• 2015年2月15日

    ベランダの床を張り始めました。

    長らく停滞していた建築ですが、ようやく動き始めました。
    何しろ手伝い1人のみでは仕事になりません。
    げたも昨日から仕事を始めました。
    手はまだ治ってませんが、左手主体に何とかできることをやってます。
    現場にいないと仕事が進みません。
    現場で仕事をしないわけにはいきません。
    ぼちぼちやります。
    ベランダの床の板を張り始めました。
    急に景色が変わります。
    ベランダっぽくなってきました。
    何とか屋根を完成しないと畑をはじめることが出来ません。
    山奥では無理を承知で、やらなければならない時は、やるしかありません。
    先の事は先に考えます。
    手がまた悪化したらそのときです。
    左手だけで出来る仕事はありません。
    どうしても右手も使います。
    ボロボロになったら、またその時に考えます。
    何しろ、色々うまくいかないのです。
    3月になれば手伝いが増えるので、彼らしだいではあります。

  • 2015年2月13日

    自然放射線と人工放射線の違い。

    これに関しては多くの人が関心があると思うので、もう少し詳しく書きます。
    人工の放射線が遺伝子を損傷するとかよく言われますが、正確に言うと、染色体の末端部にあり、染色体を保護しているテロメアの足がでたらめになるそうです。
    当然ですが人工の放射線は強くなると、細胞自体を破壊します。
    弱い放射線は体にいいといってるのは医者だそうです。
    これは、医療では多くの放射線を出す検査器具や治療機があります。
    それらに対しての無意識の安心と言うか、無意識の洗脳といってもいいかも分りません。
    そのために積極的に弱い放射線は体にいいと言ってるみたいです。
    この無意識に刷り込むのは、思ったよりも効果があるのでしょう。
    色んなところでと言うより、ほとんどがこれです。
    何度も情報を流す事により、自然に無意識に入っていきます。
    本人も分らないのに、何とナシに好感が持てる、何とナシに買う、何とナシに選択する、本人は自分の選択だと思ってますから余計始末が悪いのです。
    例えば追い詰められたがん患者は、いつもは抗がん剤は問題だと言ってる人でも、見事に医者に説得されます。
    医者の言うことを聞かないのでしたら、何があっても面倒見ませんよ。
    なんて言われたら、あなたは大丈夫ですか。
    悲しい現実ですが、現在確実にガンが治る療法はありません。
    医者の治療を拒否して、別のやり方を選択した方々も、今のところは最終的に死んでる方が圧倒的だと思います。
    ただ抗がん剤をやって無い人は、死ぬときは楽だそうですが、それも本当かどうかは確認できていません。
    放射線が遺伝子に働きかけるのは、それが放射線の仕事だからだそうです。
    放射線ナシには細胞は分裂することもできないみたいです。
    つまり自然放射能は私達の生命活動の基本なのです。
    自然放射能はどこにでも出ています。
    あらゆる自然のものは弱い放射線を出しています、
    この放射線が強く出ている野菜がニンジンとかシイタケとかなのです。
    あとは油とか、つまり人工の放射性物質をたくさん取り込むのもこれらの農作物です。
    これでキノコが何でたくさんの人工放射線を取り込んだかが分ります。
    この染色体のテロメアが、ラジウム石では長くなります。
    ウランの原石では短くなります。
    ウランの核分裂で出来る人工の放射性物質ではテロメアがでたらめに変化するそうです。
    でたらめに変化するのがどういうことかはよく分かりませんが、問題が起きるようになると理解すればいいとおもいます。
    それゆえ、人工の放射性物質の害に対しては、自然の放射性物質で直すしかないのです。
    全国のラジウム温泉は原爆症の治療に多くの効果があったそうです。
    これはバランスの問題ですから、どれだけとか、どのようにすればはケースバイケースだと思います。
    つまりいつも自然放射線をたくさん取り入れた生活をしているかどうかが大きな分かれ道になります。
    自然に生きるのがいかに大切か、今なぜ田舎に住んで自分で作ったものを食べなければならないのかがよく分かると思います。
    全世界が人工放射性物質で汚染された現状では、街での生活は、遅かれ早かれ何らかの問題がでるものと覚悟しておきましょう。
    子供だけでも何とか田舎に行かせたいでしょうが、親も付いていくしか仕方ないのです。
    選択の余地はありません。
    真剣に考えてくださいね。
    地球の運命も掛かってるんですよ。

  • 2015年2月12日

    自然の放射線と人工の放射線は違うか。

    これについては中々決着がつかないようです。
    何しろ、自然の放射線に対しては健康にいいと言うのは問題は無いように思います。
    ところが、人工の放射線については、少量は問題ない、少量はかえって健康にいい、少量でも問題であると意見は分かれます。
    そして、問題があるという人たちも、問題は無いという人たちも、それぞれ極端な論議を展開するので、正直どちらを信用していいのか悩みます。
    今回の本「自然放射線VS人工放射線」富士山ニニギ著はその問題に決着が付きそうです。
    この著者は信用が出来ます。
    また放射線が全ての遺伝子に作用して、まさにそのために放射線があるのは説得力があります。
    宮下文書なんかも出てきて、高天原なんかも出てくるので、一見するとついていけないところもあるかと思います。
    そこは、本当かもしれないし、本当で無いかもしれないと読み飛ばしても結構です。
    ラジウムの話はとても面白いです。
    彼が信用できる理由は、自分の説を煽らないです。
    これ結構大事なのです。
    ほとんどの人たちは自分の説が唯一正しいと、極端な論調で煽ります。
    第2の信用できる理由、彼は情報を全部公開してます。
    どこに行ったらラジウムの石が落ちてるか、細かく書いてます。
    結構あるのです。
    ふりだしにも、ラジウム鉱石がありました。
    どこにでも自然の放射性物質はあるのです、大鹿は他より強いので、放射性の鉱石はたくさんあるのでしょう。
    石となれば、げたは俄然元気が出ます。
    大鹿のラジウム石を見つけます。
    陶器の原料である。天草陶土がいいそうです。
    そのまま水で練って神経痛とか、怪我にもいいみたいです、水で練った陶土,つまり粘土を、塗ればいいのです。
    少し高度にシアバターと、椿油を混ぜて軟膏にして塗ってもいいそうです。
    もちろん、飲んでもいいです。
    天然の放射線を発しているものを飲むと、人工の放射性物質で損傷した遺伝子も回復するそうです。
    自然の放射線は強弱の放射線を発しているそうです。
    この波が情報だそうです。
    人工の放射線は、強弱なしだそうです。
    人工の放射線は、少しでも遺伝子を傷つけるそうです。
    あとはその人の健康しだいです。
    少しの細胞の遺伝子異常でも問題が出る人もいれば、たくさんでも中々問題は出ない人もいます。
    私達は日常的に放射線のものを食べてるのです。
    自然に栽培された農作物には十分な自然の放射線が含まれています。
    また色んな菌も人工の放射性物質を分解します。
    これだけでは十分ではないので、ラジウム鉱石を、家の中に置いておくとか、風呂にも入れます、枕の下にも入れます。
    農薬野菜もラジウム石の水で洗うと、農薬も人工放射性物質も無害に変わるそうです。
    ラジウム石は日本中に落ちています。
    あなたも拾いに行きませんか。
    石があなたを呼んでるそうです。
    この言葉は、石拾いが趣味のげたにはよく分かるのです。
    石はあなたを呼びます。
    石はあなたを選びます。
    この本は1340円。
    価値があります。

  • 2015年2月11日

    テレビ東京、「YOUは何しに日本へ」にふりだし塾の映像が見れます。

    百聞は一見にしかず。
    長らく断り続けたテレビの撮影ですが、ここに来たカナダ人のクマと真由美ちゃんが、成田で番組出演を受けて、そのままバスにカメラマンと一緒にやって来ました。
    ここまで来て追い返すわけにもいきませんでした。
    来週月曜日に第1回が放送されるそうです。
    もちろん番組の一部ですが、ここのことが少しは分ると思います。

    なお放送後は申し込みがたくさん来る可能性はあります。
    4月からの申し込みは今日女性がもう1名決まりました。
    4月は女性が3名、男性が1名決まってます。
    出来れば後2名男性の方が助かります。
    5月になれば女性もう1名可能になります。
    同時期の申し込みは長期が優先になります。
    申し込みをすれば、必ず受け入れるとは限りません。
    ホームページをよく読んで申し込みをして下さい。
    件名も忘れず書いてください。
    こちらはどのような人が来るのかが分りません。
    メールは唯一の判断材料なのです。
    特に過去に問題があったようなケースの人にはメールの書き方に特徴があります。
    こちらとしては申し訳ないのですが、少しでも問題を起こす可能性がありそうだと判断したら受入れを断ります。
    メールだけで判断するのは問題があるのはわかってます。
    それでも他に判断のし様が無いのです。
    問題を起こす人が来ると仕事は進まない、全体の雰囲気は悪くなると、本当に大変なのです。
    ここでは、こちらの言う事が間違ってると思っても、従ってもらいます。
    こちらは30年以上山奥の生活をしてるのです。
    もちろんこちらの方が間違ってる事もあるとは思います。
    それでも、命に問題が無いことなら従ってください。
    こちらに来て、学ぶ気持ちがあまり無い人でも、対応はしません。
    各自自分で責任を持ってください。
    学ばなくて時間を無駄にするのは本人です。
    またやる気の無い人には、こちらも熱心に教えません。
    全てあなたしだいです。
    よろしくお願いします。

  • 2015年2月9日

    手伝いの申し込みについてのお願い。

    今年に入ってから手伝いの申し込みに混乱が起こってます。
    まず、最初の二人は申し込みをして、来る日まで決まってたのに来なかったケースです。
    二人とも来れないという連絡さえしてきてません。
    次のケースはニックネームだけしか書いてなかったので、こちらが男だと判断しましたが女性でした。
    次の人は、自分の名前を書いていません。
    申し込みの文章から精神的に問題があると判断して断りました。
    そしたら、理由も書かずに断るのは無視してるから、断るのなら断る理由を書いてくださいとのことです。
    これも最もかも分りませんが、こちらは直感で断るときもあります。
    次は朝に1ヶ月滞在しますと申し込んで、昼に3ヶ月に変更しますとのことです、このケースは最後は結局来ない場合が多いのです。
    つまり最初からすごく軽いのりで申し込んでるわけです。
    こういう人はホームページの申し込みのお願いも読んでないのです。
    名前と年齢以外何も書いていません。

    これらの全てに言える事ですが、つまりこちらの事は何にも考えていないということです。
    ここは誰かに強制されてやってるわけでもありません。
    使命感に燃えてやってるわけでもありません。
    田舎で自給自足の生活をしたいけど、どうしてやったらいいかわからない。
    お米の作り方を勉強したい。
    みんな自分で学びたいから来てるのです。
    たくさんの人が来ますから、協調性の無い人は困るのです。
    自分の事しか考えない人も困ります。
    去年は自給自足なんか興味が無いなんて、来てから言う人まで来てるんですよ。
    じゃああなたは何をしに来てるんですかと言いたいのです。
    はっきり言いますが、何も出来ない人にご飯を食べさせ、宿舎を提供してるのです。
    一人ひとりに教えるので、同じ仕事も全員に経験させるのです。
    これ大変な事なんですよ。
    同じ仕事は同じ人がすればm説明は1回で済むわけです。
    みんなに経験させなければならないので、毎回同じ説明をしなければなりません。
    なおかつ説明だけでは出来ないので、例を見せて、なおかつ最近はそれでも出来ないので、うまく出来るかどうか確認しなければなりません。
    これを来る人ごとにやってるんですよ。
    教えるのにお金を取ってるわけでも無いんですよ。
    やはり最近申し込んできた人ですが、お金はもらえるんですかと書いてきた人がいます。
    これなんかもホームページに書いてるのです。
    ちょっといやになってます。
    適当に申し込まないで下さい。
    自給自足の生活をやる予定で無い人は、申し込まないで下さい。
    自分勝手にやりたい人は、自分で勝手にやればいいのです。
    自分なら、適当にやれば、自分に結果は返ってきますから、その人の勝手です。
    人に家に学びに来るのだから、それ相当の覚悟できてください。
    こんな山奥で自給自足をやってるおやじなんです。
    テレビで見るような、やさしい、人のいいおじさんでは無いんです。
    気難しいおやじなんです。
    変んなおやじなんです。
    ここに来るなら、このぐらいは我慢してください。
    いざ田舎に入って、隣に変なおやじがいるからといって、直ぐには引越しは出来ないのです。
    問題は自分なのです。
    自分がここでどれだけ自給の技術を学んでいくかなのです。
    教える人の人格なんか関係ないんです。
    これから田舎で生活しようというんですから、最低これぐらいは分かって無いと、田舎に定着は出来ません。
    しっかり覚悟して申し込んでください。
    甘いやつは追い出します。

    それから、メールには件名を書いてください。
    最近何も書かない人が多いのです。
    これもちょっと考えれば分る事なんですが、たくさんのメールの中から、申し込みのメールの再確認をしなければならないのです。
    件名が無いと探すのが大変です。
    申し込みは結構多いんですよ。
    断るケースも結構あるということを想定しておいて下さい。
    申し込んだら自動的に受け入れになるとは考えないで下さい。
    こちらの判断は短いメールで判断しなけれならないのです。
    だから申し込みにはたくさんの情報を書いて頂ける方が助かります。
    名前だけでこちらはどう判断すればいいのですか。
    正直言って、来たら追い返す事はほとんどありません。
    こちらも我慢して教えてるのです。
    そちらも我慢する覚悟で来てください。

    ただそれほどカタク考えなくてもいいのですが、ちょっと今興奮してまして。
    来てみると、意外に大丈夫という人が多いです。
    ここでは十分に気をつけて、文章を書いてるので、堅い風に文章はなっています。
    文章を崩すと恐ろしいので、よそ行きに書いてます。
    来ると意外に気楽なところではあります。
    朝もそれほど早くはありません。
    仕事始めは大体9時ごろです。
    5時には仕事は終わります。
    普通と思われるかもしれませんが、山奥では朝早く起きて、朝ごはんの前に仕事をして、夜は暗くなるまで仕事は結構普通です。
    ここでやっていけない人は、田舎に入ってもやっていけません。
    それぐらいゆるく、楽しくやってます。
    基本の心構えはしっかり持ってから来て下さいと言う事なんです。
    それほどビビルことはないですよ。
    世の中何とかなるのです。

  • 2015年2月8日

    今日は1日雪かき。
    明日もでしょう。
    これから本格的に雪が増えます。
    すでに、ニワトリ小屋なんかは、落ちてきた雪が屋根の少し下まで来てます。
    今年は屋根に繋がりそうです。
    もちろんかってこんな事は一度もありません。

  • 2015年2月7日

    19世紀セルビアの預言者、ミタール ラビッチその2

    昨日の続きです。

    その星には神が創造した静けさだけがある。
    そして人は神の美と力をそこに見るだろう。

    月や星では人々は馬車のようなものを運転する。
    彼らは生物を探すが、われわれと似た生物が見つかる事は無い。
    生命はそこに存在しているが、人間はそれが生命であることを理解しないし、知ることも無い。

    他の星に行った者たちは、その時代の常識的な考えとして神をまったく信じていないが、地球に戻ってきた後、

    「皆さんは神の存在を疑っているが、私の行ってきた星に行って御覧なさい、誰でもそこに神の意志と力を見ることになる。」と言うだろう。

    知識が増大するにつれて、この世の人間たちは互いを愛したり、心配したりすることが無くなる。

    彼ら相互の憎しみはあまりにも大きく、彼らは自分の親類のことよりも、自分たちの持っている所有物や小物のことを気にかける。

    人々は自分の隣の人間よりも、自分が持っている色々な機械や装置のほうを信頼する。

    北方の国の国民で、愛と慈悲を人々に説いてまわる小男が現れる。
    しかし彼の周囲には多くに偽善者がいる。

    こうした偽善者は誰も人間の真の偉大さとは何かを知ろうとしない。
    だが、この北方の小男の書いた文章と話した言葉は残るので、人々は自分たちがいかに自己欺瞞に陥っているか気づくようになる。

    その時代には、多くの数字が書かれた本を読んだり、あるいは書いたりする者達が、最もよく物事を知っていると考えられる。
    これらの教育のある者たちは、自分の人生を計算に基づいて送ろうとし、数値の命ずるままに行動する。

    こうした人々の中にも悪人と善人がいる。
    悪人は悪行を平気でおこなう、例えば空気や水、そして河川や土地を汚染し、このため人々はさまざまな病気で死ぬようになる。

    善人で賢いものたちは、数字から導かれた努力には何の価値も無く、
    それはただ世界を破壊するだけであると悟るようになり、
    数字に答えを見出すのではなく、瞑想を通して真実を発見しようとする。

    人は瞑想すると神の知恵に近づいていく。

    しかし、時はすでに遅い。
    悪意を持つもの達が全世界を荒らしまわっており、膨大な数の人たちが死に始めるからである。

    人々は都市から逃げ出し、田舎に避難する。

    人々は十字が三つ並んだ山を探す。

    その中では人々は生きていく事ができる。
    その中に逃げ込んだものたちは、自分も家族も救う事ができる。

    しかしそれも長く続かない。

    なぜなら次にものすごい飢餓が世界を襲うからだ。

    この飢餓は通常の飢餓ではない。
    町や村には食べ物はある、だがそれらは汚染されている。

    飢えた人々はそれを食べるが、食べると死んでしまう。

    怒り狂った者たちによる攻撃が始まる。
    戦争が始まるのだ。

    この戦争を行なう者たちは、科学者に命じて奇妙な大砲の弾を作らせる。
    それが爆発すると、人を殺すのではなく、まるで人や動物に呪いをかけるようになる。

    世界の果てにあり、大海原に囲まれたヨーロッパほどの大きさの国だけがなにの問題も無く平和に生き残る事ができるだろう。

    三つの十字のある山に逃げ込んだ人たちだけが避難場所を見つけ、愛と幸福に満たされ豊かに暮らすことが出来る。

    そしてその後はもう戦争は起こらない。

    どうですか、100年以上前の予言ですよ。
    これから起こることがたくさん書かれていますね。

    皆さんの判断にゆだねます。
    参考にして下さい。

    げたが気になるところはいっぱいあるのですが、例えば新しいエネルギーは自分の中にもあり、自分の周りにある。
    これは正しいと思いますが、何かはまだ分りません。
    伝染病も気になります。
    飢餓も気になります。
    食べ物は有るけど、食べると死んでしまうと言うのは気になりますよね。
    飢餓が来るのは、当然来るでしょうとしか言えません。
    戦争も気になります。
    爆発すると人も動物も呪われたようになる砲弾は何なんでしょう。
    その頃の人間の信じているものには真実など一切無いのに、自分たちの信じる幻想こそ真実だと思う。
    これその通りだと思います。
    私自身も幻想を真実だと思っている一人であります。
    抜けだそうとはしてますが、この幻想は抜け出すのが難しいのです。
    幻想に未練もあります。

  • 2015年2月6日

    19世紀セルビアの預言者、ミタール タラビッチ

    99パーセント隠されているこの世の正体、岡靖洋著より。
    この本は科学的な真実を追究した本です。
    ウィルスは宇宙からとか火山の噴火で出てきて、遺伝子に働きかけ、あらゆる生き物の進化をつかさどってるとか。
    ビックバンは無かったとか。
    地球上の生き物は全て、太陽やその他の惑星、銀河まで、宇宙の大きな影響を受けているとか、
    科学界で無視され、捨てられた学説がたくさん出てきます。
    今の科学界は明らかに大きく間違ってます。
    大きな力で、科学も支配されてしまってるのです。
    科学界でも本当のことはタブーなのです。
    内容は面白いのです。
    最後は怖い結論も待ってます。
    科学が好きな人にはお奨めです。
    さてセルビアの預言者の言葉です。
    100年以上前の予言ですよ。

    父よ、二つの大きな戦争の後、世界が平和になり、
    人々が豊かに暮らすようになると、
    それが全て幻想である事がはっきりするだろう。

    なぜなら、人々は神を忘れ、人間の知性のみを崇拝するようになるからだ。
    しかし、神の意志から見ると人間の知性などは取るに足らないものだ。
    神が海なら、人間の知性など一滴の海水にもならない。

    人間はさまざまなイメージが見える箱のような装置を作る。
    このイメージの箱は、向こう側の世界にとても近いところにある。
    それは、髪の毛と頭皮の距離ぐらいに接近している。

    このイメージ装置のおかげで、人々は世界中で起こってることを見ることができるようになる。

    人間は地中深くに井戸を掘り、彼らに光とスピードと動力を与える黄金を掘り出す。

    そして地球は悲しみの涙を流すのだ。

    なぜなら、地中ではなく、地球の表面にこそ光と黄金は存在するからだ。
    地球は自らに開けられたこの傷口のために苦しむだろう。

    人々は畑で働くことをやめ、あらゆる場所を掘削する。

    だが本物のエネルギーは地中ではなく自らの周囲にあるのだ。
    そのエネルギー源は人間に話しかけてくれるわけではないので、人間がこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことが、いかに馬鹿げ手いたのかを後悔するようになるまでには大変な時間がかかる。

    そして実はこのエネルギー源は人間の中にも存在しているのだ。

    しかし人間はそれを発見し取り出す術を獲得するには長い年月が掛かる。
    なので、人間は自分自身の本来の姿を知ることなく長い年月を生きる事になる。

    高い教育を受けた人が現れる。
    彼らは本を通して多くのことを知り、考え、そして自分たちが何でもできると思い込んでしまう。
    これらの人間の存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

    だが人間が一度この「人間の真の姿への気づき」を得ると、こうした教育のある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。

    この人間の本来の姿の真の知識はあまりにも単純な事で、なぜこんなことをもっと早く発見しなかったのかと後悔するだろう。

    それまで人間は、何も知りもしないのに自分を全能だと思い込み、あらゆる馬鹿げたことを行なうだろう。

    東洋に賢者が現れる。

    この人物の偉大な教えは海を越え、国境を越えて世界に広がる。
    しかし、人々はこの真実の教えを虚偽と決めてしまい、長い間信じることが無い。

    人間の魂は悪魔に乗っ取られるのではない。
    もっと悪いものに乗っ取られるのだ。

    その頃の人間の信じているものには真実など一切無いのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

    このセルビアでも世界の他の地域と同じだ。
    人々はきれいな空気を嫌い、神々しいさわやかさと美しさは、人間が作った上下関係の階層関係の中で見えなくなってしまう。

    しかも、これは誰かから強制されてこのようになるわけではないのだ。
    人間は自分の自由意志からこうしたことを行なうのだ。

    世界中で奇矯な伝染病が蔓延する。
    誰もその治療法が分らない。

    知識があるという者達が「私には高い知識があるのでこの治療法はわかっている」と言い張るが、実は誰も何も知らない。
    人々はいくら考えても正しい治療法を見つけることが出来ない。

    だが治療のカギとなるものは人間自身の中や周辺にあるのである。

    人間は月や他の星に旅行する。
    そこでは生命が存在しない砂漠を発見するだけだ。

    続きはまた明日。

  • 2015年2月5日

    光の彼方へ

    こちらは臨死体験者が臨死体験の後どうなったかを追跡した本です。
    臨死体験の本にはあまり載っていませんが、臨死体験で恐怖の体験をした人も少数ながらいるのです。
    これは当然だと思います。
    ところが恐怖の体験をした人が、死ぬのが恐怖になるとか、その後の人生が大変になるかというとそうばかりではない訳です。
    至高の体験をした人たちでもその後の人生は大変な人生になる人たちは多いそうです。
    臨死体験を自分で消化というのですか、自分のものにするというのか、落ち着くというのか、ともかくそうなるのに10年も掛かる人たちもいるそうです。
    それはそうです、信じられない経験を突然、求めてもいないのにしたわけですから。
    普通臨死体験の本は、その人の体験した臨死体験のことしか書きません。
    その人がその後どのような人生を歩んだかは考慮されません。
    この本はその臨死体験者のその後の人生に焦点を当ててます。
    その事により、より深く臨死体験を理解できるのです。

  • 2015年2月5日

    臨死体験9つの証拠。

    ジェフリー ロング、ポール ペリー著。1600円。
    これはNDERFという臨死体験の情報を世界から集めている組織に寄せられたたくさんの臨死体験者の記録から、あの世は存在すると言う証拠を集めたものです。
    この本を読んでもやはりまだあの世は存在しないと言う人ももちろんいるでしょう。
    あの世の事は永遠のなぞなのです。
    死ななければ分りません。
    この本は情報の多さがすごいところです。
    なおかつインターネットを使うことにより、従来では誰にも話すことができなかった人たちに話す機会を与えたことです。
    臨死体験をした人たちの多くは、その後に臨死体験の話をしても誰も信じてもらえないばかりか、避けられたり、ひどい場合は精神病にされてしまった人もいます。
    それゆえ、中々人には話すことができなかったのです。
    家族でさえまともに取り合ってくれないのですから。
    自分自身でも信じきれないところもあるのでしょう。
    社会で認められて無いことを、人に話をするのは相当勇気がいると思われます。
    それと、臨死体験を話す場合は、あの世のことを、この世的な表現に直さなければなりません。
    もう一つはあの世は体験者の認識できるように見える、つまりは同じ体験でも体験者によって違うように見えるということです。
    私達は自分の認識できるものしか認識できません。
    文化とか経験の違いとかで同じ体験も違う表現になってしまうのです。
    何はともあれ、この本の証拠は大きいものです。
    あなたの死に対する認識が変わるでしょう。

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