バックフォーが動かないので、手で道路の雪をかいてます。
何しろ車が上がってこれないのはやばいのです。
タイヤの跡だけ雪をかいてます。
全面的にやるのは不可能です。
昔、メインの林道まで500メーターを手で雪をかいたことがありましたが、今はもう無理です。
やはり冬は雪が無い方がいいです。
疲れます。
昨日も今日も道路の雪かき、軽トラにチェーンをはいてかろうじて上がってくる状態です。
この状態はほとんどよその人は上がってこれません。
何しろ、スピードが遅いと止まるので、ローギヤーで、アクセルを目いっぱい踏みます。
飛ぶように走りながら、雪にハンドルを取られてもそのまま減速せずひたすら上がるのです。
それで最後の難関で、かろうじて上がります。
これは慣れてるものでも怖いのです。
大雪です。
と言っても4-5年前まではこんなのは普通だったのですが、4-5年でも雪がないとそれに慣れてしまってたので、いろいろ大変です。
まず山に入れなくなったので、薪の材料の丸太を切りだせなくなりました。
まだ7割くらいしか集まってません。
お茶の木が雪の重みで倒れて、根元から裂けてる株がたくさん出ました。
ふりだしのお茶の木は、多分日本で一番高度が高いところにあるお茶の木です。
たぶん一番寒いところにあるお茶の木でもあります。
20年近くほぼお茶摘みもせず、ひたすら伸ばしてきました。
高さは1メーター近くまでなったのですが、枝が細いのです。
そのため雪に埋まってしまい、尚且つ重みで枝分かれしてるところから裂けてしまいました。
この木がこの後どうなるかはわかりません。
枯れることはないとは思いますが、このダメージがどのような影響があるのかは不明です。
普通だと木は裂けると枯れてしまいます。
1本だけ別の所にお茶の木があります。
このお茶の木は横にあるグミが大きくなって、普段は木の下で成長も遅いのですが、このお茶の木はダメージ無しです。
雪はグミの木で止まって、細かくなって下に落ちるので、木は雪に埋もれなかったのです。
条件が悪いところでいつもはかわいそうだなと思ってましたが、こうなってみると何が吉と出るか分からないという、まるで人生のような結果です。
他にも多くの冬にも葉っぱがある木はダメージを受けてます。
薪割りは屋根の下でできるようになってるので、手で割ってます。
新しいヒノキはよく割れます。
薪割りは出来れば生の時に割るとよく割れます。
木は乾いてくると倍以上に固くなります。
針葉樹はもともと割れやすいのです。
広葉樹の枝の部分なんかは、まず手では割れません。
機械はすごいですよ、どんなに割れにくい木でもどんどん割っていきます。
長年手で薪を割っていたので、機械導入初年度は、それまで手で割れない丸太がたくさん残ってたのですが、ほぼすべて機械は割ってくれました。
悔しいですが、人間は機械には勝てません。
一発発起して本格的な山仕事をやってみました。
けっこう高い杉の木を1本倒しました。
しかし途中で引っかかりチリホールで引いても落ちたきません。
やむなく別の所から引っ張るために、滑車を移動するんですが、当然ですが滑車の位置は木が落ちてくる場所です。
引っかかって落ちてこない木ですが、どんなことで落ち始めるかはわかりません。
下の足場は先に切った木がいっぱいあって簡単に移動はできません。
これは怖いんですよ、木が落ちてきたら直撃では多分死ぬでしょう。
枝が当たっても大けがです。
上がって降りて、障害物をよけながらの移動は非常にきついのです。
若い時はひょいひょい移動をしてたのですが、今はどっこいしょです。
山師が70ぐらいで引退するのがよく分かりました。
それでもこれからも切らなけネバならない木は出てきます。
自給自足も年を取ると、今まで簡単にやれていた仕事がきつくなります。
今のところほとんどの仕事はやってますが、あと何年このハードな仕事ができるかわかりません。
その後はできることを何とかこなしながら生きていくしか仕方ないんでしょう。
幸い家には子供も孫もいます。
だんだんいろんなことが孫たちがやることになるんでしょう。
昨年の豪雨で道が深く掘れ、道のあちこちにかなりの傾斜ができてました。
バックフォーがエンジンがかからなかったので道を直すこともできませんでした。
バックフォーは燃料のフイルターが凍ってたそうです。
燃料タンクには結露ができ、その水が燃料に混ざるのです。
バックフォーが動くようになったので、軽トラに土を乗せ道に撒いていきます。
かなりの傾斜ができてるので、軽トラ1台の土で3-4メーターぐらいしか土が入りません。
今日は軽トラ10回ぐらいで終了です。
これは結構体力がいるのです。
ふりだしでは約1キロの道を自分で整備しなければなりません。
山奥で誰の干渉も受けずに生きていけますが、自分たちのことは何でも自分たちでやらなければなりません。
集落で生活していると、年に2回ぐらい道普請をみんなでやります。
集落は他の人の干渉もありますが、このように共同作業ができるのでいいところも結構あります。
何でもそうですがいい面と悪い面は表と裏でやむを得ないものです。
道の作業の後は山で木を伐り薪用の丸太集め、薪用の丸太集めはなかなか進みません。
今年は寒さが強いので薪が余分に減ります。
丸太集めが終わると薪割りですが、大部分は薪割り機で割ることになりそうです。
細い木とか、シイタケ原木なんかは毎年切り倒してますが、大物のカラマツを久しぶりに切りました。
1本は比較的傾きがわかりやすかったので簡単に切りましたが、もう1本が問題でした。
何しろどちらに傾いてるのかさっぱりわからなかったのです、倒しやすい方角に倒すつもりで切り込みを入れていったのですが、どうも反対に倒れそうそうで、
木を倒すときは、倒す側に受け口をまず作ります、その後に反対側の少し上から切り始めて、最終的に少し切り口が残った状態で倒れるように木を伐ります。
いきなり全面的に木を切ってしまうと、木はどちらに跳ね上がるかわからなくなります。
これが怖いのです。
ましてや反対側に倒れてくると、そちらの方から切ってますから、もろ切ってる人の方に木は倒れてきます。
木を何本も切ってる時は慣れてますから、何とかなりますが久しぶりなので感覚が戻ってきません。
何しろ自然の山では垂直とか水平のモノはありません。
その中で気が全体でどちらに傾いてるかを判断しなければなりません。
上空の風も影響します。
若い時はあまり気にせずどんどん木を切ってましたが、今は慎重になってしまいました。
ところが慎重になると、これが反対に余計危ないのです。
木を切るのがこんなに怖いと初めて認識しました。
東京のコロナによる死者のワクチン2回接種者の死亡の割合。
2021年8月3パーセント。
2021年9月16パーセント。
2021年10月なんと51パーセント。
ちなみに10月にはコロナワクチンの接種2回の人は60パーセントです。
つまり60パーセントの人がワクチン2回接種してるのにコロナで新です人の割合は51パーセント。
これの意味するところは、コロナワクチンが効いてないばかりか、かえって死亡率上がってるということです。
この死亡率は正式発表から割り出したものだそうです。
私自身はワクチンは、重い副反応が多く出ている、ワクチン接種後に亡くなってる人がいる、しかしワクチン接種後比較的短期間に亡くなっても政府は一人もワクチン接種の因果関係も認めていません。
なおかつこのワクチンを打ってどのような影響が出るか、史上初めての試みにもかかわらず、しっかりとした治験もやらずに、短期間に承認して使ってるので、この先どのような影響が出るかは、世界中で誰にもわからないのです。
この先のどのような影響が出るか誰も分からないのに、安全だと政府は言いますが、政府の言うことを無条件に信じる人はどうぞ信じてください。
しかしながら政府は過去にもいろんなケースで、薬による薬害に対してほとんど最初は責任を認めていなくて、長い長い裁判で負けて、それでようやく薬害を認めるということを繰り返しています。
それでも政府の言うことを認める方はどうぞワクチンを打ってください。
打った以上は自己責任ですよ、これだけ何度も同じような目にあって、尚且つ政府の言うことを盲目的に信じるのであれば、どんな結果が出ても文句を言う筋合いはないと思います。
政府は嘘を平気で言うんですよ。
いい加減理解してください。
嘘にはやむを得ないケースもあるんですよ。
お風呂のスノコが壊れ始めてから1年以上、あれこれごまかしながら使ってきたのですが、これ以上このまま使うとやばいねとなってから、まだグズグズ使い続けてきましたが、さすがにこれ以上は無理かなと思い、今日新しいスノコを作りました。
スノコは一般的に板は薄いです、薄いから少し痛んできたらすぐに折れてしまいます。
そこで、よせばいいのに思いっきり厚い2バイ4の厚い板でスノコを作りました。
出来てから運ぼうと思ったら、なんとすごく重いのです。
スノコの板が薄いのは、一に軽いからなんですね。
また一つ勉強になりました。
作ったスノコは重かったけど、何とか引きずって風呂場まで持っていきました。
スノコを作るときは薄い板を使うことを推奨します。
ヤギが発情したのでオスヤギの所に連れて行きました。
まだ子ヤギで生まれたのが遅かったので、今年はもう発情はあきらめていたのですが、何とかなるかもしれません。
オスヤギは大きいので、子ヤギに3倍近くの大きさのオスヤギが乗るという恐ろしい情景です。
オスヤギの所有者は不安なので1泊させてくれとのことで、ヤギは預けてきました。
毎日薪作りをしてます。
薪作りの前に、まず、古い薪を移動します。
薪は乾燥してないとうまく燃えません。
屋根下で乾燥させるのですが、あたらしい乾燥してない薪を新たに作る場合、一番奥から新しい薪を積むために、古い薪を移動します。
これがまだ終わっていません。
薪はなくなったら新しく割ればいいというものではないんです。
割ったばかりの薪は使えません。
萌が悪いし、すすは出るし、火力はないしで、割りたての薪は使えません。
昔は薪が全部なくなって、割っては焚きなんてこともありましたが、今は薪の保存場所が広いので、1年分くらいを屋根下の薪置き場に貯めておくことができます。
それでも暖房から煮炊き、風呂まで薪でやるには全然足りません。
薪を使うのが一番必要なのはお風呂です。
これはもう全然違うのです。
薪でたいたお湯と、灯油でたいたお湯は別物です。
しかし現代ではその違いさえ分からない人たちばかりです。
暖房でも。薪と灯油ストーブの違いが分かる人はそういません。
電気だけはさすがにわかるとは思いますが、これも分からない人は分からないでしょう。
この様に薪は大事なんですが、薪作りはハードな仕事なんです。
まず山に行って、気をチェーンソーで切って、車まで運んで家まで持ってこなくてはなりません。
最近は木は切りません。
山には枯れたり、台風で倒れたり、また間伐してそのままとか、家を作るときに無計画に切った木とか、大量に木が倒されたまま転がってます。
今日は間伐したヒノキを集めてきました。
もったいないもんです,木を大量に輸入してるのに、間伐した木は切ったままです。
こんな木を薪にしてもいいのかなあと思いながらも、適当な太さのヒノキは薪としても優秀です。
この間伐材が終われば、この後は無計画に切り倒したカラマツが自分の所の山に有るので、それを玉切りして出します。
山から木を出すのはどうしても冬の仕事になります。
昨年は雪が無かったので楽でしたが、今年は雪で滑りやすく、尚且つ凍っているので作業は疲れます。
72歳のげたですが、チェーンソーを持つと、仕事は若い時と同じスピードでやります。
機械の問題は機械に引きづられてしまうのです。
チェーンソーはその音でテンションが上がるので、よけい仕事のスピードは上がります。
問題はその疲れが若い時に比べてなかなか抜けないことです。
重いものを持つのには苦はありません。
毎日重いものを持つのは筋肉の鍛錬だと思ってるので、それほど気にはなりません。
しかし、仕事が終わってからの疲れは、やはりけっこう来るのです。
まあ、あと10年ぐらいは大丈夫だとは思います。
大鹿村では80ぐらいでも結構山を飛んで歩くような人もいるんですよ。
飛んで歩くとは、軽快に歩くことですよ、飛びません。