敗するととんでもない損傷を受けます。
    ナシの剪定で強引に切り込んだら木が死にそうになりました。
    木を切る場合も切り方によっては木は死んでしまいます。
    木にもよります。
    自然との付き合いはマニュアルどうりに行きません。
    あくまでもケースバイケースです。
    ひたすら経験と勉強が必要です。
    そういう意味でもこのふりだし塾は意味があります。
    今までの私達の経験の集積、早い話が数々の失敗の集積でもあります。
    これにより現在の私達の生活があります。
    今現在、昔からの生活をしているお年よりは絶滅の危機に瀕してます。
    私達の求める生活をしている人は本当に少なくなってしまいました。
    詰まり私達も絶滅危惧種なのです。
    村にもっと自給を真剣に考える人が増えなければ、村自体も崩壊してしまいます。
    自給はある程度の人達が共同でやらなければ維持できません。
    その共同を如何にうまくやっていくかです。
    昔がいいわけではありません。
    昔も多くの問題があったのです。
    新しい形の地域共同を創生していかなければなりません。
    より多くの自給を志す方の入村をお待ちしてます。
    げたはこの大鹿村を日本のこれからの新しい生き方の手本になるくらいの村にしたいと思っています。
    古いいいものは残しますが、問題の部分は改善していかねばなりません。
    大鹿村を自給自足の村にするのが私の目標です。

  • 2014年4月4日

    醤油と油絞り。

    雨で醤油を絞ることにしました。
    醤油搾り機が古いので釘が腐食で折れてる部分が何箇所もあり修理してから使いました。
    順調に搾れて今日から自家用の醤油です。
    孫たちはこの醤油だと醤油ご飯でよく食べます。
    全部自分たちで作った醤油です。
    いまどき無農薬の材料で無添加の醤油は自分で作るしかありません。
    醤油の仕込みはもう少し暖かくなったほうが、醤油麹を作りやすいのですが、あんまり遅くなると農作業にかかります。
    油絞りはひまわりを圧縮式で搾りました。
    圧縮式の油は加熱しないので澄んだきれいな油が絞れます。
    シリンダーから搾りかすを出すのに苦労しました。
    醤油も油も時間はかかります。
    特に醤油は1日かかります。
    ゆっくり圧を掛けていきます。
    醤油も昨年は押し蓋が取れなくて苦労しました。
    油も木で油絞りを作りたいものです。
    木の方が優しい油が絞れそうです。
    構造はかんたんなのですが、作るのには1日以上かかると思われます。
    今のところは暇がありません。

  • 2014年4月2日

    畑が始まりました。

    イチゴの苗つくり、えんどう豆の種まき、鶏糞出し、いよいよ畑も始まりました。
    結局建築は終わりませんでした。
    これからは畑と田んぼが優先です。

  • 2014年4月2日

    軽トラが駄目になりました。

    今日も道の砕石入れ。
    いきなり1台の軽トラから異音。
    これはシャフトが接触して出てるものだそうです。
    修理屋はまだ仕事を続けるのなら直しても無駄なので、道が直ったら車を修理するとの事です。
    強引な運転をしないと車は上がりません。
    途中で何度やり直しをしても車が進まなくなりました。
    パンクでその上に、タイヤを止めるボルトが1本折れてタイヤを外して変えることも出来なくなりました。
    結局その車をまたもやバックフォーで引き上げ、軽トラ1台は修理代の方が高くつくので廃車です。
    今日1日の仕事でようやく車が上がってくるようになりました。
    きつい仕事ですが二人でやってるので気がまぎれます。
    山奥で生活するのは大変な事なのです。
    その大変が面白いと言えば面白いのですが、その大変の最中は面白いどころではないのも事実です。
    これだけトラブルが続くとさすがに精神的に参ってたのですが、最後の軽トラが壊れたあたりから、何と言うか吹っ切れたというか、やけくそと言うか、なんとなく楽しくなってきました。
    ここまでトラブルが続くともう言う事は無いのです。
    泣いても何も変わりません。
    もちろん怒っても仕方の無いことです。
    最後は笑うしかないのです。
    いつも口では自給自足は大変な生活だけれど、大変が面白いのだとはいっていますが、ハードな仕事で大変と、トラブル続出での大変は違います。
    実際トラブルの最中はとてもじゃないけど、楽しくは無いのです。
    今日は不思議と楽しく仕事が出来ました。
    夕方製材機も1ヶ月ぶりに正常にできるようになりました。
    製材気のトラブルで始まった今回の連続トラブルも終わった気がします。
    気持ちが吹っ切れたと言う事は、流れは底を打ったという事だと思います。
    高い修行ではありました。

  • 2014年4月1日

    ユング 「記憶、夢、思い」

    ユングの臨死体験です。

    そのとき奇妙な事が起きた。自分が、自分の何もかもが、抜け殻のようになってしまったようだった。
    私が目指したもの、望んだもの、考え、この地上の存在の全ての幻影的なものが抜け落ち、私の内からなくなった。
    それは非常な痛みを伴った経験だったが、後に何かが残った。
    今や私は、私が経験したもの、した全ての事柄、私の周囲で起こった全ての事柄だけを持つもののようだった。
    それらは私と共にあり、それらが私の全てだった。
    私はそれらからなり、自分の歩んできた人生から成る者であって、非常な確実さを持ってそれを感じた。
    それが私だった。
    私は私としてかってあった者、かって成し遂げたものの総計だった。
    この経験は私に、大きな欠乏の感覚をもたらしたが、同時に非常に満たされた感覚をもたらした。
    もはや何もほしいと思わず、何も望まなかった。
    客観的対象としてのみ私は存在していた。
    私はかって歩み、生きたもの以外の者ではなかった。
    当初、これは何かが抜け落ち、取り去られたという消滅の感覚だったが、突然、それは何かの結果ではなく、元からあるものになった。
    全てが過去のものに思えた。
    あるのは単にそこにある既成事実だった。
    もはや何かが抜け落ちたとか、取り去られたという悔やみはない。
    むしろ反対にかって自分として本当に持っていたもの全てを私は持っていた。
    現実に3週間ほど経ち、私はもう一度生きようと決心することが出来た。
    食べる事はできなかった。
    どんな食物も受け付けられなかったからだ。
    また私の病床から見える町や山々は、私には点々と黒穴のあいた、絵柄カーテンのように思えたし、意味の無い写真をちりばめたボロボロの新聞紙のようにも見えた。
    失望だ、と私は思った。
    「もう一度ボックスシステムに戻らねばならない」
    というのは私には宇宙の地平線の向こうにには3次元世界が人工的に造られていて、その世界の人々はおのおのの小さな箱の中で事故と対座していると思われたからだ。
    これこそが重要だったと、異な自分を納得させなければならない。
    かっては人生と全世界が牢獄のように私を打ちのめしたものだ。
    それらを秩序あるものとして理解すべきだという考えが、私をひどく悩ませた。
    それら全てを脱ぎ捨てて、私はあのように喜んでいたのに、今また他の人と同じようにはこの中に糸で吊るされようとしていた、、、、、。

    この独特の経験ののち、ユングは死後の世界を思うことは完璧に正常であり、病的ではないと思ったと書いている。
    むしろ彼は、死後の生命や神を思わない人のほうが病的だという。

    どうですか、理解できたでしょうか。
    理解は難しいですが、死とは私たちが思ってるものとは違う可能性は大きいと思われます。
    たぶん死についての恐怖こそ、私達に植え付けられた最大の思い込みと言うより、罠なのかもしれません。
    死の恐怖を持たない人を支配する事はできません。
    お金に価値観を持たない人を支配する事ができないのと同じ事です。
    と言う事はお金に価値を見出すのも大きな罠なのかもしれません。
    考えるのはあなたです。
    臨死体験者の多くは死を恐れなくなります。
    生き返ったとたんに、医者に何で生き返らせたんだと怒る人もいるくらいです。
    死は避けるものではありません。
    いつかあなたに確実に来るものです。
    私達は神のことを追求するのと同じように、また死をも追求しなければなりません。
    死を乗り越えたところに神はいるのでしょう。
    この神は、特定の名前のある神様ではありません。
    神様の事を知らない人がなぜ神様に名前をつけることが出来るのでしょう。
    神様の名前でけんかをしたり殺し合いをするのは考えられません。
    神様のことを知らないからこそ、けんかとか殺し合いはあるのだと思います。

  • 2014年3月31日

    大変な1日。

    今日は1日道路の砕石入れ。
    朝砕石を取りに行ったのですが、行きから異音がしてたのですが、帰りの登りで異音が大きくなり止って調べても異常は見つかりませんでした。
    今日から手伝いに来ているイナッチが後ろの軽トラを運転してたのですが、再度出発した直後警笛で止まると、タイヤがおかしいとの事。
    急いでタイヤを調べると、タイヤのナットが落ちる寸前。
    重い砕石を摘んでるので積載のジャッキでは上がりません。
    取り合えずもう1台の軽トラで家まで帰ったのですが、荷物を積んだ軽トラは余計上がりません。
    何とか砕石を道路に撒いて、昼ごはんも食べずに故障の軽トラのところに戻る。
    タイヤを入れ替え、その軽トラの砕石をもう1台の軽トラに半分載せて、また2台の軽トラの砕石を道路に撒いて、撒いても撒いてもズルズルの道は良くなりません。
    その上撒き終わった軽トラが今度は途中で上がらなくなり、そこで昼食、
    昼食が終わったのは3時40分。
    それから2台の軽トラをバックで引き上げ。
    その後に帰ってきたひろみちゃんの車を引き上げ。
    結局1日に3台の車を引き上げました。
    今は車は上がれません。
    寒さのせいで凍結深度が深いため、下まで氷が解けないと車は上がりません。
    1週間は車は上がらないでしょう。
    さて今日で3月は終わりです。
    この機械のトラブルが今日で終わることを祈ります。

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