朝10時から餅つき。
雪から雨に変わったのですが、屋根下で餅をつく準備はしてたので、問題なく餅をつけました。
7家族合同です。
女の人も子供もみんなで餅つきができました。
昨年は人の集まりが遅く、朝はげたともう一人の二人でついて、げたは切れていました。
今年はげたの出番もない状態で、これがげたの望んでいたことなのです。
なるべくいろんなことから引いていって、好きな庭いじりと少しばかりの農業で生きていきたいと思ってます。
私たち世代の出番がないのが、若い人たちに切り替わっていくということです。
村全体のことで、私たち世代がやることがほぼなくなるようになってもらいたいものです。
そうしたら私たちも今までできなかった、自分たちだけのための生き方ができるようになります。
げたはこの場所をいろんな木と植物で完成させていきたいのです。
すでに多くの木も植物も植えていますが、まだ完成したとは思ってません。
また大部分の木はまだ小さく、大きくなるに従い手入れもしていかなければなりません。
この2町歩の土地を、どこまで自分の思ってる、理想の場所にしていくかが、今一番やりたいことなのです。
昨年は桃をたくさん植え、今年はモミジの種をいろんなところに蒔きました。
春は桃で、秋はモミジがこの場所のポイントになります。

夜はしめ縄作り。
昨年は面倒なので作りませんでしたが、今年は孫に教えがてら作りました。
孫たちも結構うまく作ってました。
明日は松を取り、松も飾ります。

いきなり30センチ降りました。
これで上の畑は行けなくなりました。
前日にタウンエースのタイヤは変えたのですが、軽トラのタイヤは変えてませんでした。
雪かきをするためにはまず軽トラのタイヤを替えなければなりません。
タイヤを変えてからようやく雪かき。
下の畑も雪が解けるまで仕事はできません。
家の仕事はようやく始めることができます。
何としても薪割りなんですが、それ以前に丸太を集めなければならないのですが。
丸太は雪の下。
日陰は雪は解けないので、雪をかいてからハンマーで丸太をドついて、地面から剥がして持ってこなければなりません。
時期を逃すと、何倍も時間がかかります。
仕事が遅れれば、もっと遅れる悪循環になります。
冬になれば便所の肥くみもかなりきつくなります。
肥えたご担ぎで滑って転んだら目も当てられないことになります。
小屋を建てようと思ってたのですが、基礎の穴を掘ることができませんでした。
これも凍った地面を掘るのは何倍も時間と手間がかかります。

大豆の選別も村が持ってる大豆選別機でやります。
大、中、小に分かれていい大豆が出てきます。
割れたり、形の変な大豆は別の所から出ます。
殻とか茎も別の所から出ます。
優秀なんですよ。
時間は約1時間で終わりました。

これを全部手でやると。
まず唐箕にかけなければなりません。
その後に選別するのですが、これは板の上を転がして、丸いやつ(つまりいい大豆)は下に転がり落ち、ダメな大豆は転がり落ちません。
この作業は角度が難しくて、慣れるまで何度も失敗します。
その上場所を取るので、少量の場合は、結局目で見て手で悪い大豆を取っていくという手順になります。
これだと大量の大豆はできません、時間がかかりすぎます。
つまり機械が無いと、大量の大豆を作る事自体ができないのです。
大豆の最終収量は69キロ。
大豆の値段は私たちは直売ですので、キロ1000円。
全部売れたとして69000円。
大豆に要した日数は人数換算で30日人。
つまり二人でやった1日作業は2日人になります。
69000円を30日で割ると、1日2300円。
1日の仕事時間を6時間としても自給は400円です。
これはトラクターの維持費、ガソリン代、種代、管理機の維持費とガソリン代、脱穀機の借り賃、選別機の借り賃、畑に行く車の燃料費等は入ってません。
これを入れると、下手をすると自給は200円を切るでしょう。
これが無農薬農業の現実です。

個別に計算すると、作物によっては自給が最低賃金より上になるものもありますが、ほとんどは最低賃金以下です。
ただし自給で使う分を考えれば話は違ってきます。
自給で使う分は計算しません。
これは計算しても意味はないのです。
よく自給で使うと計算してなんてやる人もいますが、そもそもお金は1円も動きません。
つまり必然的にどんぶり勘定になります。
つまり、毎年何とかお金が回って、生活していってます。
余分なお金は稼げません。

私たちは1年中ほぼ働いています。
晴耕雨読とか、スローライフなんてのはよその世界のことなのです。
これ、自給自足とか、無農薬で農業をやる人がいなくなるのも無理はないですよね。
自給自足生活と無農薬農業は絶滅危惧種です。
私たち自身若い人たちに進めることもできません。

唯一の希望は農家戸別保障です。
れいわ新選組は一次産業全体を戸別保障するという政策だそうです。
れいわ新選組に頑張ってもらいたいものです。

田んぼで収穫して、新八角堂の広いベランダに干していた大豆を脱穀しました。
大豆は例年ですと棒でたたいて脱穀するのですが、今年は1枚の田んぼ全体で栽培したので量があります。
村には大豆専用の脱穀機があるので、それを借りてきて脱穀しました。
大豆は米用の脱穀機では脱穀できません。
米等の脱穀機では網を交換しないと大豆は脱穀できません。
米用の網は目が小さいので、大豆は下に落ちないのでごみとして排出されてしまいます。
この大豆用の脱穀機でも1日かかりました。
収量は今日の段階で約80キロ、田んぼの広さは約7畝。
あまりいい成績ではありません。
この状態でやはり村が持っている大豆選別機にかけます。
これで多分60キロぐらいになると思います。
やはり草が半分くらいまでしか取れなかったために減収しました。

これで脱穀が終わったのが、米、小麦3種類、アワ、ヒエ、高キビ、大豆。
脱穀がまだ終わっていないのが、ヒマワリ、ゴマ、ケツメイシ、花豆、トラ豆、前川金時、小豆とまだまだ残ってます。
年内には終わらないでしょう。
畑も上の大池の畑のマルチ剥がしは終わりましたが、トマトとか支柱があるものの後片付けが終わっていません。
家の畑も下の畑もまだマルチは剥がせてません。
田んぼの荒起こしも済んでいません。
地面が凍るまでにどれだけできるかわかりませんが、年を越して畑の作業はやりません。
そのうち雪が降って、それまでです。

畑のマルチをはがしています。
上の畑は連日最低気温がマイナス10度近くまで下がってます。
雨とか雪が降るとマルチも剥がせなくなります。
あと1日あると終わるのですが、明日は「田舎生活の本」の取材で休まなければなりません。
午後3時の気温はマイナス3度で、手がしびれてきました。
4時にはもう仕事はできなくなりました。
今日は真冬日だったみたいです。
家の気温は200メーター高度が下がるので、これより2度くらい温度は高いです。

ここ最近ご飯を食べる時に、のどに詰まり、お茶を飲みながらでないとご飯が食べれませんでした。
今年になってからこれがひどくなって、お茶を飲んでもなかなかのどのつまりが治らず、お茶が逆流してきたりもしてました。
どうしても年齢と共にこの喉つまりは起こりやすくなるそうです。
最近では若い人にもこの症状が出てくる人もあるそうです。
技は簡単です。
1日1回でいいそうです。
1回と言っても、1セットです。
口を大きく開いて10秒ホールドします。
しばらく休んでこれを5回やります。
これだけです。
これからお正月が来ますが、正月早々もちをのどに詰まらせて、情けない無くなり方をしないためにも、今からこの技を毎日することをお勧めします。
家にお年寄りがいる方は知らせてあげてください。
のどの中は空気と食べ物が通ります。
肺への入り口に弁があり、食べ物を食べるとこの弁が閉まるようになってるそうです。
この弁の動きが悪くなるために、のどの食べ物が詰まるようになります。
この弁の動きは当然ですが筋肉が関係してます。
この筋肉の働きが悪くなると、弁もうまく閉まらなくなるわけです。
当然よくかんで食べる人はこの筋肉はあまり弱くはならないのでしょうが、最近の食事は柔らかいものが多いので、若い人にもこの症状が出るのでしょう。
口の筋肉も鍛えましょう。筋肉は使わないと弱くなります、年を取っても鍛えると強くなります。
私たちは一生筋肉を鍛え続けなければならないのでしょう。
動物ではこれは当たり前のことです。
げたも最近は重いものを持つときは、これは筋肉を鍛えているのだと思ってやってます。
鍛えてると思っているので重いものを持つのが苦になりません。

ほうれん草、キャベツ、白菜を収穫して、キャベツの葉っぱ、セロリの脇芽をヤギのエサとして取り、畑にはもう収穫するものは残っていません。
ようやくここまで来ました。
例年の1か月遅れ。
昨年までは手伝いの人がいてくれてたので、何とかなっていたのですが、私たち夫婦だけではこんなになってしまうことがわかりました。
来年は規模を大幅に縮小しなければならないでしょう。
ふりだし塾は年々来る人が減り今年は3人だけ、それも春に来ただけで、それ以降は一人も来ません。
ふりだし塾の問題ではなく、今の世の中では自給自足を本格的にやりたい人がいなくなってしまったみたいです。
それと同時に、ポットン便所とか、虫とか、寝具とか、宿舎なんかも今の人たちには無理なんでしょう。
あと何年か先の本格的な経済崩壊で、生活ができなくなるまで自給自足はほとんどの人たちにとって、やってみたいけど自分にはちょっときついなあと言う事みたいです。
皆さん現状維持か、田舎生活も街の近くの田舎で、ちょっとした自給をやりながら、おしゃれでスローで楽なスタイルで生きたいのでしょう。
まあ仕方ないでしょう。
最近はここで書く気もだんだん衰えて来てます。
ふりだし塾は終わってるようにも感じられますが、看板は下ろしません。
何年か後にはまた自給自足が見直される時が来ると思ってるためです。
とりあえず来年は一人も来ないことを前提に仕事の予定を組んでいきます。

長らく放置していたハザを回収しました。
一部は田んぼの中に放置したままで、残りのモノも田んぼの畔までは持って行ったのですが、その後は仕事に追われ、今日ようやく回収が終わりました。
田んぼの作業はこれでもまだ終わりではありません。
まだ荒起こしが残ってます。
大豆とそばを作ってた田んぼで、大豆が4そくとそばを全部刈り取りしたまま置きっぱなしになってました。
今日防鳥の大邱巣を回収している時に見つけました。
ソバはほとんど取りに食べられていて、蒔いた種より少ない収穫になりそうです。
ソバは種を大鹿村に慣らすために種用にだけ作ってます。
干し柿用ののカキの最後の残りを取りました。
何度も凍って、柔らかくなったカキですが、かなり柔らかくなっても皮はむけます。
今年は干し柿用のカキは不作であまりたくさん干し柿はできません。
この村でも、多くの田舎でもそうですが、どの家にもほぼ全部に渋柿の木があります。
昔は干し柿が一番簡単な甘みの確保だったので、どの家でも必ず干し柿は作っていました。
干し柿を干している家の風景はいいものです。
今年はどういうわけか、カキがなかなか色がつかなかったので、木に置いたままにしてると凍ってしまいました。
種から育てたカキなんですが、この村には向いてないのかもしれません。
急きょ、この村の渋柿の木の種をカキの木の横に蒔きましたが、このカキが大きくなってカキがある程度取れるようになるまでには10年はかかります。
どうして果物の木は接ぎ木苗しかないのかは、この理由のためです。
カキの種でもどの果物の種でも、蒔いてから収穫までに最低でも3-5年かかります。
種からの栽培では親の木と同じものはできません。
人間でも親子は全然違うケースは結構あります。
親に似てないケースの方が大きいのです。
時間をかけて果物を種から育てても、いいものができないケースの方が大きいのです。
種から果物を育てようとする場合は気を付けてください。

室は(ムロ)と読みます。
地面に穴を掘り、冬季の野菜を保存するところです。
昔は地面を掘ったままだったのですが、それでは年月を経ると壁が崩れてきます。
ふりだしには室は2か所あります。
1か所は主にヤギのエサであるビートと人参が入ってます。
この室は穴を掘った後四隅に柱を入れて、上部だけ木で枠を作り、ふたはコンパネを置いているだけです。
3年前に大幅に崩れ、周りをコンパネで囲いましたが今年又壁が崩れ、応急処置で今年は何とかします。
来年までには新しい室を作らないとダメなんですが、冬はコンクリートが凍ってしまうので養生しながら作らなくてはダメなので、今年の冬に新しい室が掘れるかはわかりません。
今までは室は人力で掘りました。
そんなに大きくない室でも、人力で掘るとなると大変です。
なにしろ、掘った土は、室のすぐ横に出していきますが、この土がどんどん高くなって、掘った土を上げるのが、室が深くなるにつれて厳しくなります。
これがもう一人いると非常に楽です。
掘った土を上にあげてくれて、土は少し遠いところに捨てることができます。
何しろムロは最低でも3メーターほど掘らなければなりません。
一人で掘ると2メーターぐらいまでは何とか土を出せますが、それより深くなるとこれが結構大変なのです。
げたは壁を階段状に掘って行き、この階段を利用して土を出しながら、掘って行く方法で室を掘りました。
最後にこの階段を崩して室は完成です。
結構時間はかかります。
体力もいります。
今は人力では掘れません。
機械で掘ります。
小さい穴なら1時間を掛かりません。
機械は恐ろしいです。
人力なら3日はかかります。
これ頑張ってですよ。

もう1か所の室は家の中にあります。
これは結構大きい室です。
ちょっとした地下室と言ってもいいくらいです。
この室は家で使う野菜用です。
ジャガイモ、ヤーコン、ニンジン、大根などが入ります。
この家の室は家のちょうど真ん中の貯蔵庫の地下にあります。
周りはブロックで囲まれてます。
この室自体が家の基礎の一部でもあります。
そのため作るのには結構時間をかけました。
本当にきつくて泣きたくなるほど大変でした。
この室はブロックで壁を作るのですが、ブロックで壁を作るためには、壁の横に隙間が必要なのです。
そのため必要な空間よりも広い面積の穴を掘らなければなりません。
今見てもこんな穴をよく掘ったもんだと思います。
個の穴掘りのつらさは、穴掘りをした人にしかわかりません。
やったことが無い人にいくら言っても、このキツサのリアリティーはわからないと思います。

余談ですが、大鹿村では私たちが来た当座は死んだ人を土葬してました。
当然ですが、手で穴を掘ります。
穴掘りは3人ぐらいで掘ります。
人間用の棺桶が入る穴を掘るのでも、3人がかりで掘るのですよ。
この穴掘りの人たちは、穴掘りしかやりません。
きつい仕事なのでほかの仕事と併用は無理なのです。
室の穴はこの穴の何倍も広いし、尚且つ深いのです。
その土地の土質にもよりますが、普通は結構石が多くて、なかなか掘り進めません。
スコップでスコスコなんて簡単に掘れるもんではないんですよ。
家を作るときは、基礎も穴掘り、便所も穴掘り、風呂も穴掘り、こたつも穴掘り、室も穴掘りと、基礎の部分では本当にたくさんの穴を掘らなければなりません。
そのため、ほとんどの自分で家を作る人でも、基礎はプロに任せるのです。
技術もいりますから。
自分で基礎から、その前の木を切って、根っこう抜いて、土をまあまあ平らにして、それから基礎ですよ。
こんなの普通はやりませんし、できません。

このようにして作った室です。
寒冷地では室は非常に大事なのです。
春までの野菜の保存は、昔は命がかかっていたのです。
春までの冬季の食糧に確保が命がけだったのです。
冬場の食糧を十分に確保できなければ、誰かが死ななければならなかったのです。
家畜も同じです。
春までのエサが無いと家畜も生きれません。
春までのエサが十分でない場合は、家畜は殺されます。
昔の自給は本当に大変だったんですよ。
そのために、できるだけ大きな室を掘るんですよ。
今までいろんな家の室を見てきましたが、とんでもない規模の室もあるんですよ。
中で住めるぐらいの室もあります。
サツマイモなんかは深い室でないと冬を越せないのです。
サツマイモ用に室の中にまた別の穴があったりします。
サツマイモは5度以下になると腐ります。

収穫して干したままの雑穀類を脱穀しました。
ヒエ、アワ、高キビ、小麦2種類の5種類です。
機械の脱穀機で脱穀しました。
雑穀類は足踏み脱穀機を使うのが普通なんですが、時間がありません。
足踏みでやると、5-10倍時間がかかります。
その上非常に疲れます。
足踏みでは、まず脱穀します。
その後に、ふるいにかけ大まかな葉っぱ類を除きます。
それを今度は唐箕にかけます。
機械はこれを一気にやってしまいます。
機械は早いのですが、ロスがたくさん出ます。
脱穀機は米用なので、軽い雑穀類は普通にやるとかなり飛ばされてしまいます。
その上、雑穀の種類が変わるたびに、機械の中に残った雑穀が次の種類の脱穀が始まると混ざってしまいます。
雑穀類は精製する時間が違うので、一緒には精製できません。
売る場合はもっと問題が出ます。
今回は小麦もやってるので、小麦が混ざるとアレルギーの人に問題が出ます。
少量でも大事になることがあるので、後で丁寧に分けなければなりません。
雑穀類は精製の段階でもかなりロスが出ます。
籾摺りも米用のモノを使うのでかなり飛んでしまいます。
籾摺りの場合は、飛んだものは鶏のエサにするので大丈夫なんですが、脱穀の時のモノは回収しません。
雑穀類は栽培の段階から、取りにやられ、刈取りの時にぽろぽろ落ち、干して脱穀の時にまた落ちて、脱穀でまたヘリ、もにすりでまた減ります。
最終的には半分以上がロスします。
最近は鳥の害も大きいので7-8割無くなるときも多いです。
雑穀類を作り続けるのは本当に大変なのです。
それでも雑穀類の栽培はやめれません。
畑の連作障害回避が一つ、ヤギのエサの確保が一つ、当然ですが食べるためにも作らなければなりません。
種を切らさないためにも作り続けなくてはなりません。
この雑穀の脱穀で追われる仕事は一段落です。
畑にはもうほとんど作物は残っていません。
明日は休みます。
ようやく休むことができます。
1日ですが。

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