これは地球の破滅の話です。
もしあなたがこのまま行っても、あと何千年と人類は反映して、明るい未来が待ってると思っているのなら、超楽観論者です。
核の問題、原発の問題、環境の問題、経済の問題、政治の問題、農業の問題、健康の問題、どれ一つをとっても大きな問題を抱えてます。
一つ一つの問題でも大きな結末を迎えるのに、これらの複合した現象が、非常に近い将来に始まるというのがげたの見解です。
一人一人が、何も考えず、問題を先送りにして、リアリティーのない生き方をしてきた結末はおそらく絶望的なものでしょう。
お金に支配された私たちの文明は、お金以外のことを考えなくなってしまいました。
これだけ問題だらけなのに、現実を見ようともせず、ひたすら時間つぶしに興じています。
そしてある日崩壊の日が来たとき「どうして、なんでこうなったの」なんて意味不明のことを叫ぶんだと思います。
原因があって結果が起きます。
人類は自転車操業状態なので、一人が止まろうと思っても止まれません。
現在は止まろうとさえせず、もっと早くもっとたくさんなんて加速中です。
止まって考える時間さえないと信じているのです。
まだまだ先はある、猶予は十分あると思ってしまってるのです。
何度警告してもほほ誰も関心を示しません。
本当にあなたはこのまま人類は生き残れると思っていますか。
家のすぐ近くなのに手入れができなくて、はいることもできなくなった場所の再開拓をしてます。
木を切ってそのままにしておくと、主に生えてくるものはトゲを持ったのイチゴとか野バラ類とか、たらとか、それ以外にツル性の植物が生えてきます。
どちらの種類の植物も通行するのも難しくなってしまいます。
今回この空いた部分に果物の木を植えていってます。
木が育ってくると、これらの植物は太陽を遮られて勢いがなくなってきます。
トゲのある植物を取るのは結構痛いものです。
毎日指は必ずとげが刺さってます。
今回は約20本の野生の桃の木と、リンゴを2種類、梨とソルダムと、カシクルミを1本づつ植えてます。
桃はすでに20本から30本植えています。
種を植えたものもあります。
大きい桃の木は4本。
これは観賞用の花桃が2本と、野生の桃2本です。
観賞用の桃は花芽が多くてきれいなんですが、実は食べられまないものが多いのです。
野生の桃も甘みがそれほどないのと、ほとんどの実に虫が入っているのであまり食べれません。
今回植えた野生の桃は「お初桃」と言って、接ぎ木の台木として使われる、大鹿村に古くからあるものです。
その野生のお初桃の中に1本だけ実がおいしい木が、ありました。
その野生の桃の中でよくにおいしい桃の種を買って植えたものが今回の野生のお初桃です。
種で作る場合は親と同じものはできません。
この中に何本かは甘くておいしい桃が出るかもしれません。
この新しい野生桃の育種と、この場所を桃で飾るのがげたの夢でもあります。
10年か、20年後には桃の花で囲まれた場所になるでしょう。
1はともかく、2は無茶苦茶です。
訳者の言うように、元の原稿に大幅に加筆してるのかもしれませんが、とても読めるレベルの本ではないと思います。
ただし地球空洞説とか、UFOとかがインチキではありません。
地球製UFOはあると思います。
宇宙人はいるとは思いますが、アメリカの味方をする宇宙人がいるかどうかは疑問です。
それでも事実は驚愕なんだとは思うので、アメリカに最新技術を教える宇宙人がいる可能性はあるのでしょう。
ドイツもUFOを作ってたのはほぼ間違いないのでしょう。
ナチスはアメリカとか南米に行ったのは、多分本当でしょう。
ヒットラーも多分死なずに、どこかに逃げたのでしょう。
余りにも事実は大きなミステリーなんだと思います。
何が本当で何が嘘かは誰にもわからないでしょう。
あまり真面目にこの手の話はしないほうが賢明です。
げたはみんなと違う意見が好きなだけなのです。
ともかく徹底的に人と同じが嫌いなだけのすねものなのです。
変人と言われれば、認めます。
自分では自分のことを変だとは思っていません。
今日は家庭内のことで朝から落ち込んでるので、いろいろ考えてしまいます。
最近は、ふりだし塾に自給自足を学びに来て、すぐに変える人たちも増えています。
多分、テレビとか本とかで自給自足のことを見て、何となく来る人が増えてるんでしょう。
つまり深くは考えてないのです。
そして現実の自給自足の生活の、その手前の、虫とか、ポットン便所とか、汚さとかで既に付いていけなくなって、逃げ帰ってしまうのです。
街での生活は生きているという実感が無くても何とかやっていけるのでしょう。
もちろん多くの田舎に住んでる人たちも、ほぼ同じ症状です。
生きるということにリアリティーを感じることができないのでしょう。
自分たちのやってることが、生きる上でどうしてもやらなくてはならないことが無いんじゃないかと思われます。
本来人間は自分たちだけで生きてるわけではありません。
多くの人たちとのつながりで生きてるし、自然とも密接にかかわりあって生きているのです。
虫が嫌いと言うことについても少し考えればわかると思いますが、虫がいなくなれば私たち人類は生きていけません。
今ミツバチがほぼ絶滅状態なんですが、これが私たちにどのような影響を与えるかは、時間が立たないとわからないのでしょう。
ミツバチだけではありません。
そのほかのどの虫たちも、この地球の中で必要じゃない虫はいないのです。
もちろん私たちに迷惑な虫はいっぱいいますよ。
そうだからと言って、迷惑だからの理由で、虫を殺すことが正当化されるでしょうか。
この点についても、理論的にはわかってる人も、実際虫に接すると、たちまちそれを忘れてしまいます。
農業も知らぬ間に汚れ仕事に落ちてしまってるものと思われます。
土で汚れるのは汚いのでしょうか、土は汚いものなのでしょうか、私たちは汚いモノの上で生きてるのでしょうか。
土が汚いのだったら、地球そのものが汚くなってしまいます。
次に極端な例で、ウンコは汚いモノなんでしょうか。
昨日あなたが食べたものは汚いはずがありません。
それが体の中を通って、肛門から出たとたんに汚いものになるんでしょうか。
ウンコは体の中にあったわけですが、そのあなたも汚いのでしょうか。
あなたはウンコとは関係ないんでしょうか。
汚いものだから、水に流して、もう後のことは何も考えないんでしょうか。
有機農法ではウンコを畑に入れます。
もちろん人間のモノはほとんどありません。
牛や豚や、鶏のウンコです。
ウンコで育ったトマトは汚くないのでしょうか。
何処から汚くなって、何処から汚いのでしょうか。
それとも化学肥料だけで育った野菜の方が、清潔でいいのでしょうか。
生きることにリアリティーが無いから何も考えないんじゃないでしょうか。
リアリティーが無くて生きてることは生きてると言えるのでしょうか。
このぐらいのことは、自給自足を考える前に考えましょうよ。
何度も書きますが、虫が嫌いな人、土を手で触れない人、土がついたものが汚いと思う人、ウンコは汚いと思ってる人、すみませんウンコくらいはいいです。
ともかくこんなこともわかっていない人は来ないでください。
お願いですから、それでなくとも今は自給自足を教えるのに、ひじょな困難があるのです。
世代ギャップと、文化ギャップが大きすぎて、農業ひとつとっても教えるのが非常に難しくなってます。
ちいちいぱっぱじゃないんですよここは。
これも通じないかもしれませんね。
ここは違う文化の国だと思ってください。
あなた方の文化は通用しません。
他の文化も尊重してください。
世界にはあなた方が想像もできない文化がいっぱいあるんですよ。
そこでも人は生きていってるんですよ。
この狭い日本の異常な世界が、普遍的な文化価値だと誤解しないでください。
あなた方現在の日本は世界中でも際立って異常な世界なんですよ。
まあこんなことをいくら書いても無駄なことはわかってます。
山奥の世捨て人の独り言です。
独り言なので怒らないでくださいね。
なにしろ最近は、名前を名乗らなくてもよくなったので、暇な人がすぐに攻撃してきます。
気に入らなければ見ないでくださいよ。
独り言ぐらいいわせてくださいよ。
文句を言うのでしたら、正々堂々と名乗ってからにしてください。
漫画を読んでたら、面白い表現がありました。
「あったら便利は無くても平気。」
何かふりだし塾の看板にでもしたいくらいのいい表現です。
でも街の人たちには多分わからないことなんだろうと思います。
街の人もこれぐらいはわかると思ってるかもしれませんが、それを本当に生きてるのでしょうか。
わかってても、やらなくては、わかってないのと同じだと思います。
実を有と街の人たちとのあまりにもの違いに、最近どうしていいか解りません。
昨日、一昨日と昔のインド時代の友達が子供を連れて遊びに来てました。
彼らが帰ってから鶏小屋に行くと、鶏のエサが小屋の外にも内側にも撒いてました。
子供は遊びなんでしょう。
こちらの孫も一緒ですから、彼らだけを責めることはできないのですが、何か絶望的です。
鶏のエサは当然ですが人間も食べれます。
食べるものを、遊びでばらまく、これはなんなのでしょう。
ここまで街の人たちとの溝は深くなってしまったのでしょうか。
最近は偶然ネットで見た、ふりだし塾に来た人のブログに、書かれていたことでもショックを受けてます。
げたは彼女は嫌いではないんですが、こんなことを書いていたのかとショックでした。
彼女が一番最初に家に来たとき、げたは当然ですがどうぞ座ってくださいと,言ったのですが、
彼女はこう書いてました。
「座れと言っててもこんなに汚いところろに、座れといううんですか。」
だいたいこんなニュアンスだったと思います。
これはショックでした。
まさかこんなポイントで、こんなとらえ方をしてるとは、夢にも思わなかったのです。
ここに自給自足を学びに来てるんですよ。
こちらがぜひ来てくれと頼んだんじゃなくて、向こうから来たいと言ってきてるんですよ。
もう信じられません。
と言うより情けないです。
もう街の人との接点はなくなってきてるように思います。
虫も嫌い、汚いのも嫌い、土も嫌い、それでどんなにして自給自足をやろうとしてるんでしょうか。
皆さんがきれいすぎで、虫がいなさすぎで、土もないところに住んでるのです。
それが当たり前になってしまって、生まれたときから何でもあって、物が無いなんて経験したことが無い人たちが人口の多くを占めるようになってきてるのです。
その陰で、戦争で死んでる人たち、飢餓で死んでる人たち、このような現実が同じ地球の中で起こってることさえ、現実のリアリティーとしてとらえることができない人たちが増えて来てるのです。
日本でも東京と大きな街だけが栄えて、田舎はどんどんダメになってるのに、その現実さえ直視できないのです。
多分人類はこのまま滅びの道を一直線に進んでいくのでしょう。
はじまりは、
あったら便利です。
無くても平気なもののために、自由も平和も、幸せさえもなくなってるのに、それにさえ目を向けようとしないのです。
ゲタさん、の言う”若い人”の具体的な年齢層をお教え願えれば幸いです。
記事の内容について概ね賛同致します。
いよいよ本格的に農業が始まりました。
大学生のこうけん君も体調を崩しながらもガンバています。
やはり手伝いが居ると仕事は進みます。
午前中はイチゴの苗作りをして、午後はシイタケの植菌でした。
シイタケの植菌は小2の孫二人も手伝ってくれました。
小学生とはいえ、この仕事では二人は一人前の働きをします。
大したもんです。
今年はドリルの刃も新調したので楽でした。
ドリルの刃は早めに変えたほうがよさそうです。
2年が限界です。
つまり1年でだいたい3-4箱の駒を打ちます。
ドリルの刃は10箱までは使えないのでしょう。
イチゴの苗は今年の冬は雪が少なく損傷が大きいので、ほとんど葉が1枚くらいしか残ってません。
個の苗をハウスで育苗してから畑に定植します。
今年作った苗で今年イチゴは食べれます。
ふりだしでは1500メーターの畑、1300メーターの畑、800メーターの畑のそれぞれにイチゴを植えてます。
毎年どこかの畑のイチゴが残って,其れで苗を作ります。
前年のランナーが通路に伸びて、それが冬を越します。
親株はあまり残りません。
これは草取りをしっかりできないためです。
イチゴは背が低いので、他の草ができるともろお日様が当たりません。
太陽に当たらない株は根に十分な養分を貯めることができないのでしょう。
イチゴを食べるまでは熱心に草はとりますが、実がならなくなるとどうしても草取りが後回しになります。
通路にランナーが伸びてくるので、管理機で通路の草を一掃と言うわけにはいかないのです。
出荷が始まると余裕が無くなり、毎年イチゴは草にまみれます。
それでも何とか毎年イチゴを食べれてます。
トンデモナイ本です。
これが事実なら、ともかく大変です。
著者はジョン、リース。
ヒカルランドの本です。
副題は今明かされるUFO、宇宙人、地球空洞説のすべて。
ヒトラーの第三帝国は地球内部に完成していた。
ともかく驚愕の内容です。
1と2があります。
1の最初の半分は大部分アメリカの円盤機開発。
なんと円盤機の開発には地球人の白人と同じ容貌をしている金星人もかかわっているという話です。
まず信じれる人はあまりいないでしょう。
げたは70パーセントで信じる方です。
そもそもUFO情報は本当のことが隠されているのは間違いないでしょう。
この本によると、彼らは頻繁にアメリカのワシントンの上空に現れ、なんと大統領と会見までしているそうです。
それもホワイトハウスの前に着陸して中から出てきた金星人を地球人は阻止もできないみたいです。
もうSFですよ。
事実は小説よりも奇なりです。
面白すぎて仕事ができません。
2日休んでます。
モミジの木が花壇の邪魔になってきました。
モミジは秋にきれいなのですが、大きくなってきて裏にあるリンゴの木も大きくなりません。
周りの花たちも元気がありません。
ちょうど、なめこ用の原木が無いので、なめこを打つことにしました。
この木も大事にしていた木なんですが、しかないです。
伐採して、1メーターに切って、軽トラに載せてる時に手を挟んでしまいました。
モミジは結構重いのです、硬さもあって鎌の柄なんかにはちょうどいい木です。
やはり年のせいか重さを支えきれなくなって、手を挟んでしまいました。
指先ですが大事を取って仕事は休んでます。
爪の根元が青くなってるので、多分爪ははがれるでしょう。
軽トラがダンプのせいで10センチぐらい荷台が高いので、よけいに大変なのです。
便利になるといいのですが、このように問題も起こります。
1年を通して10センチ余計にあげるのは結構きついんですよ。
ダンプでは大活躍する、ダンプ軽トラですが、普通に使うときは非常に使いづらいのです。
切った木の枝はヤギのエサにします。
冬のヤギには新鮮な木の枝はごちそうみたいです。
今年は大幅に木を切っています。
大きくなって切りにくくなる前に、手を打っておかないと、大きくなったら、庭の中では倒す場所もあまりなく、倒す方向も、木が小さいうちは押して倒したい方向に倒せます。
木が大きくなったらこうはいきません。
チリホールで倒す方向に引っ張らなければなりません。
木を1本倒す時間が全然変わってきてしまいます。
邪魔になりそうな木は早めに切る、これは鉄則です。
大きくなって切れなくなった木がたくさんあります。
切れなくなった木は、根元の樹皮をはがして枯らします。
しばらくみっともないのですが、他に方法がありません。
しかしこの立枯らしも大きな枝が屋根に落ちたり、昨年のように台風で家に直撃なんてのもあります。
こういう目に合わないためにも、木は小さいうちに切り倒しておかないとダメです。
10年20年と先を見て木を残していかないと、とんでもないことになってしまいます。
日がたつにしたがって、敷地は畑が増え、建物が増え、木を倒すスペースが無くなってきます。
木を決まった方向に倒すにはプロの技がいります。
危ないんですよ。
いま地球空洞説にはまってます。
つまり、人類はどこから来たのかの、一つの説です。
地球は空洞であるというのはそれほど荒唐無稽な話ではありません。
そもそもすべての惑星、および一定以上の大きさの衛星は丸いのです。
ある線より下の衛星及び小惑星はごつごつです。
球形は強度があるのですが、このような大きな天体が中まで詰まっていると,自転の速度が大きいと崩壊するはずだそうです。
つまり球形で一番強度があるのが中が空洞の球体なのです。
惑星ができる時にも、高速で回転しながら固まっていくと、中が空洞になるほうが自然だそうです。
アダムとイブが追放された楽園とは地球内部にあったという説もあります。
現にこの(地球内部を旅した男)の本の中にエデンと言う地名があります。
地底人は身長が3-5メートルで、寿命も何百年だそうです。
地球内部では木も動物も人間もすべて大きいそうです。
そもそも惑星の外部は地球はまあまあいい方ですが、他の惑星では地表には生物は住めません。
地中の方があらゆるものが安定して住みやすいみたいです。
地上の人間や生物が小さいのは、地表の環境があまりにも厳しいせいであるそうです。
地上は厳しいよねえ。
地下には太陽が無いのではと思ってるでしょうが、セントラルサンと言う発光体が有るそうです。
地下では引力は地上の反対です。
北極の穴から入っていって300キロあたりが真ん中みたいですが、そこで磁石が立つそうです。
そこを過ぎると磁石は南をさすそうです。
磁場もはんテンしてるみたいです。
地下では争いが無いので文化もかなり進んでるみたいです。
次はレイモンドバーナードの「地球空洞説」を読みます。
げたは理想的な地球内部の世界よりも無茶苦茶な地表の方に親しみを感じます。
地下の世界の住人は立派な方が多いんですが、付き合いにくそうです。
げたは適当なほうがいいのです。
正しい世界もいいのでしょうが、ちょっと息苦しそうです。
