TPPで日本の農業は大きく変わります。
どのように変わるかさえ予測は困難です。
農産物の値段が最初は低くなる可能性が大です。
現在でも農業の利益は非常に低いのに、もっと低くなるとほとんどの小さな農業者は破たんしていき、離農しかなくなります。
ここに[人農地プラン]が関連してきます。
これにより、農地を中間管理機構を経由して貸すか売るかすると大きな金額が入ってきます。
農地は前は地域の農業委員会の許可がないと売買できませんでした。
ここに中間管理機構という外部の組織が介入してきます。
長野県の場合は県の農業公社が中間管理機構を代行します。
その上、今年から株式会社でも農地を取得できるようになりました。
農業法人も設立に農業者が必要でなくなります。
つまり外部の資本がどオーっと入り込んできます。
小さな農業者はこれに太刀打ちはできません。
まず起こるのは日本の企業による農業、および農地の囲い込みです。
その後に起こるのは、その日本の企業が外資に乗っ取られていきます。
日本の農地が、自国民が飢えていても、外国の企業が利益の高い農産物を作り、外国に売ります。
これはすでに世界のたくさんの国ですでに起こってることです。
こちらも黙ってやられるのを待つわけにはいきません。
最初に考えたのは農事組合法人です。
組合と会社はどこが違うかと言うと、組合は組合員の利益が第一なのです。
組合の利益はそのあとです。
会社はあくまでも利益を追求するものです。
組合の例が農協です。
現在の農協は、組合員が利益を出してなくても組合だけ儲ける組織になってしまいました。
農業者は休みなしなのに、農協は週休2日です。
それでもまだ良心は残ってるみたいで、不採算部門である大鹿村の農協の組織を維持していってくれてます。
最初は組合を試行しましたが、まだ大鹿村の新しい無農薬の農家はほとんどが余裕は全然ありません。
悲しいことですが現在的には無農薬の農業で食べていくのは、この大鹿村では非常に困難です。
組合は必要なのですが、各個人にその余裕は全然ありません。
ふりだし単独で組合を作っても意味がありません。
それで農業用の株式会社の設立になりました。
とりあえずふりだしが引っ張っていって、その後に組合に移行していきます。
正直こんなことはやりたくはありません。
しかし、座して死を待つわけにはいかないのです。
やむを得ない会社設立です。
3年間は赤字覚悟です。
4年目以降は黒字の可能性は大きいです。
無農薬の農産物はこれからもっと求められるようになると確信してます。
私たちの技術も高いものです。
その上に最後の切り札[セイショウ農法]があります。
慣れない法人化でこちらも大変です。
たくさんの新しい機械も購入します。
加工所も作ります。
この上ゲストハウスまでやるんですよ。
いそがしいです。
色んな農法を試してみました。
昨年まではEM農法、これは20年以上やってます。
非常にいい農法ですが、少し難しいです。
マナサール菌農法も素晴らしいです。
アートテン農法、ラジュウム鉱石農法はやってみましたが、よくわかりません。どちらの農法もEM農法を超えていないものと思われます。
変わりがわかりません。
つまりすでに、EM農法で十分なレベルに達してるので変化が感じられないのだと思います。
岩沢さんの不耕起栽培は、若い連中がやっていて乗り気なんですけど、今回乗用田植え機を買うことになり、岩沢さん方式の田植機を買おうとしましたが、セミナーをやってる人に問い合わせてみると、うまくいく田んぼとうまくいかない田んぼがあって、なんていう返事でした。
どの農法でも同じです。
本で書いてるようにはなりません。
実際の田んぼ、畑はそれぞれ条件は変わります。
その中でいかにやっていくかです。
農業をやって30年以上になります。
色んな農法を試してみました。
今まではEM農法が最高です。
あくまでも、私たちのケースではです。
それでも現在新しいセイショウ農法にほぼ8割近くを切り替えていってます。
常に新しいやり方にトライする。
これが私のやり方です。
あきやすいわけではありません。
事実EM農法は20年以上かけてここまで完成させました。
それでも今回のセイショウ農法の人参はすごかったのです。
今まで自分の人参に誇りを持っていました。
どこよりもうまいと思っていましたし、自信もありました。
しかしセイショウ農法の人参はうちの人参を超えていました。
この何本化の人参と本と、神谷さんの話で全面的にセイショウ農法に移行します。
楽しみです。
このように一つの農法を試すのにも経験が必要なのです。
農業を始めるばかりの人が、難しい農法にトライするのは結構ですが、経験がないと何がだめかの判断さえできないのです。
それに最低5年ぐらいはそのやり方を継続してからの判断になるのです。
新たに農業を始める人はオーソドックな有機農法から始めることを進めます。
特に(自然農)の人は気を付けてください。
簡単にできるやり方ではありません。
ふりだしでは10年間頑張って続けてきましたが、あまりにも手間がかかりすぎます。
手間の割には収量は少ないのです。
自然農をやる場合はそれ以外にも近所の人たちがうるさいのも覚悟しなければなりません。
1年で田んぼや畑を貸してくれなくなるのも覚悟しなければなりません。
自然農は間違ってはいません。
良いやり方ではあると思います。
しかし難しすぎます。
素人がすぐにできる農法ではありません。
十分に覚悟して始めてください。
やり始めたら最低5年は頑張ってください。
私たちが今回自然農から撤退するのは、自然農でやると世界の半分以上に人が飢えで死んでしまいます。
正しくても生きていけない農法にこだわり続けるわけにはいきません。
あくまでも農薬を使わない、化学肥料も使わない、その上農薬を使ってる人たちと同じ収量を目指します。
どれが一番いい農法だとは言えません。
どの農法が自分の畑と田んぼに向いてるかが一番です。
どのやり方も本で書いてる通りにはならないと思って始めるべきです。
現実は大変ですよ。
私たち無農薬を志す者には、条件のいい田んぼ畑は基本貸してくれないと思っていたほうが良いのです。
現在私たちは30年目にしてようやくいい条件の田んぼや畑が借りれるようになってきました。
一歩一歩周りの農業をやってる方々の信頼を得てようやくここまで来ました。
今回は法人化で勝負に出ます。
30年目で一気に拡大し、機械化していきます。
これは周りの状況で、自分たちが拡大しなければ、また農地を取り上げられる可能性が出てきたためです。
現在国は農業の大型化を進めています。
その反面小さな農業を潰しにかかってきてるのです。
守りに入ってやられるわけにはいきません。
のるかそるかですが自信はあります。
人生1回ぐらいは勝負をしなければです。
今は毎日わくわくしたり、落ち込んだり、激変中です。
主力が若い人たちなのでげたはサポートだけなのが少しさみしいのですが。
げたは仕事としての農業から撤退しました。
ひろみも2-3年後には撤退するでしょう。
家の自給用の畑は1反もありません。
せめて1反無いと自給の野菜は作れません。
家の畑の横はまだ山のままです。
高い木は切ってますが、そのまま放置してます。
この部分を開拓して、畑を一気に倍にします。
20年以上この土地に住んでますが、まだ開拓しなければならないところは半分くらい残ってます。
7200坪は本当に広いのです。
この1年でずいぶん未利用地を開拓しました。
げたは時間は十分あるのでゆっくり開拓していきます。
本当に開拓人生だと思います。
4月になっても手伝いは一人も来ません。
対策は取ってるので問題はないのですが、どういう変化なんでしょう。
ただ、塾生がいないのは本当にげたには楽なんです。
迷ってるような人は来ないでくださいね。
田舎の生活は確固たる信念を持って始めても、持続は大変なんです。
迷ってるような人に出来ることではありません。
迷ってる人は結局言い訳を考えてるでしょう。
この期に及んで迷ってるような人に用はありません。
こんな総理が日本にも出るようになるのは何時の事でしょう。
あまりの違いに涙が出ます。
朝日新聞から
質素な暮らしぶりから、「世界で一番貧しい大統領」として注目を集めた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が、近く出版社などの招きで初来日する。「清
貧の思想」を地でいく農園暮らしの根っこには、いったい何があるのか。いまも上院議員として、国民から熱い支持を受ける政治家の自宅を訪ね、その原点を聞
いた。
◇
首都モンテビデオから車で30分。畑のわきの小さな平屋で、ムヒカ氏は上院議員の妻と2人で暮らす。愛車は1987年製の昔懐かしいフォルクスワーゲン。自ら家事をし、畑も耕す。秋を感じる南半球の3月。トレパン姿で出てきたムヒカ氏が、庭のベンチに腰を下ろした。
■大統領公邸に住まなかった理由
――とても静かですね。
「いいところだろう。この国は自然豊かで、とても美しい。特にこんな小さな村は年寄りが暮らすには、もってこいなんだ」
――大統領公邸には結局、引っ越さなかったそうですね。
「当たり前だよ。私はもともと農民の心を持って生まれた。自然が大好きなんだ。4階建ての豪邸で30人からの使用人に囲まれて暮らすなんて、まっぴらだ」
――アラブの富豪が、あなたの愛車に100万ドル払うと購入を申し出た噂(うわさ)を聞きました。
「本当の話だ。息子が珍しい車を集めていると言っていたな。もちろん断ったさ。あの車は友人たちからもらった大事な贈り物だ。贈り物は売り物じゃないんだよ」
――「世界で一番貧しい」という称号をどう思いますか。
「みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」
「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていく
には働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなっ
てしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」
――幸せだと感じるのは、どんなときですか。
「自分の人生の時間を使って、自分が好きなこと、やりたいことをしているときさ。いまは冬に向けて、ビニールハウスにトマトの植え替え作業をしているときかな。それに幸せとは、隣の人のことをよく知り、地元の人々とよく話し合うこと。会話に時間をかけることだとも思う」
――大都会の生活では難しいですね。
「人間が犯した間違いの一つが、巨大都市をつくりあげてしまったことだ。人間的な暮らしには、まったく向いていない。人が生きるうえでは、都市は小さいほうがいいんだよ。そもそも通勤に毎日3時間も4時間も無駄に使うなんて、馬鹿げている」
――でも、東京で私たちはそうやって暮らしているのです。
「効率や成長一辺倒の西洋文明とは違った別の文化、別の暮らしが日本にはあったはずだろう。それを突然、全部忘れてしまったような印象が私にはある」
――2012年にブラジルの国連会議(リオ+20)でした演説は、日本で絵本になりました。
「このまま大量消費と資源の浪費を続け、自然を攻撃していては地球がもたない、生き方から変えていこう、と言いたかったんだ。簡素な生き方は、日本人に
も響くんだと思う。子どものころ、近所に日本からの農業移民がたくさんいてね。みんな勤勉で、わずかな持ち物でも満ち足りて暮らしていた。いまの日本人も
同じかどうかは知らないが」
◇
60~70年代、ムヒカ氏は都市ゲリラ「トゥパマロス」のメンバーとなり、武装闘争に携わった。投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったこともある。
■獄中に14年、うち10年は独房に
――軍事政権下、長く投獄されていたそうですね。
「平等な社会を夢見て、私はゲリラになった。でも捕まって、14年近く収監されたんだ。うち10年ほどは軍の独房だった。長く本も読ませてもらえなかった。厳しく、つらい歳月だったよ」
「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」
――刑務所が原点ですか。
「そうだ。人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」
――独房で何が見えました?
「生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」
「もう一つ、ファナチシズム(熱狂)は危ないということだ。左であれ右であれ宗教であれ、狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。憎しみのうえに、善きものは決して築けない。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」
ログイン前の続き ◇
民政復帰とともに85年に釈放されたムヒカ氏は、ゲリラ仲間と政治団体を創設。89年にいまの与党、左派連合「拡大戦線」に加わった。下院、上院議員をへて昨年まで5年間、大統領を務めた。
■「お前は王子様かというような政治家が」
――有権者はあなたに何を期待したのでしょう。
「自分たちの代表を大統領に、と思ったのだろう。特に貧しい層やつつましい中間層がそうだ。特権層には好かれなかったが」
「貴族社会や封建社会に抗議し、生まれによる違いをなくした制度が民主主義だった。その原点は、私たち人間は基本的に平等だ、という理念だったはずだ。
ところが、いまの世界を見回してごらん。まるで王様のように振る舞う大統領や、お前は王子様かという政治家がたくさんいる。王宮の時代に逆戻りしたかのよ
うだ」
「私たち政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなんだ。一部特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう」
「それに最近の政治家は退屈な人間が多くて、いつも経済のことばかり話している。これでは信頼を失うはずだ。人生には、もっとほかに大切なことがいろいろあるんだから。たとえば、街角で1人の女性に恋してしまうことに経済が何の関係がある?」
――実際、既成政治への不信から米国ではトランプ旋風が起きています。代議制民主主義が機能していないとも言われます。
「いまは文明の移行期なんだ。昔の仕組みはうまく回らず、来たるべきものはまだ熟していない。だから不満が生まれる。ただ、批判ができるのもそこに自由があるからだろう。民主主義は欠陥だらけだが、これまで人が考えたなかではいい仕組みだよ」
「それに時がたてば、きっと新しい仕組みが生まれると思う。デジタル技術が新しい政治参加への扉を開くかもしれないし」
「ドイツやスイスでも政治に不満を持つ多くの若者に出会った。市場主義に流される人生は嫌だという、たっぷり教育を受けた世代だった。米国でも、大学に
はトランプ氏とは正反対の開放的で寛容な多くの学生がいる。いま希望を感じるのは彼らだね。貧乏人の意地ではなく、知性で世界を変えていこうという若者た
ちだ」
◇
かつてウルグアイは「南米のスイス」と呼ばれ、福祉国家を目指して中間層も比較的厚かった。民政移管後は格差が拡大。01年のアルゼンチン経済危機の余波も受けて不満が高まり、ムヒカ氏らの左派政権誕生につながったとされる。ムヒカ氏の退任前の支持率は65%に達した。
■国家に何でも指図されてはいけない
――かつて収監されていた刑務所が、きれいなショッピングモールになっていますね。
「私も行ってみたんだが、まったく驚いたよ。まさにグローバル化の象徴だ。でも、人って馬鹿だよね。簡単に宣伝に支配されて。奥さん、このクリームをつけたらシワが消えますよだなんて、うそっぱちに決まっているのに。そんなものに大枚を払うんだから」
――格差が広がったのは?
「次々と規制を撤廃した新自由主義経済のせいだ。市場経済は放っておくと富をますます集中させる。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介
入する。公正な社会を目指す。それが政治の役割というものだ。国家には社会の強者から富を受け取り、弱者に再分配する義務がある」
「れんがみたいに、みんな同じがいいと言っているわけではないよ。懸命に働いて努力した人が、ほうびを手にするのは当然だ。ただ、いまはどうかね。働い
てもいないような1人のために、大勢が汗水たらしている世の中じゃないか。これは気に入らない。富の集積にも限度がある」
「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これは、まずい」
「いま中南米が抱えている最大の戦略的リスクは、いい関係を保つべき欧州諸国がテロなど自らの問題で手いっぱいになる一方で、中国が日に日に存在感を増していることだ。一国に深入りしすぎると我々が危うい。もっと関係を広げていきたいんだ」
――ご自身を政治的にどう定義しますか。
「できる限り平等な社会を求めてきたから左派だろう。ただ、心の底ではアナキスト(無政府主義者)でもある。実は私は、国家をあまり信用していないんだ」
――えっ、大統領だったのに?
「もちろん国家は必要だよ。だけど、危ない。あらゆるところに官僚が手を突っ込んでくるから。彼らは失うものが何もない。リスクも冒さない。なのに、い
つも決定権を握っている。だから国民は、国家というパパに何でも指図されていてはいけない。自治の力を身につけていかないと」
――主張の異なる多くの勢力を与党にまとめるのは大変でしょう。
「急進左派から社会主義者、中道左派まで大小30ほどの派閥を抱えている。意見が対立し、少数派に理があることもある。でも十分に話し合った末に多数決
で出した結論には、みんな従うんだ。それが民主主義の流儀というものだろう。我々にはすでに45年の歴史の積み上げがある。選挙対策の野合なんかじゃない
よ」
家の畑にセイショウ農法の肥料を入れて起こしました。
まだ一部の場所は凍ってました。
家の畑は全面的にセイショウ農法に切り替えです。
体はきついのですが、家の自給の畑は死ぬまで自分たちで作らなければなりません。
自分たちだけならそれほどたくさん作る必要もないので、それほど大変ではないでしょう。
終わってます。
げたは基本農業から撤退です。
今回の手伝い募集は、大鹿ナチュラルファームの実習生です。
移行が急激なので、一時的に手伝いの募集にしています。
大きく変わるのはげたでなく若い順平が作業を教えます。
古くてがんこなげたは運営にはほとんど関わりません。
げたと同じに作業をしたりするのはふりだし塾の(居候)のみです。
居候は古くて頑固なげたに付き合わなければなりません。
作業もゲストハウスの建築と、ゲストハウスの畑と田んぼの作業になります。
もちろんナチュラルファームが忙しいときは手伝いに行きます。
したがって、居候は昔風です。
希望者がいるとは思っていません。
もう古いげたにはついてこれる若い人はそんなにいないでしょう。
居候が唯一ふりだし塾の続きになります。
居候は馬とかヤギの世話もしなければなりません。
居候は自給自足の部分を主にやります。
農業も自給の部分が主になります。
法人化の計画がまとまりました。
結局組合でなく株式会社にすることになりました。
ふりだし塾と娘夫婦で運営していきます。
げたは相談役です。
げたは現場はやりません。
ということで、今までとそれほど大きく変わるわけでなくなりました。
新しく会社で実習生を募集するまでの間は、昔と同じふりだし塾の手伝い募集になります。
仕事としては、よりプロの農家に近くなります。
自給は後退はしませんが、変化はしていきます。
すべてが変わっていってます。
げたは基本農業から引退です。
と言っても、仕事が忙しいときとか、自給用の畑などはやります。
新しい農法の試験栽培もあります。
今年の畑の話し合いなんかも参加しません。
そうかといって暇ではありません。
馬小屋の仕上げをまかしてる、バーターとして山の開拓をしています、
毎日材木を移動して、根っこを掘り、地面を平らにしたりしてます。
山でのバックフォーの仕事は危険なので、毎日気疲れと体力的な疲れで時々息抜きをしながらやってます。
4月からは本格的にゲストハウスの仕事が始まります。
とりあえず、小屋と(また小屋です)風呂を作らなければ営業を始めることができません。
営業開始は半年ぐらい後になる可能性が大です。
今年はまだ一人も実習生の申し込みはありません。
一人問い合わせてきた大学生も、その後音沙汰なしです。
確実に時代は変わっていってるのでしょう。
変化は好きなので楽しくはあります。
死ぬまで新しいことに挑戦し続けたいと思ってます。
毎年同じことをするのは我慢ができません。
結局しばらくはふりだし塾と同じようになります。
違うのはげたが農業の現場にほとんど行かなくなるだけと、仕事の場所が、ほかのメンバーの農場になる日もあるということです。
ふりだし塾の農場はほぼ全部がそのまま法人に移行します。
まだ法人を正式にはスタートしていません。
しばらくはふりだし塾のままと考えてください。
突然決まったので、1日たった今になってようやく実感がわいてきています。
新しい法人に農業の大部分が移行する機会に、げたは農業から撤退します。
この機会を逃したら、また何年もずるずるとふりだし塾をやらなければなりません。
結構大変なんですよ。
最近は若い人たちに付いていくのが困難になってきていました。
げたが古すぎるんだと思います。
いまだに頑強に携帯の所持もしていません。
思えば、3-4人いた手伝いが全員携帯を見ている状況が起こったあたりから限界は感じていました。
げたは小豆島という超田舎で生まれ育っていますので、同世代の人たちより一世代古い感じなのです。
これで引退ではありません。
新しくゲストハウスを立ち上げます。
今のままではいつゲストハウスがスタートできるか分からなかったのです。
農業はもうきつい仕事はできません。
体はボロボロです。
建築もできる仕事が少なくなってきました。
それでも体がボロボロになるまで働いたのは誇りだと思っています。
新しいゲストハウスの仕事が楽しみです。
本当にみなさん長らくありがとうございました。
