時間がありませんので続けていきます。
自給自足の村作りでは、小さい農業、そうです有機農業が基本になります。
この山奥の村で他と同じ農法でやっても太刀打ちはできません。
他の所ではどんどん大きな法人ができて、効率化を図っています。
農産物の価格も、特に米の価格は各国との自由貿易体制の影響もありもっと下がる可能性があります。
これ以上米価が下がれば、小規模な慣行農法の米作りはより困難になるものと思われます。
最低限でも特別栽培米、多くは有機農法の米作りに転換していかないと村の米作りは行き詰ってしまいます。
出来れば全村有機農業化と言うような思い切った政策しか残されていないのではないでしょうか。
農家の規模を小さくすれば、農家は増えます。
最近はよく半農半xなどとも言われてます兼業農家を増やしていきます。
例えば最近私はうどんと玄米麺の商品化をやりましたが、村に製麺業者がいないのでよそで製麺しました。
又小麦の粉ひきを頼みたいのですが、そもそも小ロットの粉ひき屋さんがほとんどありません、
つまり小ロットの製粉所を作れば必ず商売になります。
それではなぜ小ロットの麦を引いてくれる製粉所が無いのでしょうか、それは儲けないからなのです。
大きな設備を持ってやってますから、少量には対応するのも難しいのでしょう。
小さな機械で、小規模の製粉所は可能です。
半分農業で自給の作物を作れば、小さい規模で少ない稼ぎで生活は成り立ちます。
製粉所ができれば、製麺所もできます。
これを同じ人がやらなくて、他の人がやります。
これで二つの仕事ができます、
製粉所と製麺所ができれば、小麦を作る人も増えます。
パン屋ができるかもしれません。
お菓子屋ができるかもしれません。
この様に半農半xであれば新しい仕事も増えるし、畑や田んぼを作る人も増えます。
これにはやはり有機農業でなければならないのです。
小規模でいろんな仕事をやる場合には単価をあげなければなりません。
農産物で単価をあげるためには、やはり有機農業でなければ仕事は成り立ちません。
他の部分でも自給自足では、村の未利用の資源を使っていかなければなりません。
放棄された農地にはえてるカヤやあちこちに落ちてる落ち葉なども肥料化すれば立派な資源になります。
また木の駅を作って、軽トラで持ってくる2メーター材や、小径木や曲がり材のs材なども受け入れペレット化すれば、一つの商品になります。
またこのペレットを使ってバイオ発電をやれば、電力の自給自足も可能です。
木の駅ができれば自伐林業も盛んになります。
放棄された山にも手が入る可能性は大きいです。
そして、この木の駅では搬入された木材の代金として、地域通貨で払います。
木の代金としてもらったお金は地域通貨なら地域で使うしかありません。
他にも製粉所で麦を製粉してもらうのも、製麺所で麺を作ってもらうのも地域通貨でやります。
村でしか使えない地域通貨の使用量が増えれば増えるほど村の経済は活発になります。
この自給自足の村作りの一番大きなポイントは地域通貨にあります。
いま日本の地方はどこも衰退していってますが、その一番大きな原因は自分の村に入ってくるお金より出ていくお金の方が多いからです。
これがグローバル経済の一番大きな問題なのです。
グローバル経済のおかげでいろんなモノの値段は確かに安くはなりました。
しかしその安いモノのせいで、地元のいろんな仕事が奪われてしまいました。
もともと地元に有った油屋さんが無くなり、味噌屋が無くなり、醤油屋が無くなり、粉屋が無くなり、小さなお店が無くなり、すべて大規模店のとってかわられてしまいました。
私たちが安いと思って大規模店で買えば買うほど、地元の経済は痩せていきます。
そして地元の経済が悪くなると自分たちにも悪影響が出てしまいます。
この様にして地方は衰退してきました。
この負の連鎖から抜け出すためにも自給自足と地域通貨での村作りしか解決の方法はないのではないでしょうか。
まだいろいろ言いたいことはあるのですが、慣れないモノで時間がわかりませんので、今日はこの辺で終わります。
どうか検討をお願いします。
例によって、文章ソフトを持ってないげたは、ここで原稿を書きます。
題して「自給自足の村作りの提言」
まず最初に慣例として言わなければならないことがあります。
これをまじめにやってるのは信じられないことではありますが、どこの議会でもこのようにやってるんでしょう。
「議席○番の○○です。
一般質問の通告をしたところ、議長の許可をいただきましたので
質問させていただきます」
現在世界はコロナウィルスのパンデミックで大きく変わろうとしています。
この大鹿村もこの変化の波をもろに受けるものと思われます。
グローバル経済が行き詰まり、強くて大きい会社や国の一人勝ちが終わろうとしてます。
既にここ10年で言われてきた地方の時代がようやく本格的になりそうです。
もともと大鹿村は山奥の村であります。
経済的には何をやるのにも不利な場所であります。
この小さな山奥の村が、他と同じことをしていては勝ち目はありません。
村独自の政策を取っていかないと、村は崩壊してしまいます。
この不利な山奥の村でできる唯一の政策は自給自足での村作りであります。
国の政策として農業も林業も大規模化でグローバル経済の中で生き残りを図るということなんですが、農業も林業もこの村の規模では大規模化はできません。
たちえば農業で、国の言うように最低10町歩の法人化をすれば、ますます農業人口は減っていってしまいます。
大規模化が無理なら小規模化にすればいいと思います。
ちょっと無理があります。
一度見直してみたいので、このまま投稿します。
一般質問は自給自足について質問すると書いただけです。
一般質問は本会議で質問する10日前には何を質問するか決めて文章にして役場に提出します。
質問は具体的に書かなければ、答える方も答えようがありません。
今回はその為、一般質問と言うよりは、村をこのようにすればいいのではないですかと言う提案になると思います。
空間がねじれたなんて書いてる暇は実はありません。
19日に本会議で、一般質問をするのですが、原稿をまだ書いていません。
なぜ原稿がいるのか、わからない方もいるかもしれません。
議会の議員は言葉一つの言い方で、大きな問題になる可能性があります。
それゆえ、あらかじめ原稿を書いておく必要があります。
もともと、夏休みの宿題が最終日の8月31日までに出来てたことは1度もないげたです。
毎日トライしてはいるのですが、まだできてません。
背広を着るのもまだ慣れていません。
議会も委員会も全然慣れていません。
何かよく分からないうちに、予算委員会は終わり、来年度の予算は議決された模様です。
模様ですなんて言って、あなたは何をしてたのですかと言われそうですが、委員会では朝からひたすら予算の数字を役場の職員が読み上げているのを聞いてるわけです。
夕方の5時までです。
そして次の日もまた同じです。
予算の原案は分厚いもんです。
その中に1000円までの予算の細かい使い道が書かれています。
分からない言葉とか、いろんな協議会や、委員会や、政策やら、はたまた器具の名前までわからないことだらけなんです。
いちいち聞いてる暇はありません。
もちろん聞いたら答えてはくれますが、わからないことが多すぎるのです。
その上朝から夕方まで数字を聞いてると、頭は朦朧としてきます。
その朦朧とした頭で何とか質問をしてるんですが、最後にここまでのことに異議がはありませんか、とか質問はありませんかと聞かれて、何も言わなければそこまでの予算は決定になるみたいです。
最後に予算全体も異議がありませんかとか聞いてたような気はしますが、何か別世界で行われてることを見ているような状態です。
予算の最終的な決議は本会議で行われると思っていたのですが、それも定かではありません。
分からないことは聞いてくださいと言われるのですが、何が解らないのかさえ分からないのです。
最初はこんなものなのかどうかさえ分かりません。
そのうち何とかなるでしょう。
最近どうも空間が変なのです。
明らかな不思議現象が多発してるように感じます。
2017年の8月17日に重力波が地球を通過しました。
重力波は中性子星の爆発によって起ったそうです。
中性子星の爆発とは、恒星の最後の状態です。
太陽もいずれ中性子星になり爆発して最後の時を迎えます。
その時は当然ですが太陽系は消滅します。
この中性子星が爆発したときに放出されるのが重力波です。
重力波の観測装置はアメリカに二つあと一つはイタリアにあるそうです。
重力波の観測装置は、L字型の何キロもある導管で構成されています、
と言うより直角におかれた2本の導管と言ったほうが正確かもしれません。
この2本の導管の長さは同じです。
両方の導管の端から光をだし、導管の先端にある鏡に反射した光を観測します。
普通はこの光は同時に帰ってきます。
しかし、重力波が地球に到達したら、空間にねじれが生じます。
そのため、この2本の導管から帰ってくる光が同時に帰ってきません。
この時間差分空間がねじれるわけです。
この重力波は史上初めて観測されたものです。
重力波がどのくらいの間地球の空間に影響を与えたのかは、ちょっとわかりません。
当然、どのような影響が地球に起こるのかはよく分からないでしょう。
何しろ観測機械で観測可能なものしか観測できたと言えないのです。
日常的な変化なんかは観測できないわけです。
色んな事が起きてる可能性はあるのですが、ほとんどの人は気づいてないのかもしれません。
我が家では変なことが起きればすべて超常現象で済ませています。
気をつけて観察すると変化に気が付くかもしれません。
昨日起こして、その後小型管理機で畝を立てていきました。
小麦は秋まきと春まきでは作り方が全然違います。
畝と畝の間は約70センチ。
春まきの小麦は草が大変です。
そのため畝間は小型の管理機で除草できるように広く開けておきます。
秋まきのように40センチの畝間で種をまくと、管理機は入らない、人間が手で取るのにも、畝間40センチでは作業が困難です。
ここは、やむを得ず、畝間を広げます。
種の量も秋まきの3倍くらい使います。
秋まきは分けつが多いので、種をたくさん蒔くと徒長してかえって収量は減るは、倒れるはで手間は増えるし、収量は減ります。
畝を立てると、種を植える溝を掘ります。
溝に種をまいていくのですが、後で土をかけるために、かける土を再度に少し多めに盛り上げておきます。
種まきが意外と大変です。
均一に溝の中にまいていかなければなりません。
ここで注意しなければならないのは、種を溝の外に落としてはダメです。
溝の外に種を落とすとハトとカラスに気が付かれてしまいます。
ハトはひどい時はまいた種の半分以上を食べられます。
ハトとかカラスは種まきの時にすでに偵察してます。
少量の種を落としても彼らはすぐに気が付きます。
そして、畝にまいた種にも気が付きます。
秋まきの小麦では鳥の被害はあまりありません。
秋まきの時期は、田んぼに十分な米が落ちていますので、鳥たちは十分食べていますので、土の中の麦を穿り出してまで食べません。
春先は鳥たちには1年で一番エサがない時期なのです。
そのため麦や豆類は食べられる可能性が上がります。
この様に同じ小麦を作るのでも、秋と春では全然違いますし、除草剤を使うのと使わないのではまた作り方は違います。
また畑の状態で高畝にするか、平畝で大丈夫かでもまた変わります。
この様に農業では少し条件が変われば作り方は変わらざるをえません。
そのために新規就農の人たちや、田舎暮らしの人たちには地元の農業の先輩たちから教わらなければならないのですが、すでに場所によっては麦を作ったことがある人たちが減ってしまってます。
麦を作ったことがある人でも、有機と慣行の農業ではまたやり方が違います。
近くに有機の麦を作ったことがある方が居ればいいのですが、居ない場合は大変なんですよ。
現代は多くの伝統的な技術ばかりでなく、こんな簡単な農業の技術でさえ伝える人が居なくなってしまってます。
もっと多くの人が田舎に住んで、いろんな自給の技術を継承してくれないと、技術は絶えてしまいます。
これは文化の危機でもあるんですよ。
文化をなくした民族は滅びます。
文化の危機は同時に民族の危機でもあります。
余談ではありますが、欧米文化の模倣の時期は終わりました。
いまは、欧米文化の副作用で世界中が苦しんでいます。
いまこそ日本文化を見直すときなのです。
東京はすでに日本ではありません。
今は日本文化は地方の奥の方にしか残っていません。
そのわずかに残った場所でさえ風前のともしびなのです。
今や日本文化は天然記念物に近い状況です。
ぜひ街を捨てて田舎に移住してください、日本文化のためにも。
昨年忙しくて麦を蒔く時間がありませんでした。
やむなく春まきになるのですが、なるべく早く蒔かねばなりません。
今日は畑を起こし、明日種をまきます。
うどん3か年計画でようやくうどんを販売するところまで来ましたが、次のうどん用の麦がなければ、1年で終わってしまいます。
春まきの場合は種を2-3倍蒔きます。
春まきはあまり分けつしないのです。
種まきが余り遅れると実が付かなくなる恐れもあります。
麦の種類によっては春まきでは実が付きません。
小麦は大丈夫ですが、大麦やライムギは難しいです。
大麦やライムギも早く蒔けば大丈夫かもしれませんが、ここでは失敗してます。
自給自足の塾ですから、当然石積みもできます。
今回はプロの技を習いに行きました。
石積みで一番大事なのは石の後ろの栗石だそうです。
石の積み方2に対して積んだ石の奥に置く栗石の大事さは7だそうです。
後の1が石積みの見栄えだそうです。
げたは石積みの基本はわかってましたし、奥に栗石を置くのも知ってました。
しかし、奥の栗石が一番大事だとは思っていませんでした。
奥の栗石で前に積んだ石を固定して、尚且つ水の通りをよくするそうです。
加藤清正が作った城の石垣は奥にワラが置いてあったそうです。
栗石の間にワラを入れるのだそうです。
この藁は稲わらでなければならないそうです。
稲わらから菌糸が発生して、その菌糸のお互いの連結により、石積みはより強くなるそうです。
栗石の後ろに砕石を入れるのも大事だそうです。
水の流れを遮断すると石垣は崩れるそうです。
当然ですが石は一番下に大きな石を持ってきます。
石の方向が大事なのです。
重力がどの方向にかかるか、また石自体の重力の方向も考えないとダメです。
この部分は文章ではわからないともいます。
ぜひ石積みワークショップに行ってください。
また自分の住んでいるところでワークショップを開くのも面白いと思います。
今日のワークショップは8名の定員に対して10人以上の参加者が居ました。
明日もワークショップがありまた別の人たちが来るそうです。
今年はふりだし祭りで石積みのワークショップをやってみようと思います。
今日のワークショップをやったこうちゃんと麻美ちゃんの家は、家はそれほどいい作りではないのですが、それに対して石積みがやたらりっぱな石積みなのです。
石積みの講師の方の話では、昔に正当なと言うか、一番最初に日本に石積みを伝えてきた集団があり、その人たちの一部が宗なが親王の一緒に大鹿に来たという記録が残ってるそうです。
その人たちが作った石垣にほぼ間違いないそうです。
なぜ、このような石垣があそこにあるのは一つの謎なんでしょう。
と言うのは、その場所は確かに今ある木がなければ、見晴らしのいい場所ではあります。
だから、昔はその場所に砦があったのではないかとの意見でした。
なぞは砦にしては場所が非常に狭いのです。
なおかつすぐ後ろはなだらかな坂です。
砦は四方の防備がしっかりしてないと意味がありません。
裏が高台では、防備としては考えられません。
それではただの見張り台として作ったとしたら、石垣が立派過ぎるのです。
それでは誰かの住まいだったのかと言えば、敷地が狭いのです。
謎の石積みです。
家の裏にも奇妙な石積みがあります。
二つの屏風のような大きな岩の間に小さな石垣が組んであります。
前面と後面が小さな石垣です。
上は1坪くらいの狭い場所です。
不思議な場所です。
イチゴ、さやえんどう、レタス、キャベツを植える予定の畑に肥料を入れ起こしました。
理想で言えば肥料を入れてから1か月待ってから苗を定植しますが、春先は畑が凍っているため氷が溶けなければ畑は起こせません。
例年より早い畑の起こし始めです。
場所によっては、まだ10センチまでしか溶けていませんでした、
他の場所はまだ凍っていて起こせません。
3月末には苗の定植は始まります。
同時にイチゴの苗を作るために通路の苗を取り、1ケースだけイチゴの苗を作りました。
イチゴはランナーといって、苗ができる時にまず茎がのびていきます、その茎が30センチばかり伸びた先に子供の苗ができます、このランナー間その後も伸びていきまた30センチ伸びたところに孫苗ができます、勢いがある株ではランナーはさらに伸びてひ孫苗さえもできます。
イチゴの周りはマルチがあるので、苗はどちらかと言えば、通路の方によりたくさんのびていきます。
それで、通路に苗がたくさんできます。
イチゴは毎年株を更新したほうが実はよくなります。
古い株は冬越しができない株も多いのです。
ランナーの先の子供苗はあまりよくないので、普通は孫苗を使います。
ふりだしでは面倒なので、子供苗も孫苗も苗として使います。
冬越しの苗が少ないので、選ぶことができないという事情もあります。
昨年は親株も苗もほとんどが冬越しできませんでした。
今年はたくさん冬越しできたので苗はたくさんできそうです。
イチゴは3列ありますが、もう1列増やします。
親株も今年はたくさん残りました。
親株が残った場合は親株をそのまま使います。
本来なら親株は更新したほうがいいのですが、寒冷地では苗からでは、その年に実がならない株も結構できるので、親株を残したほうがいいのです。
まだイチゴの技術は確立してません。
基本技術はあるのですが、気候により変わるので、技術の確立もあるのですが、気候の変動の影響も大きいのです。
この前にイチゴをたくさん食べたのは、もう5-6年も前になります。
あみちゃんというイチゴ好きの女の子が、熱心に苗を作りイチゴの世話をしてくれたので彼女がいた年はイチゴがたくさんできました。
いまだにその時に作ったイチゴジャムを食べています。
ようやくうどんができ、今日店に並びました。
思えば3年前一握りの麦からスタートした、うどん3か年計画ですが、3年と半で商品化できました。
途中から入ったモチ麦が入って、まるでそばのようなうどんができました。
ゆで時間が短いからと、細切りのうどんにしました。
見た目はそばです。
味はそばとうどんの中間くらい。
モチ麦の味が意外と効いてます。
一握りの麦から育てていったので、まるでわが子の旅立ちのような感じです。
これが大事でなのです。
大量の麦の種を買えば1年でできることを、3年かけてゆっくりやる。
ここに面白さがあります。
そして感動があります。
今日は満足です。
