• 2014年10月18日

    イモ類の保存。

    霜対策で大量に収穫したものを保存しなければなりません。
    イモ類はサツマイモは干して、泥を落として、一番暖かい部屋に移動、この部屋でなおかつ毛布とかを真冬にはかけて保存します。
    サトイモも同じ、カボチャはそのまま同じ部屋で保存。
    この部屋はマイナスにはなりません。
    しょうが、ウコンは泥を落として同じ部屋に入れますが、ショウガは長期の保存は出来ません。
    ショウガは最後は干してその後に粉にして保存します。

    新米をまだ食べてなかったので、籾摺りでモミを落として、昼食に新米をいただきました。
    感激の味です。
    甘いんですよ。
    お代わりまでしました。
    おかずの、唐辛子の葉っぱの佃煮がまたおいしい。
    唐辛子としし唐の葉っぱは佃煮にします。
    花と小さな実も入れます。
    醤油と砂糖だけでこれだけの味が出るのかと思います。
    これは農家だけが食べれるものです。
    籾摺りはついでにコキビ、オーツムギもしました。
    そのついでに唐箕かけ。
    ヒマワリ、小豆、アワ、などを唐箕にかけました。
    唐箕は風を送り、実は下に落ち、軽い葉っぱやごみは飛んでいきます。
    この作業は全ての雑穀類、豆類の脱穀の後におこないます。
    機械の脱穀機は唐箕の機能も付いてるので、脱穀と唐箕の作業を同時におこないます。
    ふりだしでは、大量の麦と米は機械の脱穀機を使いますが、少量の雑穀類や豆類は足踏み脱穀機と唐箕の作業になります。
    時間は10倍以上かかります。
    そのために現在雑穀類や豆類を栽培する人がほとんどいなくなってるのです。
    手作業で10倍以上の時間を掛けて、機械を使った雑穀や豆類の値段に準じた価格で売るしかないのです。
    誰も作らなくなるのは当たり前です。
    大規模な農家だけがそれに対応できます。

  • 2014年10月16日

    霜対策。

    明日霜の可能性が大きいので夏野菜を収穫しました。
    少し小さいのや、まだ熟しきれないものも取ります。
    霜が来るとかなりの作物が駄目になります。
    豆類は全部、雑穀も全部、夏野菜も全部、その他にも霜の程度により、ヤーコン、セロリ、ブロックリー、エゴマ、などにも被害が出ます。
    サツマイモも、サトイモも、ショウガもウコンも保存がうまく出来なくなります。

  • 2014年10月15日

    ひまわりの種の殻

    ゲタさん、返事をありがとうございました。私は殻をそのまましぼっていました!ということは種の殻を取ってから搾るということですね。でも、どうやってあんなに大量の種の殻をとっているのでしょうか!?何か道具があるのでしょうか?

    秋の陽だまりは1日参加できると思うので、その時にまた詳しくお聞きします。

  • 2014年10月15日

    加藤美野里産からのメールを転載します。ヒマワリ油についての質問です。

    げたさん、お久しぶりです。ひまわり油のことで教えてほしいことがあるのです。

    なかやさんの大家さんの搾り器で搾ったら全然油が出てこず、少し炒ってみましたが、やはり搾れませんでした。

    ゲタさんは、ヒマワリの種を割ったりしてから搾っていますか?

    私も量を絞りたいので、下駄さんちの物と同じ物を買おうとおもっていますが、オランダ製の21280円のしぼり機で合っていますか?

    一度搾るのを見てみたいのですが、春の陽だまりの時は用事があって出かけなくてはならず、搾るところを見られなかったのです。秋の陽だまりでも実演してくれないでしょうか?

    こういうことなのです。
    つまり、圧縮式の油搾り機では油が搾れなかったそうです。

    これについてはまず考えられるのはヒマワリの問題です。
    ヒマワリを殻ごと搾ったのではないかと思われます。
    それかヒマワリの収穫時期を間違って殻の中身が充実していない。
    圧縮式の場合は炒る必要もありません。
    生のままで搾れます。
    と言うより、圧縮式なら生で搾るべきです。
    熱をかけると酸化しやすくなります。
    ヒマワリをオランダ製の回転式といえばいいのですかね、2万何ぼのやつです。今は1万9千何ぼもありますよ、でやる場合は炒らなければならないし、
    いる時間も大事です。
    少しパチパチ跳ねるころ、時間にして約5分が適当です。
    炒りすぎても、生でも絞れません。
    回転式はうまく搾れるまで試行錯誤です。

    秋の陽だまりマーケットで再度実演をします。

  • 2014年10月11日

    台風対策。

    大型の台風がもろに来る可能性があります。
    明日は運動会ですが、げたは残り台風対策です。
    今日も台風で倒れる可能性のあるヒエの刈り取りをしました。
    ヒエはまだ緑で完熟してません。
    今年はほとんど全部の雑穀類は早刈りです。
    残る雑穀はタカキビとヒエですが、これはもう全部倒れるでしょう。
    タカキビも場だ収穫には早いのですが。
    ヤーコンも倒れるでしょう。
    花豆が心配です。
    今まで台風のたびに倒れています。
    今年は改良して高さを低くして幅を広くしたのですが、これで持つかどうかは分りません。
    後は小屋類がどうなるかです。
    過去の台風では屋根のトタンが飛んだりしています。
    干してる稲も倒れる可能性はあります。
    ただ台風対策といっても、倒れる前に収穫する以外には方法はありません。
    稲の主力が終わってるので、米に関しては大して問題はありません。
    後は家がどうなるかです。
    今日はエゴマも収穫しました。
    昨日は玉ねぎ苗の定植と、ニンニクの種植え。

  • 2014年10月10日

    ゲタさんありがとうございます

    自給自足生活に関しては全くの未経験でど素人なので、反論したり否定をしたりする気などは毛頭ありませんし、
    全て言われた通りにやらせて頂こうかと思っています。
    都会の生活にはもうこれ以上先がないと思いますし、何か一つでも掴んで帰れればと思っています。
    シルバーバーチの霊訓は一巻が特にお勧めです。
    読む人を選ぶ本ですが、ゲタさんならきっと手ごたえを感じて頂ける内容だと思います。
    私も本は沢山読んで来ましたが、何回読んでも飽きない本は初めてです(笑)。
    それでは近い将来お会いできる事を楽しみにしております^^

  • 2014年10月9日

    古代米の稲刈りと、サツマイモ堀り。

    自然農風の田んぼの古代米の収穫と、水口で登熟の遅れていたアキタコマチの刈り取りをしました。
    まだ自然農の田んぼには、イセヒカリとハッピーヒルが残っています。
    ふりだしの家の田んぼもまだまだ稲刈りは無理そうです。
    10月末になりそうです。
    サツマイモは少し早すぎたみたいです。
    ベニアズマは太ってましたが、シルクスイートとパープルスイートはまだ太ってませんでした。
    昨年は10月末に収穫でしたが、少し勘違いで早く掘ってしまいました。
    この後に人が減るので、いそいでしまいました。
    まゆみちゃんとボーイフレンドのくまさんが来てくれるのが確定したので、一安心なのです。
    10月半ばに来る予定の方が来なくなったので、こういうことは続くので、彼女たちも来るかどうかは分らなかったのです。
    これで10月末も3人の手伝いが確保されて安心です。
    なにしろ昨年も10月は突然失踪事件なんかもあって、人がいなくて大変だったのです。
    食欲の秋であまりに食べ物がおいしいのでみんな少し食べすぎぎみです。
    くりとキノコがいっぱいです。
    くりご飯と、クリタケご飯は本当においしいのです。
    お代わりしないのは不可能なのです。
    小食にしましょうと書いた直後なのですが、つい食べ過ぎてしまいます。
    まあ私達のは自分で作ったものなので、少し食べ過ぎても問題は無いと持っています。

  • 2014年10月9日

    パグさん投稿ありがとうございます。

    ここは本来掲示板なのですがほぼ投稿はありません。
    げたが投稿をチェックしないので未確認の投稿もあるかもしれません。
    基本そのときの気持ちを書いてるので、後から書いたことを反省したりもするのですが、記事の訂正はしません。
    「シルバーバーチの霊訓」は読んだ事はありません。
    非常に興味がでましたので早速ネットで探して見ます。
    感想を書いた本を買って読んでくれる人がいるのが具体的に分ったのはうれしいです。
    ここで書いてる割には、ふりだし塾へ来る人は増えないので、ここで書いてることがかえって来る人を減らしてるのかもしれないとは思っています。
    それでもうそは書けませんから、仕方ないとは思っています。
    40過ぎでもこちらの指示に従ってくれるのでしたら問題はありませんよ。
    ようはふりだしに戻って、ゼロから再出発していただければいいのです。
    自給自足に関してはこちらは長年やってるわけです。
    長年やってるからといって一番いい方法でやってるとは思っていません。
    基本面倒くさがりやなので、より良い方法があっても、そのやり方がなれてますし、より時間がかかったり、面倒なやり方はやりません。
    つまりふりだしでやってる事は、一つの例であって、それを間違ってるとか言われても困るわけです。
    若い人は相対的に素直なんですが、年が上がるほうが素直で無い傾向はあります。
    これはあくまで相対的なものです。
    文章からの感じは、すっきりしています。
    どうぞ何時でも来てください。
    本を読んでる人との話は楽しいものです。

  • 2014年10月8日

    はじめまして

    ゲタさん、はじめまして。
    ブログをいつも楽しく拝見しています。
    ふりだし塾の思想にも共感を覚えております。

    普段はロムっているのですが、昨日の記事に大変共感しましたので、思わずコメントを入れてしまいました。
    これは本気で人生を真剣に生きたいと思う人なら、絶対に避けて通れない問題だと私も思っています。
    過去にゲタさんが紹介された、「死後の世界が教える人生は何の為にあるのか」
    「あの世に聞いた、この世の仕組み」「アナスタシア」等も読みました。
    他にも「ビジョン」「黎明」等、色々読みました。

    “甘いぶどう”が欲しくて長い間散々探し求めましたが、私が最後に行き着いたのは「シルバーバーチの霊訓」でした。
    結局、一番最初に手にしていた本が、一番探し求めていた物でした。
    他の本もそれぞれ素晴らしいのですが、正直な所、この本を読んだ時ほどの深い感動は生まれませんでした。
    しかも、何回読んでもその感動が消えないどころか、ますます深まるのです。
    本当に不思議な本です。

    ゲタさんはスピリチュアルという単語があまりお好きではないかと思いますが、もうお読みになりましたでしょうか?
    ゲタさん程の読書家ならもうとっくにお読みになっているかもしれませんが、聡明かつ先見の明がある方がこの本を読んだ時に、
    どんな感想をお持ちになるのか以前から気になっておりました。

    単純に興味本位で書き込みをしてしまってすみません。
    いつかブログで、読後の感想を読む事が出来たら嬉しいです。
    ふりだし塾にも、近い将来、お手伝いに伺いたいと思っています。
    40歳と若くないので、参加資格はないかもしれませんが…^^;
    もし宜しければ、その際は何卒宜しくお願いいたします。

    それではこれからもブログの更新や、ふりだし塾の今後を楽しみにしております。
    失礼いたしました。

  • 2014年10月7日

    3界の狂人は狂せることをしらず。

    立花隆 生、死、神秘体験より。
    人でも生物でも自分が知ってる世界だけが世界の全てだと思ってしまう。
    自分に見える世界だけが世界の全てだと思ってしまう。
    知らないものを「ない」といい、見えないものを「ない」といってしまう。
    正しくは「ない」ではなく「私は知らない」または「私には見えない」というべきである。
    しかし人間は知らないことを知らないままにしておく事には耐えられない動物である。
    知らない事は何とかして知ろうとする。
    しかしどんなに努力してもわからないということはあるものだ。
    原理的にはそれを知る事が不可能というものがある。
    しるほうほうがないということがある。
    その場合健全な立場は不可知論に立つことである。
    わからないことはわからないとすることである。
    分らない事については判断中止(エポケー)をすることである。
    しかし人は中々そういう健全な立場を取る事ができない。
    そしてイソップの「すっぱいブドウ」のキツネの立場をとりがちである。
    自分がとることのできないブドウはすっぱいのである。
    幾ら知ろうとしても分らない事は、知る価値が無いことか、そもそも存在しないことにしたいのである。
    人間の場合は手に入らないものに対して、もう一つ別の心理的対応がある。
    すっぱいブドウに対して「甘いブドウ」の立場とでもいったらいいだろう。
    手に入らないものがいい物かどうか分らないのに、
    それはとてつもなくいいものだと思い込み、
    より一層欲しがり、あこがれてしまう事である。
    しかし死は全ての人に一歩一歩確実に容赦なくせまってくる、
    死がまじかに迫ってくれば、
    誰でも死に付いて考えないではいられなくなってくる。
    エポケーなんてのんきなことを言っている場合ではないと言う気がしてくる。
    年を取ると誰でも自分の死について考えずにはいられなくなってくる。
    死とは何なんだろう。
    人は死ぬとどうなるのだろうか。
    何らかの意味で死後の世界はあるのだろうか。
    それとも死は単に存在の消滅にすぎないのだろうか。
    存在の消滅とはどういうことなのだろうか。
    と次々に死に関するさまざまのぎもんがわいてくる。
    死は人生最後のライフステージである。
    あるライフステージから次のライフステージに移るとき人は通常不安と緊張でいっぱいになる。
    しかもこの死という人生最後のライフステージに関してだけは先輩を見て学ぶと言う事ができない。
    死にいたる過程は見ることが出来ても、死そのものは観察できない。
    もちろん経験者(死んだ人)が教えてくれると言う事も無い。
    手引書があってもその内容が本当かどうかは分らない。
    体験を共にしてくれる仲間もいない。
    人は皆いつかは自分の死を一人で死ななければならない。
    死は絶対的な孤独の中でただ自分とのみ向き合うなかではじまり、完結する。
    それは人生の中でもっとも孤独な体験である。

    はい、考えてくださいね。
    孤独の中で。
    ごまかす事は意味がありません。
    何らかの解決策を見つけておかないといざというときには間に合いません。
    もちろんそのほうが良いのかも知れませんが。
    若い人もいつまでも死の恐怖と共に生きていくなら、何らかの解決策を見つけておいたほうが楽に生きて行けます。
    「甘いブドウ」でも自分が信じきれるのならそれもいいと思います。
    不可知論ではこれは解決できません。
    甘いブドウかすっぱいブドウかの選択しかありません。
    不可知論では生きていけないのです。
    救われないのです。
    それでも不可知論にしか生きていけない人は本当に救いようの無い人なのです。
    不可知論に生きるとはかくも壮絶な生き方なのです。
    無理しないほうがいいのです。
    それでも自分をごまかす事が出来ない人は孤独な救いの無い人生を精一杯生きるしかありません。
    救いはあるかもしれません。

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