外は雪が降ってます。
朝起きると雪景色。
冬です。
醤油搾り3日目。
醤油のもろみを入れる袋を8枚に増やしました。
順調に搾れてます。

朝はマイナス4度、夕方はマイナス2度。
冬に逆戻りです。
朝から醤油絞りの続き。
醤油を絞るために、袋2枚に分けてもろみを入れ搾っていたのですが、袋を増やしました。
醤油屋では1枚の袋は厚みはあまり無く、たくさんの袋に分けて、それを搾ってたので、袋を増やしました。
醤油は本来家で作る人はほとんどいません。
味噌は家で作っていました。
それだけ醤油つくりは難しいものなのでしょう。
3回分あるのですが、まだ1回目が終わりません。
今年の醤油の原料は1回目は大豆と小麦、2回目は黒豆と裸麦、3回目は黒豆と小麦です。
1回目の味は薄い。
昨年の大豆とヒエがおいしかった。
搾るのは男二人がかりです。
1回目は今日も終わりませんでした。

棚田を作ってます。
思ったようには行きません。
それでも今は重機があるから早く出来ますが、昔は本当に大変だったと思います。
重機が無い時代はひたすら手で作業をしてたのでしょう。
頭が下がります。
それでも生きていかなければならなかったので、そんな事を言ってる間もなかったでしょう。
何代にもわたって仕事の積み重ねが棚田なのだと思います。

梅ノ木の選定が面白いのです。
今まで選定がこんなに面白いとは思っていませんでした。
今年は娘たちが中学校の横でブルーベリーを始めます。
剪定をしてたのですが、取りやすいところを残すとの事でした。
これは目からうろこでした。
そもそも剪定の本はあります。
ところが剪定の本を書く人はプロです。
剪定の仕方も色々あって、かえって的が絞れません。
用は取りやすいところを残す。
これです。
アマは失敗してもいいのです。
こういう風に考えると楽なのです。
もちろん今までにも剪定はやってますから、基本は出来てるのですよ。
間違わないように。
基本が出来てから、好きにするです。
基本もできて無いのに自分の思いどうりにやると失敗するでしょう。
木は失敗するととんでもない損傷を受けます。
ナシの剪定で強引に切り込んだら木が死にそうになりました。
木を切る場合も切り方によっては木は死んでしまいます。
木にもよります。
自然との付き合いはマニュアルどうりに行きません。
あくまでもケースバイケースです。
ひたすら経験と勉強が必要です。
そういう意味でもこのふりだし塾は意味があります。
今までの私達の経験の集積、早い話が数々の失敗の集積でもあります。
これにより現在の私達の生活があります。
今現在、昔からの生活をしているお年よりは絶滅の危機に瀕してます。
私達の求める生活をしている人は本当に少なくなってしまいました。
詰まり私達も絶滅危惧種なのです。
村にもっと自給を真剣に考える人が増えなければ、村自体も崩壊してしまいます。
自給はある程度の人達が共同でやらなければ維持できません。
その共同を如何にうまくやっていくかです。
昔がいいわけではありません。
昔も多くの問題があったのです。
新しい形の地域共同を創生していかなければなりません。
より多くの自給を志す方の入村をお待ちしてます。
げたはこの大鹿村を日本のこれからの新しい生き方の手本になるくらいの村にしたいと思っています。
古いいいものは残しますが、問題の部分は改善していかねばなりません。
大鹿村を自給自足の村にするのが私の目標です。

雨で醤油を絞ることにしました。
醤油搾り機が古いので釘が腐食で折れてる部分が何箇所もあり修理してから使いました。
順調に搾れて今日から自家用の醤油です。
孫たちはこの醤油だと醤油ご飯でよく食べます。
全部自分たちで作った醤油です。
いまどき無農薬の材料で無添加の醤油は自分で作るしかありません。
醤油の仕込みはもう少し暖かくなったほうが、醤油麹を作りやすいのですが、あんまり遅くなると農作業にかかります。
油絞りはひまわりを圧縮式で搾りました。
圧縮式の油は加熱しないので澄んだきれいな油が絞れます。
シリンダーから搾りかすを出すのに苦労しました。
醤油も油も時間はかかります。
特に醤油は1日かかります。
ゆっくり圧を掛けていきます。
醤油も昨年は押し蓋が取れなくて苦労しました。
油も木で油絞りを作りたいものです。
木の方が優しい油が絞れそうです。
構造はかんたんなのですが、作るのには1日以上かかると思われます。
今のところは暇がありません。

イチゴの苗つくり、えんどう豆の種まき、鶏糞出し、いよいよ畑も始まりました。
結局建築は終わりませんでした。
これからは畑と田んぼが優先です。

今日も道の砕石入れ。
いきなり1台の軽トラから異音。
これはシャフトが接触して出てるものだそうです。
修理屋はまだ仕事を続けるのなら直しても無駄なので、道が直ったら車を修理するとの事です。
強引な運転をしないと車は上がりません。
途中で何度やり直しをしても車が進まなくなりました。
パンクでその上に、タイヤを止めるボルトが1本折れてタイヤを外して変えることも出来なくなりました。
結局その車をまたもやバックフォーで引き上げ、軽トラ1台は修理代の方が高くつくので廃車です。
今日1日の仕事でようやく車が上がってくるようになりました。
きつい仕事ですが二人でやってるので気がまぎれます。
山奥で生活するのは大変な事なのです。
その大変が面白いと言えば面白いのですが、その大変の最中は面白いどころではないのも事実です。
これだけトラブルが続くとさすがに精神的に参ってたのですが、最後の軽トラが壊れたあたりから、何と言うか吹っ切れたというか、やけくそと言うか、なんとなく楽しくなってきました。
ここまでトラブルが続くともう言う事は無いのです。
泣いても何も変わりません。
もちろん怒っても仕方の無いことです。
最後は笑うしかないのです。
いつも口では自給自足は大変な生活だけれど、大変が面白いのだとはいっていますが、ハードな仕事で大変と、トラブル続出での大変は違います。
実際トラブルの最中はとてもじゃないけど、楽しくは無いのです。
今日は不思議と楽しく仕事が出来ました。
夕方製材機も1ヶ月ぶりに正常にできるようになりました。
製材気のトラブルで始まった今回の連続トラブルも終わった気がします。
気持ちが吹っ切れたと言う事は、流れは底を打ったという事だと思います。
高い修行ではありました。

ユングの臨死体験です。

そのとき奇妙な事が起きた。自分が、自分の何もかもが、抜け殻のようになってしまったようだった。
私が目指したもの、望んだもの、考え、この地上の存在の全ての幻影的なものが抜け落ち、私の内からなくなった。
それは非常な痛みを伴った経験だったが、後に何かが残った。
今や私は、私が経験したもの、した全ての事柄、私の周囲で起こった全ての事柄だけを持つもののようだった。
それらは私と共にあり、それらが私の全てだった。
私はそれらからなり、自分の歩んできた人生から成る者であって、非常な確実さを持ってそれを感じた。
それが私だった。
私は私としてかってあった者、かって成し遂げたものの総計だった。
この経験は私に、大きな欠乏の感覚をもたらしたが、同時に非常に満たされた感覚をもたらした。
もはや何もほしいと思わず、何も望まなかった。
客観的対象としてのみ私は存在していた。
私はかって歩み、生きたもの以外の者ではなかった。
当初、これは何かが抜け落ち、取り去られたという消滅の感覚だったが、突然、それは何かの結果ではなく、元からあるものになった。
全てが過去のものに思えた。
あるのは単にそこにある既成事実だった。
もはや何かが抜け落ちたとか、取り去られたという悔やみはない。
むしろ反対にかって自分として本当に持っていたもの全てを私は持っていた。
現実に3週間ほど経ち、私はもう一度生きようと決心することが出来た。
食べる事はできなかった。
どんな食物も受け付けられなかったからだ。
また私の病床から見える町や山々は、私には点々と黒穴のあいた、絵柄カーテンのように思えたし、意味の無い写真をちりばめたボロボロの新聞紙のようにも見えた。
失望だ、と私は思った。
「もう一度ボックスシステムに戻らねばならない」
というのは私には宇宙の地平線の向こうにには3次元世界が人工的に造られていて、その世界の人々はおのおのの小さな箱の中で事故と対座していると思われたからだ。
これこそが重要だったと、異な自分を納得させなければならない。
かっては人生と全世界が牢獄のように私を打ちのめしたものだ。
それらを秩序あるものとして理解すべきだという考えが、私をひどく悩ませた。
それら全てを脱ぎ捨てて、私はあのように喜んでいたのに、今また他の人と同じようにはこの中に糸で吊るされようとしていた、、、、、。

この独特の経験ののち、ユングは死後の世界を思うことは完璧に正常であり、病的ではないと思ったと書いている。
むしろ彼は、死後の生命や神を思わない人のほうが病的だという。

どうですか、理解できたでしょうか。
理解は難しいですが、死とは私たちが思ってるものとは違う可能性は大きいと思われます。
たぶん死についての恐怖こそ、私達に植え付けられた最大の思い込みと言うより、罠なのかもしれません。
死の恐怖を持たない人を支配する事はできません。
お金に価値観を持たない人を支配する事ができないのと同じ事です。
と言う事はお金に価値を見出すのも大きな罠なのかもしれません。
考えるのはあなたです。
臨死体験者の多くは死を恐れなくなります。
生き返ったとたんに、医者に何で生き返らせたんだと怒る人もいるくらいです。
死は避けるものではありません。
いつかあなたに確実に来るものです。
私達は神のことを追求するのと同じように、また死をも追求しなければなりません。
死を乗り越えたところに神はいるのでしょう。
この神は、特定の名前のある神様ではありません。
神様の事を知らない人がなぜ神様に名前をつけることが出来るのでしょう。
神様の名前でけんかをしたり殺し合いをするのは考えられません。
神様のことを知らないからこそ、けんかとか殺し合いはあるのだと思います。

今日は1日道路の砕石入れ。
朝砕石を取りに行ったのですが、行きから異音がしてたのですが、帰りの登りで異音が大きくなり止って調べても異常は見つかりませんでした。
今日から手伝いに来ているイナッチが後ろの軽トラを運転してたのですが、再度出発した直後警笛で止まると、タイヤがおかしいとの事。
急いでタイヤを調べると、タイヤのナットが落ちる寸前。
重い砕石を摘んでるので積載のジャッキでは上がりません。
取り合えずもう1台の軽トラで家まで帰ったのですが、荷物を積んだ軽トラは余計上がりません。
何とか砕石を道路に撒いて、昼ごはんも食べずに故障の軽トラのところに戻る。
タイヤを入れ替え、その軽トラの砕石をもう1台の軽トラに半分載せて、また2台の軽トラの砕石を道路に撒いて、撒いても撒いてもズルズルの道は良くなりません。
その上撒き終わった軽トラが今度は途中で上がらなくなり、そこで昼食、
昼食が終わったのは3時40分。
それから2台の軽トラをバックで引き上げ。
その後に帰ってきたひろみちゃんの車を引き上げ。
結局1日に3台の車を引き上げました。
今は車は上がれません。
寒さのせいで凍結深度が深いため、下まで氷が解けないと車は上がりません。
1週間は車は上がらないでしょう。
さて今日で3月は終わりです。
この機械のトラブルが今日で終わることを祈ります。

夕方突然停電。
ここは問題はありません。
何時でも予備電源はあります。
しばらくしたら復旧しました。
備えあれば憂い無しではあります。
自給自足の場合は自分で最悪を想定して対策を立てておかなければなりません。
どこかの国の政府のように想定してませんではすまないのです。

道路がどろどろで車が上がりません。
今までで最悪です。
今日は運悪く3台の車が上り下りです。
上がれたのは空荷の1台だけ。
1台はバックで引き上げました。
もう1台は引っ張る場所が壊れ道路に置いたままです。
この車も何回も強引に引っ張りあげてるので、前部の下はかなり問題が起きてます。
この車はもう引っ張る事も出来ないので、これ以降は危ないときは上がれません。
一冬に何回もこんな事を繰り返してるんですよ。
これから1週間は最悪になりそうです。
詰まり車はバックで引っ張らないと上がれません。
ところがこういうときに限って下に用が出来るのです。
軽トラも何回も引っ張ってもう引っ張るところが壊れきってます。
毎年ヒノキは大きくなり道路はますます悪くなっていきます。
針葉樹の横だけ問題が出るのです。
詰まり日が差さないところは中々氷が解けないので道路がぐずぐずになります。
暖かくなっても凍りは中々解けません。
日陰の地面の下は特に解けるのが遅いのです。
氷が解けてしまえば晴れた日が何日か続くと道路は安定します。
正直こんなに山奥に住むのは嫌になる時も結構あるんですよ。
まだ機械のトラブルは終わって無いようです。

昨日ようやくバックフォーの修理が終わり、田んぼと段々畑の工事をしました。
最後には田んぼ予定地でバックが沈んでいきもろ恐怖でした。
何とか引き上げましたが、もし動かなくなると出す手段はありません。
道が狭いので大きな重機は上がれません。
もがけばもがくほど沈んでいくのが恐怖でした。
その後キャタピラが片方外れているのを発見。
これが沈んでいるとき外れたらアウトでした。
不幸中の幸いです。
今日はキャタピラの直し。
これは結構大変な仕事なのです。
散々時間を掛けて最後はガッチャでキャタを引いて強引に入れました。
疲れます。
先月から1ヶ月あまり、一つが直ると次の問題が起き、1ヶ月間まともに仕事は出来てません。
詰まり一番やらなければいけない仕事が出来ないのです。
精神的に結構参ってます。
それでも4月からの手伝いが3人になったので気分は少し回復しました。
機械のトラブルはこれで終わりにしてもらいたいものです。
明日から製材に戻ります。
製材機の調子が今一不安ではありますが。

畑にまた鹿が入り玉ねぎを食べられました。
玉ねぎは7割がた被害にあってます。
全部鹿ではなく、寒さで駄目になったのもあるのですが、玉ねぎが消えた事は確かです。
今年は玉ねぎの自給は無理になりました。
鹿の被害が大きいのでついに鹿を殺したいと思ってます。
畑に入り始めた鹿は殺すまで入ってきます。
鹿が悪くないのは分るのですが、現実問題としてこれだけ被害が大きいと我慢にも限界があります。
悲しい事ですがこれが現実です。
鹿はかわいそうなのですが、人間が生きていくためには彼らを減らす以外道はありません。

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