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本当は非生産的なことが好き。
徴農制、意外と反応がありました。
ありがとうございます。
一人でもやはり反応があるのはうれしいね。
そうなんだよケイショウ、げたは基本的には、ここに一度でも来た人を対象にこの文を書いてるのです。
現実はこんなもんなんですよ。
げたはショッチュウめげています。
きれいごとだけでは、自給自足を持続は出来ません。
げたは本当は非生産的な事の方が好きなのです。
非生産的な事を良く言うと文化的といいます。
文化とは食べて寝て、なおかつ余裕が無いと出来ません。
多くの文化といわれてるものが,支配する人たちか、お金を持ってる人たちから生まれるものです。
私達、生きるのが精一杯な人たちには、憂さ晴らしか、息抜きぐらいしか余裕はありません。
それでも時々地面に這いつくばった生活を一時でも忘れたいものです。
そこから庶民の文化は生まれるのでしょう。
本当は南の島で、のんびり暮らしたいのですが、どういう訳かこんな寒い山奥に住んでます。
自分のやりたいことをやりましょうといってるわりには、人生そうは行きません。
自分よりももっと大きな流れがあって、それには逆らえません。
時代がこういう風に生きるしか仕方が無い時代なのです。
地球の状況は待ったなしです。
自分はとりあえず置いといて、納得いかなくても、とりあえずはこんなもんかなでやってます。 -
夜分遅くに失礼します
ゲ
タさん、お久しぶりです。2011年の5月に少しだけふりだし塾を体験させて頂きました、広島県のケイショウと言うものです。実はあれから、すっかりゲタ
さんのブログファンになり、毎回ほぼ欠かさず読ませて頂いておりました。今更な感じもあり、まともに挨拶も出来ず恥ずかしい事ですが、いつもありがとうご
ざいます! 僕がふりだし塾に御世話になれたのも、友達の伸くんのお陰です。 徴農制、僕も前から思っていました。自分の兄が自衛隊だったということもあ
り、どうにかして広げて、そのような流れになって欲しいししていきたいです! no
futureから農futureに出来るように僕も出来ることしていきたいです! -
徴農制を提唱します。
立川談志は面白い。
さすがに落語協会を向こうに回して、孤軍奮闘するだけはあります。
ガキなんかぶっ飛ばしてしつけるしかないんだなんて、大いに共感します。
つまりげたも彼も古いのです。
自分たちはそのように躾けられ、何とか今日があるのですが、現在は躾けられていない人たちが、すでに大人になって、子供を作ってる状況です。
自分の事さえまともに出来ないので、子供のことは全然まともに出来ません。
もちろんまともの基準が、皆さんとは違うのですが。
現在は大人になって無い人たちの(幼児文化)であると彼は言ってます。
もっともだと思います。
幼児の一人として申し訳ないとは思います。
すでにじさまや、ばさままで幼児のままという現状です。
つまり、何にも考えず、自分の事には責任を持たず、自分の事しか考えない人たちということです。
げたが自分も幼児に含めるのは、自分のことを最優先する、反省しない、責任は取るのですが、その責任の取り方が一般的ではない、まだまだあるとは思いますが、決して大人だとは思ってはいません。
それでも、現在の幼児文化に対しては、やばいなあとは思っています。さて、現在大鹿村をはじめ全国の過疎といわれてる地域は崩壊の危機にあります。
政府はそれに対して方針を出していますが、言葉ばかりで本気で解決する気はなさそうです。
それどころか、彼らの政策は明らかに地方を切り捨ててます。
消えるところは消えればいい。
これが彼らの本音でしょう。
昔は国敗れて山河ありでしたが、今回は国敗れて山河もなしになりそうです。
彼らは自分たちの利益のために、国を売ろうとしています。
農地も水源も売ろうとしています。
これに対応するためには、多くの若い人達が田舎に逆流していかなければならないのですが、未だにその流れは小さいものです。
なおかつ、ほとんどの人たちがその現状をわかっていません。
どのようにお米が作られているのかが全然伝わっていません。
田舎が崩壊すると、日本全体が崩壊するという事実を認識してません。
これの一番の問題は、勉強できる人たちが社会の一番上に居る事です。
勉強しか出来ません。
ほかの事を何もしていないので現実を理解していません。
もちろん勉強をしなかった人たちの多くも現実を理解していません。
皆さん虚業に従事しているので、実業のことを理解していないのです。
虚業の別名をバブルといいます。
現在バブル真っ盛りです。
何度こけても懲りないみたいです。
まさかまたまたバブルになるとは思っていませんでした。
それでも今回が最後でしょう。
これがはじけるまでは待てません。
あらゆることで限界になっています。
私達の世界は袋小路にはまったままです。
出口は見つかっていません。
このまま行けば全面崩壊は免れません。
なにしろメルトダウンした原発が国内にあり、そのメルトダウンした原発の中心部がどうなってるかもまだ分かっていないのに、再稼動しようとしています。
そしてその政府に信任を与えてしまったのです。
TPPも、秘密保護法も、憲法改正も、解雇が簡単になる事も、日本の財産をアメリカに渡す事も、その他の全ての政府の政策を信任してしまったのです。少し脱線しました。
元に戻します。
この若い人達の再教育に談志は軍隊へ送れといってます。
軍隊はいけません。
そもそも軍隊は人類には必要ありません。
所詮歴史的にみて軍隊は自国を守るより、自国民を多く殺すか。殺される状況を作るかの方が圧倒的に多いのです。
それに変わるものとして、徴農制を提唱します。
徴農製というより、徴一次産業制といったほうがいいとは思います。
つまり学校が終わった若い人達は最低1年間は一次産業に従事しなければ、他の仕事に就けなくするのです。
もちろん一年間やればいいという物ではありません。
一年やって、その産業の人によくやったと認められなければ再度もう一年間の延長もありなのです。
何年でも認められるまで他の仕事には就けません。
こうしなければ、真面目にやりませんから。
これは社会を根本から変えます。
みんなが実の仕事の大変さと、実情を理解する。
国が変わります。
田舎もにぎわいます。
多くの若者がそのまま田舎に残るでしょう。
いいアイデアだと思いますが、無理でしょうね。 -
雪が多すぎます。
例年だとようやく根雪が積もりだす頃ですが、今年はすでに12月の初旬から根雪です。
木も切り出せません。
手もまだ治ってません。
傷めた手で雪かきしなければならないので手は治りません。
車で雪かきをするのに、大きな三角板、つまりガードレールを三角に溶接して、雪をかいていく道具を、車の後ろから引っ張って道路の雪かきをするのですが、
当然ですがこの雪かきは重いのです。
軽いと浮いてしまいます。
この三角板を軽トラで引いて雪かきをするのですが、最後にこの三角板を軽トラに載せなければなりません。
そのまま引いては帰れません。
これが重いのです。
手だ大丈夫なときでもきつい重さです。
他の人達は部落で一人が引けばいいのですが、ここではげたが引くしかないのです。
変わりは娘のだんなが居るときはやってくれますが、今年は彼は居ません。
文句を言う相手もいません。
黙って引っ張るしかないのです。
手は治らないでしょう。
今年の冬は使い物にならないでしょう。
その後もどうなるか分りません。
考えてもどうしようが無いのです。
下手をすればかなり手を傷めることになるのでしょうが、先の事は考えません。
今は他に方法がありません。
冬は厳しいのです。 -
エゴは本当に棄てなくてはいけないものでしょうか。臨死体験者アニータサンの本より。
彼女の本の最後に載っている実技応答です。
問、スピリチュアルな道を歩んでいるほとんどの人は、エゴがスピリチュアルな成長の邪魔をするので、エゴを追い払うべきだと信じています。
あなたがそのように主張しないのはなぜですか。
彼女の答、
もしエゴを否定すれば、それはもっと強く押し返してくるからです。
何かを拒絶すればするほど、それは生き延びる為にもっと反撃して来るでしょう。
でも、無条件に自分のエゴを愛し、この人生で自分を表現するための一部だと受け入れることが出来れば、もはやエゴは問題でなくなります。
それはあなたの成長を邪魔するどころか、役に立ってくれるのです。
私達はみんなエゴを持って生まれてきます。
それはこの世での本当の自分の一部なのです。
死んだ時、私達はエゴから完全に解放されますが、生きている間はエゴと闘うほど、自己批判に苦しむでしょう。
私達が自分のエゴを無条件で愛したとき、始めて他人のエゴも受け入れられるのです。
そうすれば、エゴはもはや問題ではなくなり、あなたの謙虚さや素晴らしさが輝くようになるでしょう。どうです、彼女の意見を全面的に支持します。
そもそもスピリチュアルな人たちなんてのは何でしょう。
げたは断固としてスピリチュアルではありません。
エゴを捨てるというのはそういうことでゃありません。
そもそも捨てる必要はなくなるのです。
自然になくなったときは、それでいいのです。
エゴがあるうちは大事にしましょう。
エゴも自分ですよ、少なくても今回の人生では。
それを否定してどこに行くのです。
げたも若いときにインドとか色んなところで修行をしてましたが、最終的に止めました。
修行する人たちとどうしてもなじめなかったのです。
彼らに比べると、飲み屋で飲んで人のことをバカヤローと叫んでるおじさんのほうが近くに感じるのです。
今は無農薬で野菜を作ってますが、無農薬の野菜を買ってくれる人よりも、農薬の掛かった野菜を買ってる人達のほうが近くに感じるときもあります。
理由は分りません。
何となく気に食わないとしか言いようが無いのです。
作物を作って、食べて、糞をして,寝る、これで十分です。
何が問題なのでしょうか。
自分が問題で、そこからどう展開できるのでしょうか。
自分に自信を持ちましょう。
自分を好きになりましょう。
そこからが全てのスタートです。 -
またまた大雪。
朝起きるとすでに30センチを越していました。
1日雪かきでした。
女の子が27日から来てます。
久しぶりに仕事が進みます。 -
臨死体験が教えてくれた事。
アニータさんの本は臨死体験の体験記ではありますけど、人生の生き方の大きな参考になる本でもあります。
彼女が臨死体験で得たことは、彼女の表現力が豊かなので分りやすく語られてます。
状況が悪いとか問題が起きたときは、普通外部に働きかけますが、彼女は外部に働きかける事でエネルギーを消耗してしまうといってます。
その場合は内部に働きかけるといいそうです。
内部に働きかけるとは、たぶん、問題が起きてるときは、自分の中の恐怖とかが働いてる状態なんではないかと思います。
恐怖のために防御体制に入ってしまう、その防御がかえって状況を悪くしてるのだと思われます。
南部のその恐怖を如何に手放すかが、ここではポイントになります。
または防御してる状態は、その相手なり、状況とのエネルギーの流れを遮断してる状態です。
ここは少し理解が難しいかと思います。
ともかく試してみてください。
内側に働きかけるということです。
それ以外にも日常の中で如何に存在するかということについても分りやすく書いてます。
彼女はマスターになろうとはしてません。
彼女はただ、自分が臨死体験で得たものを、如何に分りやすく話をするかに専念してます。
彼女はただ自分の経験を、他の人達と共有したいだけなのです。
それが余計にこの体験を貴重なものにしています。
同じ体験をしても、このように表現できる人が現れたことをうれしく思います。
ともかく読んでみて下さい。
実を言うとげたはまだ全部を読み終わってません。
普通は読み終わってから本の紹介を書くのですが、この本の素晴らしさについつい書いてしまうのです。
また全部を読んで、自分で消化し切れたら、その時にまとめの文章を書いてみます。 -
期限切れの焼きソバ。
おなかの調子がおかしいです。
昼に期限切れの焼きソバを食べさせられました。
賞味期限が11月12日、1ヶ月半以上経過してます。
何とこれが2袋、つまり6食分残ってました。
何日か前にも食べさせられて、どんなにやめようといっても聞いてくれません。
彼女は自分が変だとは思っていません。
何で駄目だの一点張りです。
先ほど拒否宣言をしてきました。
食べるのならどうぞ自分で食べてください、げたはもうこれ以上は食べませんと言ってきました。
何でこんな事でけんかをしなければならないのか分りません。
世の中変な信念を持ってる人は多いのです。
彼女は下手をすると賞味期限1年を経過したものでも平気です。
腐ってなければいいと思ってるみたいです。
あくまでも、食べないといってるげたが悪いの言い方です。
信じられます。
でも世の中はこんなもんですよ。
みんなけったいな信念を持ってるのです。
そして他の信念は認めません。
彼女の怖いところは自分はおかしく無いと信じ込んでるところです。
げたは自分が変だと自覚してます。
もちろん自覚してますが、多くの場合は変を押し通しますけど。
似たようなモンではあります。
二人だけでも問題は山積みです。
他の人と付き合うのは大変な事です。
疲れます。
今日の晩御飯は抜きです。
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バッテリーのメンテナンス
バッテリーのメンテナンス参考になります。
ありがとうございます。それはそうと、娘さん美作に住んでらっしゃるんですか!ぼくも美作です。
お近くにお越しの際にはぜひお立ち寄りください。楽しみにしています。
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臨死体験で末期ガンが治った。
「喜びから人生を生きる」、副題臨死体験が教えてくれたこと。
ナチュラルスピリット、1600円。
すでに臨死体験研究家と言ってもいいくらい、最近臨死体験、あの世についての本を読みまくっています。
最近は映画を見ても死に対して入れ込むことが出来ません。
映画では死は悲しい永遠の分かれであると描かれてるわけです。
こちらは死に対して、それほど大げさな事ではないと思ってるわけです。
感情移入が出来なくなってしまってます。この本は末期ガンで一度死んだ女性が向こうの世界で体験した事によって、こちらの世界に帰ってきてから、ガンが奇跡的に治った話です。
これについてはわざわざアメリカから医者が彼女の住んでいた香港にまで行って検証して証言をしてます。
つまり彼女は間違いなく末期ガンで、臓器不全で一度死んで、信じられないことにまた生き返ったのです。
最近読む本のほとんどは、医者が臨死体験をした人から聞いた話を集めて検証している本が多いのです。
悲しいことにもしげたが、臨死体験の事例を集めて公開しても誰も見向きもしません。
やはり専門家と言う肩書きが無いとみんな信用しないのです。
もっとも、死の専門家なんて居ないのですが。
本来ならば宗教がこれを担当してたわけなのですが、ほとんどの宗教はすでに死んでます
死の専門家である宗教がすでに死んでしまってるなんて、冗談みたいですが本当です。
彼らに幾ら聞いても本当のことは答える事ができません。
死に付いては自ら探究していくしか方法はありません。
慰めてもらっても何にもなら無いのですよ。
死と直接対面するのは自分自身なのです。
人の死に対しては、他の人は何も出来ないのです。この本がなぜこんなにいいのかは、彼女がインド人だからかも分りません。
普通は臨死体験のほとんどの本は西洋人です。
西洋人は古いかな、欧米人かな。
彼らの記録、特にアメリカ人の記録に偏ってますから。
最近は世界的に臨死体験を報告するサイトが出来て、この本に出てくるアニータさんも、そこに報告したのが始まりです。
彼女の体験は非常にリアリティーがあります。
一番面白いのは、彼女がニュウエイジ的な、ポジティブとか、心の持ち方でガンが治ったのではないと明確に言ってることです。
ニューエイジに毒された欧米の人の報告はどうしても、そこから離れられないみたいです。
今やニューエイジはキリスト教と同じほど欧米の人たちの精神を侵しています。
もちろん日本人の中の目覚めたと言ってる人たちや、精神的とか、スピリチュアルなんていってる方々もほとんど同じようにこの精神の病に感染している状況です
その点彼女はインド人です。
哲学的な捉え方がしっくり来ます。
是非読んでみて下さい。
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