自然農たんぼのイセヒカリとハッピーヒルを刈り取りしました。
今年のハッピーヒルはいもち病が半分くらいでました。
ハッピーヒルはいもち病に弱いのが分りました。
反対にイセヒカリにはほとんどいもち病は出ていません。
来年はハッピーヒルは止めて、イセヒカリと古代米のみになります。
ハッピーヒルは今まで続けていたのは収穫は遅いのですが、収量が多いからです。
今回いもち病で収量も少なくなりました。
残るは収穫が遅いだけの米になってしまったのです。
わざわざ作る価値はありません。
やはり暖かい所の米は寒い所にはむいていないのでしょう。
7年やって、ようやく種が大鹿になれて来ての撤退です。
悔しいですがやむを得ません。
これからはイセヒカリです。
収量も多い、収穫もそれほど遅くない、倒れない、病気にも強いとマイナス点がありません。
特に肥料分の少ない自然農においては圧倒的に出来がいいのです。
つまりイセヒカリは少肥でもよく取れます。
このように一つの作物で品種をどれにするかは非常に大事な事です。
これが全ての作物に言えることでもあるのです。
固定種の中でどの品種にするか、大事な事です。
同じ品種を作り続けるとまた問題が出るケースも出てきます。
自家採取の種の場合はその問題は今の所出てません。
買った種、特に1代交配の種にはよくあります。
このヒエの刈り取りで緊急の仕事が終わりました。
8月のふりだし祭りの前からというより、4月からひたすら追われ続けていた仕事がようやく平常に戻ります。
少しは余裕ができればいいのですが、冬前はとてもじゃないけどゆっくりなんかできません。
何しろ畑が凍って仕事が出来なくなるまでにどれくらいやれるかですから。
つまり完璧に全ての仕事を終わらすことは不可能なのです。
先に延ばせる仕事を先送りにしながら、何とか畑の作業を出来るだけやるだけなのです。
サツマイモの収穫2回目です。
雨が多かったわりにはまあまあの収量です。
げたは脱穀、最初に古代麦、次はこうのす麦、その後にコキビを脱穀しました。
物が変るたびに脱穀機を掃除しなければなりません。
米の脱穀後に掃除をしていなかったので、都合4回掃除をしました。
これが時間がかかるのです。
掃除をしないで脱穀すると次のものに前の脱穀の残りが混ざってしまいます。
後で選別するより、1回1回掃除をしたほうがまだ楽なのです。
それでも古代麦もこうのす麦も種取り用なのです。
こういうことに疲れてきました。
種の保存の為にだけ栽培してるものが結構たくさんあります。
後に続いて保存してくれる人たちが増えれば、種類を減らせるのですが、一向に種の保存に熱心な人は増えません。
種の保存の重要性を認める人は多いのでしょうが、実際やってみると本当に手間なのです。
種の保存用なのでたくさん作りません。
少しづつ作り、別々に脱穀しなければなりません。
それでも種の保存は、いざというときのためにやめることはできません。
そもそも雑穀類は作るだけでもそんなに多くの人が作るわけではありません。
雑穀類が減ったのは手間が大変なのが大きな理由です。
脱穀しても後の精製にまた大きな手間がかかり、またやり方も色々です。
とてもじゃないですが販売するには手間がかかりすぎます。
自給に直すと100円以下になります。
これではやる人が減るのは当たり前です。
もちろん一つの雑穀類だけに特化して大量栽培すれば、採算は取れるようになるとは思います。
それが出来ないのはつらい所です。
稲の脱穀が終わったので、仕事は山積みなのですがお休みにしました。
農繁期は休めません。
何しろきりが無いほど仕事は次々に控えてます。
それでも体が持たないので、限界が来たら、その上少し急ぎの仕事が減ったら休みます。
毎週休める人がうらやましいです。
こんなのいつまでもやってられません。
何とか切り替えようと努力してます。
午後から雨が降る可能性があったのですが、幸い天気は何とか持ちました。
残りの3枚の田んぼ合計1反5畝の脱穀も終わりました。
今回は全部げたが脱穀しました。
何しろ急いでいたのです。
脱穀で気がついたのは、稲のハザの間隔と位置の問題です。
脱穀機はハザの横を動いていきます。
脱穀機に稲を載せるためには稲を乗せた場合の脱穀機の幅が必要で、それプラス若干の余裕が必要です。
ハザの位置は最低3メーターほど田んぼの端から離れている事が必要です。
出来れば4メーター。
ハザは南北が基本です。
今回東西ハザが3本あったのですが、乾きが十分でなかったので、稲が湿っていて米がうまくはなれないケースが結構ありました。
乾燥が十分で無いと脱穀はうまく出来ません。
東西のハザは片方は南で日が一日中当たりますが、反対はぜんぜん当たりません。
南北ハザだと片方は午前中、片方は午後と両サイドに日が入ります。
これは常識みたいで、ふりだしの様に東西のハザは村には一つも見当たりません。
ふりだしのハザがなぜ東西かというと、東西に稲を植えてるせいです。
稲刈りは当然ですが植わった方向にしか刈れません。
広い田んぼなので、刈ってる途中からハザに干し始めないとその日のうちにハザに干しきれません。
稲は東西に植えたほうがいいのです。
農作物は東西畝が原則です。
東西畝だと作物全体によく日が当たるのです。
南北畝では前の作物の影が次の作物にかかります。
作業がしやすいか、作物が育つか。
来年は作業のしやすい南北畝にします。
つまり作業がしやすいほうが優先されます。
今年の全収量は約15俵、900キロです。
全部で3反の田んぼですから1反で5俵。
まあまあです。
何しろ田んぼが遠いのでほとんど手をかけていません。
手抜き農法で無農薬なら1反5俵で上出来だと思います。
ここでは年間10俵近くの米を食べます。
若い人達はたくさん食べるのです。
残りは娘とか新しく入った人に分けます。
米の脱穀が終わると、一番追われている仕事が終わりになります。
もちろん自然農田んぼの古代米は今日刈ったばかりだし、イセヒカリは1週間後に刈り取りです。ハッピーヒルは今月の末になるでしょう。
最後のハッピーヒルの脱穀は11月になります。
一番大きな田んぼでの脱穀が終わりました。
1日がかりです。
稲ワラの結束に時間がかかりました。
手伝い二人が結束してましたが間に合いません。
稲ワラ結束機付きの脱穀機があるのがよく分かります。
古い脱穀機はエンジンは好調なのですが、他の部分がガタガタであまりよくはありません。
エンジンを載せ変えたいぐらいです。
それでも何とか脱穀は終わりました。
明日も脱穀の続きをやりたかったのですが雨になりそうです。
雨になると今度は最低3日晴れるまで待たなければなりません。
1日遅かったです。
今日はげた一人で脱穀機に専念です。
げたが第一線で働いてるときは手伝いが手薄なときです。
つまりげたの方が倍くらいの速さで仕事が出来るわけです。
仕事が遅れ気味のときはげたが前面に出て仕事をします。
でも疲れるんですよ。
ヒエの2段目は早くから倒れていたので、下のほうはカビが生えていました。
これでは人間は食べれないのでニワトリのえさにします。
ヒエの2段目の刈り取りは倒れている方向がランダムで刈るのに手間取りました。
ヒエは後1箇所残ってます。
花豆の収穫が始まりました。
すでに前川金時と、トラマメは終わっています。
げたは午後はヤーコンの芽を保存ずるために、根を切り、茎も短くして、目の部分だけを残して、この部分を室の一番下に保存します。
ヤーコンの芽は部屋でもそのまま置いていたら保存できるというので、今年はそれも試します。
ただし部屋がマイナスになる家では保存は出来ません。
普通は畑を掘ってその中に保存するそうです。
ヤーコンの保存にはワラの灰にまぶして保存すると腐らないみたいなので、今年は試して見ます。
ヤーコンはコンテナの中に新聞を敷き、ヤーコンを入れそれで玄関の横で保存します。
玄関の横はそれほど暖かくは無いのですが、マイナスにはならないギリギリの場所です。
暖かい部屋の中には置く場所が十分無いためです。
サツマイモ、カボチャ、サトイモ、ショウガ、ウコン、バターナッツなどは温かくて5度以下にならない部屋の中に保存します。
サツマイモは本当は10度以下はだめだといわれていますが、5度くらいでも何とかなります。
これから部屋の中は野菜類がどんどん増えていきます。
冬場は野菜類の中に住んでるみたいなものです。
余裕がある場所は全て野菜の保存に使います。
売る野菜類も保存する為にこのようなことになります。
もちろん家の周りでも保存はします。
マイナス10度を超える外でも毛布やブルーシートをかければ、キャベツとか白菜は保存できます。
ふりだしでは畑を掘って野菜を保存はしません。
畑では雪が降ると埋まってしまいます。
稲でなく麦です。
長らく遅れていたのが脱穀機が来たのでようやく脱穀できました。
約60キロの収穫です。
1反で60キロです。
半分以上は獣害で減ってます。
半分以上収穫できたことはありません。
毎年風か雨で倒れ、鳥とかネズミに食べられます。
刈り取りの後もハザに干した状態で食べられます。
今年のように脱穀が遅れると食べられる量も多くなります。
それでも屋根下に干す場所があるからまだましなのです。
外に干すと雨ばかりでほとんどの麦の芽が出るか、かびてしまいます。
小麦にむいてない所で無理に小麦を作ってるのが一番の原因なのですが、下の畑では麦を作る余裕はありません。
もう少しいい場所に麦を作れる場所を確保できると、収量は何倍にも増えると思います。
この量の小麦では1年間使う量はありません。
パンの半分がやっとです。
暖かい所では田んぼで米の後に麦を蒔いて、次の米を田植えする前に麦は収穫できます。
大鹿村では不可能です。
同じ日本でもこんなに違うのです。
山奥はいいところも多いのですが,だてに過疎になってるわけではありません。
住むのに大変なので人が減っているのです。
これはただ価値観の違いだけです。
人によってはいいところのほうが多くて、別の人には大変な所の方が多いのです。
ところがいいところの多い人でも出て行かなくてはならない人もいるし、大変な所が多いと思ってる人でも住み続けなければならない人もいるのです。
これが人生なのです。
新しい脱穀機は、さすがに全体が古いので調整に半日かかりました。
安いといっても8万は結構高いのですが、エンジンとか駆動関係は整備されていますが、肝心の脱穀機の部分は全然整備されていません。
それぐらいは自分でやれという事なんでしょう。
それでもこの脱穀機を今まで一度も使ったことが無い人が買ったら、使えなかったと思います。
そのくらいひどい状態でした。
何とかだましだまし使うしかないのです。
ただエンジンがほぼ故障しないのは励みではあります。
前の古い脱穀機は10年以上使いました。
今回の脱穀機はどうでしょう。
今回壊れた脱穀機は30万で買いました。
30万で5年です。
貧乏農家は機械で泣きます。
それでも機械が無いと農業は続ける事ができません。
それが現実です。
ハーベスターを買いに行きました。
なんとヤンマーのディーゼル脱穀機です。
なにが何とかというと、ポンポンディーゼルなのです。
手で回して起動します。
したがってバッテリーは要りません。
今回だめになって部品がなかった電子部品は一つも付いていません。
物を見たときは信じられませんでした。
まだこんなものを現役で売ってるとは思いませんでした。
業者の人に聞くと、時々まだこの手の脱穀機は出るし、また売れるそうです。
げたのような人が他にもいるんですね。
このディーゼルエンジンは故障しません。
昔のエンジンが故障しなくて、今のエンジンは電子部品一つで他は何も悪くないのにかかりません。
これが本当に進歩なのでしょうか。
何はともあれ、これでこれから何年かは脱穀は大丈夫でしょう。
エンジンは丈夫でsも、他の部分は十分に古い機械です。
前のやつは10年でタイヤはだめ、他の部分もボロボロになるまで使えました。
エンジンは最後まで動いていました。
10年以上かもしれません。
正確にはわからないんですよね。
稲刈り機と脱穀機の故障のダブルパンチで落ち込んでます。
特に脱穀機は一度復活して1時間でまた故障なので、余計こたえます。
毎年色んな機械の故障で振り回されます。
ただ、ゆっくり落ち込みに浸る余裕もありません。
明日は伊那の農協に古い脱穀機が2台あるというので見に行きます。
よっぽどひどいもので無い限り買うしかないのです。
1台8万円なんですが、米が脱穀できないのも大変だし、全部を足踏み脱穀機でやるのも無理があります。
つまり時間的な余裕もありません。
脱穀機の故障がわかってから10日ぐらいになりますが、じわじわと締め付けられるような閉塞感に耐えなければなりません。
きついんですよ。
今日はニンニクの植え付け、黒豆の収穫、この間の嵐で傾いた小屋の復旧。
