ニンジンの収穫の途中であられが降ってきました。
あられといってもほぼ雪と変わりありません。
手が冷たくて少し早く打ち切り。
あと3日で生のものが終わりそうです。
ニンジン、ほうれん草、キャベツ、白菜、ビート、ゴボウが残ってます。
収穫が全部終わるのに後1週間から10日かかりそうです
行ってきましたが、ほとんどの時間は川で石を拾ってたのですが。
そもそも人が多くいるところは苦手です。
去年のおじいちゃんたちのコーラスも参りましたが、今年のNPO法人モザイクプロジェクトの表現にはびっくりしました。
最初の部分で出てきてしまいました。
ちょっと見るに耐えません。
街の方が田舎に興味を持つのは結構ですが、絶滅動物を保護しましょう見たいなのりには付いていけません。
大人が真面目にああゆうことができるのが信じられません。
あの人たちは何をしに大鹿村に来てるのでしょう、何日も村に滞在して忙しい中を村の人達に話を聞きたいと押しかけて仕事の邪魔をして、結果あんなとんでもないものを村の人の前でやって、恥ずかしくないのでしょうか。
はじめから村の人の話を聞く耳を持っていないとしか思えません。
自分たちの自己満足的な一方的な見方で田舎を美化して何が生まれると思ってるのでしょうか。
あんな活動で補助金が出るのもびっくりですが。
来年は産業文化祭には行きません。
今年はヒッピーを卒業論文にするとかの人もふりだしにはたくさん来ましたが、来年は引き受けるのにためらいがあります。
確かに待ちの人達に田舎の実情を知ってもらう必要があるのは事実ですが,向こうははなから理解する気はなさそうです。
自分たちで勝手に作った田舎像を、またヒッピー像を勝手に膨らますだけみたいに思えます。
もちろん振り出しに来たヒッピー好きの子達にもこちらの事を理解しようとする人達もいたのは事実です。
だから受け入れ側としてはそういう人も受け入れるべきだとは思いますが、今日はへこみました。
ひどすぎます。
あんな事をする暇があるのだったら、じいちゃんやばあちゃんの畑の手伝いデモしてくださいと言いたいです。
彼らは来年は受け入れることは難しいと思います。
そもそも街の人間は田舎に住み移る気が無いのだったら、中途半端に田舎に興味を持たないで下さいと言いたいです。
こちらは現実問題なのです。
いくらきれいごとに解釈されても、こちらの現実は何も変わりません。
厳しい意見だとは思いますが、田舎の現実はそれほど大変な状況なのです。
本当はすごく頭にきてるのですが、ののしるのだけはやめます。
本当のことを言えばいいとは限らないみたいでも在ります。
世の中は難しいです。
わたしには社会のことは分らないのかもしれません。
ずれがひどすぎて、こちらにも問題はあるのだとは思いますけど、分かり合うのは難しいのかもしれません。
ますます山に閉じこもりたくなります
出版社はサンマーク出版です。
1600円。
明日からももう少し内容を紹介します。
前の続編です。
前作のあの世に聞いたこの世の仕組みも簡単で易しい言葉でこの世の仕組みを書いてます。
今回の本も大推薦です。
ともかく分りやすい文章です。
例えば最後のエピローグで幸福について書いてますが、げたもこの事は分ってはいるのですが、人に説明する場合この本は良くかかれてます。
「幸福」は何かを得る事によってうまれるものではありません。
「不幸(満たされない気持ち)」の不在によってもたらされるものです。
「不幸」によってもたらされるのですから、それを「得る」ことで実現しようと思わないで下さい。
幸せというものが、どこかに存在してるわけではないのです。
どこかに存在してるわけではないのですから、探しても見つかりません。
不幸が無いその状態のことですから、どこかから持ってくる必要なんて無いのです。幸せが必要なのでなく不幸が不用なのです。
幸せが足りないのではありません。不幸が多すぎるのです。
どうか幸せを得ようとしないでください。
ただ大事に抱え続けている不幸を手放してください。
こういう話をすると、ついで「どうやって手放せばいいのですか」と聞かれます。
そういった質問が生まれる前に最初に気づいてほしいのは、その質問自体が不幸を抱え続けようとしているからこそ出る問いだと言う事。
そして、私は不幸だと言いつつ、その不幸が何であるかが、とらえ切れていないと言う事です。
自分にとって本当にいらないものだと感じたら、それを手放すことは、誰にでも実現可能です。
特別な教養も、特殊な才能も、血と汗のにじむ訓練も、誰かの命令も必要ありません。
つまり手放せないのは、その方法を知らないのではなく、単に手放したくないという思い、握り締めてるものに対しての執着があるからにほかなりません。
誰もあなたを幸せにはしてくれません。
自分を幸せにできるのは自分以外にいないのです。
不幸を抱え続ける事にエネルギーを費やすのはやめてみませんか。
幸せになろうとするその前に、不幸であり続けようととする自分の癖に気づきましょうということです。
どうやって気づくのですか?
その質問が癖です。
どうやってもこうやってもありません。
最初の一歩がそのままゴールです。
だからそこには条件も過程もありません。
状況を変えるとなればプロセスを必要としますが、不幸を手放すなら一瞬です。
ある状況と不幸という観念を結び付けなければいいだけです。
幸福になる条件を持たなければいいだけです。
おかねがなくったて、幸せになっちゃってもいいんじゃない。
頭が悪くったって、幸せになっちゃってもいいんじゃない。
体力がなくたって、才能がなくたって、努力が足りなくたって、運がなくたって、計画性がなくたって、感謝が足りなくたって、愛がなくたって、性格が悪く
たって、誰も認めてくれなくたって、ずっと不景気でも、良い事をしてなくたって、悪さばかりしてたって、エロい事ばかり考えてたって、君よりも恵まれない
人がたくさんいても、君が幸せになっちゃってもいいんじゃない。
どうです、面白いし、分りやすいでしょ。
この文を読んでも幸せになれない人はしかたありません。
どうぞ後生大事に不幸を抱えて生きていってください。
不幸を選択したあなたの意思もまた尊重されなければならないのです。
長年なぜ馬鹿は馬と鹿なのか疑問でした。
鹿は分るのですが、馬は利口そうだしなんでだろうと思ってました。
今回童子丸開さんの本を読んで意味が分りました。
昔中国の話です。
秦の始皇帝が死んだ後秦の実権を握った趙高が形ばかりの皇帝であった胡亥に1頭の鹿を献上して「これは馬です」と言い、秦の高官たちのうち(これは馬でない」と言ったものを全員処刑したそうです。
また戦国時代の武将である明智光秀は「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略と言う」と言う名言を残してるそうです。
つまり、政治とか国家とかは嘘が基本なのです。
今はどこもかしこも嘘ばかりの社会になってしまいました。
まさに全世界が鹿を馬と言ってる状態なのです。
今の食品偽装の問題もそうです。
何度問題になっても一向に無くなりません。
謝れば済むと思ってるしみんなやってるから仕方ないとも思ってるのでしょう。
なにしろ政府が嘘と分りきった事を平気でやりまくりなのです。
資本主義では嘘でも勝った方の勝ちなのだからしかたありません。
つまり外のもの、買った物は一切信用が出来ない状況なのです。
まともなものを食べたかったら自分で作るしかありません。
これから状況はもっと悪化するでしょう。
今は自己防衛で田舎に住んで自分で自分の食べるものは作らないと安全なものは食べれなくなってしまったと言う事です。
ここまで来て知らなかったは通じません。
知らない人が「うましか」なのです。
毎日会社で、学校で、社会で「うましか」をやってるうちに本当に鹿を馬だと思うようになってしまってるのです。
「うましか」なのに自分のことを「うましか」と思っていません。
「うましか」を通り越して狂ってるような気もしますが。
この世界は本当のことを言ってはいけない世界なのでしょう。
なにしろおしゃか様でも方便ですから。
本当のことを言うと、この山奥でも外に出るとちょっと大変です。
世間は狭いものです。
ここで書いたこともなんとなく伝わるのでしょう。
だんだん何処にも行けなくなってきてます。
元々外に行きたいわけではないので問題は無いのですが、やむをえなくて行く場合、例えば陽だまりマーケットなどは若干の問題が出ます。
早くこれも行かなくしたいのですが、今のところ人員不足でやむなく駆り出されています。
馬は馬です、鹿は鹿です。
もしかするとこちらのほうが「うましか」なのかも知れません。
蜂に一番いけないのが振動だそうです。
振動させると刺されるのです。
隣の中川村の蜂きちおじさん富永さんの本よりです。
また棒状のものを持つのも危ないようです。
まあこれくらいは田舎では常識ですけど。巣の下を早足は危ないみたいです。
黒いものは危険。
蜂に追われたら伏せるのが一番だそうです。
これは知りませんでした。
蜂は斜め上と真っ直ぐは良く見えるが斜め下は見えないそうです。
実際はこれは難しいと思います。
蜂に追われた場合は逃げるほうも必死なのでともかく巣から遠くに行きます。
しつこく刺してくる蜂は殺すしかありません。
これは昨年3匹のスズメバチに追いかけられた経験からです。
ただ逃げても追いかけてきますから伏せるのは有効かも。
草や部下葉や木の茂みに隠れるのは非常に有効みたいです。
車や家に入ってきた蜂は刺しません。
そもそも蜂は巣の近く以外ではほとんど刺しません。
刺されるのは誤って蜂に触れた場合のみです。
これは保障します。
家の中や車に入ってきて大騒ぎをしないように。
特に車は大騒ぎをして人を轢くケースは良くあるそうです。
刺さないのですからゆっくり対応してください。
暗いときに蜂の巣の前で懐中電灯をつけない。
蜂を怒らせると逃げるしかありません。
蜂の守備範囲は(つまり追いかけてくる距離です)クロスズメバチメートル、ヒメスズメバチ3メーター、小型スズメバチ5メーター、黄色スズメバチと大スズメバチはそれぞれ7と10メーター以上つまりどこまでも追ってくるのです。
刺された場合は富永さんはおしっこは有効で無いといってますが、私の経験では有効です。
ともかく直ぐに毒を吸い出す。
水があるところでは傷口を水洗いする、蜂毒は水に溶けるそうです。
その後は冷やす、蜂の毒は低温に弱い。
蜂に刺される可能性が高いときは予め缶ジュースを凍らせたものを用意するといいみたいです。
げたは毎年10発くらい蜂に刺されます。
田舎では蜂に刺されず生きていくことは出来ません。
特に草蜂の被害が大きいのです。
機械で草刈した場合はそれほど刺されませんが手で草を刈るときにやられます。
スズメバチは危ないケースが多いので巣は取った方がいいのですが、巣を取るのも危険です。
げたも何度も失敗してます。
最近は蜂の警戒も厳重で、夜に巣の外に居る蜂が居るので煙幕でやる前にやられたりします。
長野では蜂の子を食べるので蜂の巣を取るのに殺虫剤は使わず、煙幕を使います。
煙幕を2発くらい長い棒の先に着け巣に突っ込みます。
すかさず巣をダンボールの箱に落とします。
下に下ろしたら巣を壊して親蜂を巣から外していきます。
スズメバチの焼酎付けを作りたいときはここで焼酎のビンに親蜂を入れていきます。
蜂が気絶してるのは約10分です。
すばやく仕事をしないと蜂は目覚めます。
蜂の巣は天然の抗生物質です。
彼らの巣を菌から守るためなのです。
人間が食べても良い薬になります。
1日の半分は家での仕事になります。
ほとんどは乾かしてるのです。
冬場に使う保存のもので一番簡単なのは乾かす事です。
今やってるのはビートを収穫して、ビートはヤギのえさとして室で袋に入れて保存します。
茎と葉っぱは干してヤギのえさ、他にはヤギのえさとして、豆ガラの干したもの、大根の葉の干したもの、トウモロコシの茎と葉を干したもの、雑穀類のわらの干したもの。ほとんど野菜と穀類、豆類の食べるところ以外を干したものです。
普通は捨てられるもので山羊が飼えます。
干すものはまだまだあります。
イモ類も保存の前に干します。
マコモや熊笹などお茶にするものも干します。
トウモロコシも干します。
柿も干します。
ひょうたんも干します。玉ねぎやニンニクも干します。
その他にもハーブや種類、その他たくさんの干し物があります。
今年は干し場が増えたので楽に仕事が出来ます。
11月までづれ込んだのは初めてです。
今日は古代米とあきたこまちの刈り取り。
古代米は長さが大分短くなってきました。
5年目なのでだいぶ大鹿村に慣れてきたのでしょう。
この種は近所のおじさんにも分けてあげたのですが、そこでも評判がいいです。
そこの刈り取りは1ヶ月前だったのでそのぐらいでも十分なのでしょう。
こちらは少しでも余計に取りたいので、後から出た穂が充実するまで待つので遅くなります。
それでも未だ出立ての穂がたくさんあります。
まだ、いせひかりとハッピーヒルが残ってます。
その後に柿の収穫、市田柿です。
コンテナに1杯と少し取れました。
昨年は30個ぐらいだったので、よく取れるようになりました。
来年はもう少し苗木を植えます。
機の間隔が大きくなるのを予想して開けてるのですが、その空間がもったいないので、その間に別の木を植えて収穫します。
木が大きくなりすぎたらそのときにどれかも間引けばいいのです。
こんな簡単な事にも気がつかないものなのです。
柿は(柿切らぬ馬鹿)と言われるぐらいなのと、干し柿にするので枝の先をたくさん切ります。
柿の先が残っていないと干し柿のときにつるせないのです。
たくさん切った葉はお茶にします。
むいた皮は漬物に入れます。
何でも利用するのです。
今日から女性の手伝いがひとり来てくれるのでほっとしてます。
取りあえず11月半ばまで何とかなりそうです。
朝は古代麦を蒔きました。
これは小さな命の祭りの種交換会で手に入れた種です。
少し遅くなったので、予備に箱に蒔いて冬場はハウスの中で育てます。
昨年も裸麦を蒔き忘れて、ハウスの中で苗を作りました。
意外と遅く蒔いても麦は何とか冬を越します。
ズッキーニの種も取りました。
取り残しの唐辛子も収穫です。
唐辛子の葉っぱは佃煮にします。
収穫したサツマイモからすでにたくさんの芽が出ています。
昨年は保存したサツマイモの中から芽が出たものを半分に切って、水を張った皿の中に置き、大きくなった芽を取って定植しました。
今年はもっと早くからと言う事で、芽が出てる芋を同じようにしました。
また、別に芽が出た芋を鉢植えしたものと、根がついてる芽を鉢に植えてみました。
来年の5月まで半年以上面倒を見なければならないのが難点ですが、こちらはたくさんの花を同じように管理してるのでそれほど問題は無いのではと思います。
それよりは結果がどうなるかが楽しみです。
昨年は大きな芋ばかりを使いましたが、今年は小さな芋ばかりでやってます。
小さな芋でも同じように苗が出来るのなら小さな芋のほうがいいのです。
今年の苗は小さかったのか、買った苗よりは出来はよくなかったのです。
それともうひとつの理由は、芋をつけたままの苗と言うより、苗を取った残りの芋を植えたのが出来が良かった事です。
その上種芋も元の芋より大きくなってました。
この大きくなった種芋はヤギの餌にしてますが食べるのも面白いかもしれません。
同時に芽が出ていない小さな芋も一皿トライしてみます。
今年は芋が太らなかったので小さな芋はたくさんあります。
天気のせいか今年のサツマイモの出来はよくありませんでした。
これは買った苗も同じです。
残り半分のサツマイモを掘りました。
葉っぱは霜で枯れてました。
霜に当たるとサツマイモは保存に問題が出ます。
サツマイモは思ったより広範囲に芋が付いてます。
前回手伝いの人達が掘ったあとでコンテナ半分くらいのサツマイモが残ってました。
こちらの説明不足も合ったのかも知れません。
今年のサツマイモは不作でしたが、唯一芽だしをした芋をそのまま種芋にしたものは大きく太った芋ができてました。
芋に養分があるので初期の成長が早かったのかもしれません。
また、芽が芋についてるので活着が問題ないのもいいのではと思います。
寒いところでのサツマイモの新しい作り方としてはいいのではないかと思います。
サツマイモは5度以下になると駄目なので冬場の保存は難しいかもしれませんが。
来年はこのやり方で高地にある大池の畑でサツマイモを作ってみます。
取りあえず、昨年取れたサツマイモを冬越しさせて収穫するという試みは成功しました。
これでサツマイモも自給できます。
