ここは本来掲示板なのですがほぼ投稿はありません。
げたが投稿をチェックしないので未確認の投稿もあるかもしれません。
基本そのときの気持ちを書いてるので、後から書いたことを反省したりもするのですが、記事の訂正はしません。
「シルバーバーチの霊訓」は読んだ事はありません。
非常に興味がでましたので早速ネットで探して見ます。
感想を書いた本を買って読んでくれる人がいるのが具体的に分ったのはうれしいです。
ここで書いてる割には、ふりだし塾へ来る人は増えないので、ここで書いてることがかえって来る人を減らしてるのかもしれないとは思っています。
それでもうそは書けませんから、仕方ないとは思っています。
40過ぎでもこちらの指示に従ってくれるのでしたら問題はありませんよ。
ようはふりだしに戻って、ゼロから再出発していただければいいのです。
自給自足に関してはこちらは長年やってるわけです。
長年やってるからといって一番いい方法でやってるとは思っていません。
基本面倒くさがりやなので、より良い方法があっても、そのやり方がなれてますし、より時間がかかったり、面倒なやり方はやりません。
つまりふりだしでやってる事は、一つの例であって、それを間違ってるとか言われても困るわけです。
若い人は相対的に素直なんですが、年が上がるほうが素直で無い傾向はあります。
これはあくまで相対的なものです。
文章からの感じは、すっきりしています。
どうぞ何時でも来てください。
本を読んでる人との話は楽しいものです。

ゲタさん、はじめまして。
ブログをいつも楽しく拝見しています。
ふりだし塾の思想にも共感を覚えております。

普段はロムっているのですが、昨日の記事に大変共感しましたので、思わずコメントを入れてしまいました。
これは本気で人生を真剣に生きたいと思う人なら、絶対に避けて通れない問題だと私も思っています。
過去にゲタさんが紹介された、「死後の世界が教える人生は何の為にあるのか」
「あの世に聞いた、この世の仕組み」「アナスタシア」等も読みました。
他にも「ビジョン」「黎明」等、色々読みました。

“甘いぶどう”が欲しくて長い間散々探し求めましたが、私が最後に行き着いたのは「シルバーバーチの霊訓」でした。
結局、一番最初に手にしていた本が、一番探し求めていた物でした。
他の本もそれぞれ素晴らしいのですが、正直な所、この本を読んだ時ほどの深い感動は生まれませんでした。
しかも、何回読んでもその感動が消えないどころか、ますます深まるのです。
本当に不思議な本です。

ゲタさんはスピリチュアルという単語があまりお好きではないかと思いますが、もうお読みになりましたでしょうか?
ゲタさん程の読書家ならもうとっくにお読みになっているかもしれませんが、聡明かつ先見の明がある方がこの本を読んだ時に、
どんな感想をお持ちになるのか以前から気になっておりました。

単純に興味本位で書き込みをしてしまってすみません。
いつかブログで、読後の感想を読む事が出来たら嬉しいです。
ふりだし塾にも、近い将来、お手伝いに伺いたいと思っています。
40歳と若くないので、参加資格はないかもしれませんが…^^;
もし宜しければ、その際は何卒宜しくお願いいたします。

それではこれからもブログの更新や、ふりだし塾の今後を楽しみにしております。
失礼いたしました。

立花隆 生、死、神秘体験より。
人でも生物でも自分が知ってる世界だけが世界の全てだと思ってしまう。
自分に見える世界だけが世界の全てだと思ってしまう。
知らないものを「ない」といい、見えないものを「ない」といってしまう。
正しくは「ない」ではなく「私は知らない」または「私には見えない」というべきである。
しかし人間は知らないことを知らないままにしておく事には耐えられない動物である。
知らない事は何とかして知ろうとする。
しかしどんなに努力してもわからないということはあるものだ。
原理的にはそれを知る事が不可能というものがある。
しるほうほうがないということがある。
その場合健全な立場は不可知論に立つことである。
わからないことはわからないとすることである。
分らない事については判断中止(エポケー)をすることである。
しかし人は中々そういう健全な立場を取る事ができない。
そしてイソップの「すっぱいブドウ」のキツネの立場をとりがちである。
自分がとることのできないブドウはすっぱいのである。
幾ら知ろうとしても分らない事は、知る価値が無いことか、そもそも存在しないことにしたいのである。
人間の場合は手に入らないものに対して、もう一つ別の心理的対応がある。
すっぱいブドウに対して「甘いブドウ」の立場とでもいったらいいだろう。
手に入らないものがいい物かどうか分らないのに、
それはとてつもなくいいものだと思い込み、
より一層欲しがり、あこがれてしまう事である。
しかし死は全ての人に一歩一歩確実に容赦なくせまってくる、
死がまじかに迫ってくれば、
誰でも死に付いて考えないではいられなくなってくる。
エポケーなんてのんきなことを言っている場合ではないと言う気がしてくる。
年を取ると誰でも自分の死について考えずにはいられなくなってくる。
死とは何なんだろう。
人は死ぬとどうなるのだろうか。
何らかの意味で死後の世界はあるのだろうか。
それとも死は単に存在の消滅にすぎないのだろうか。
存在の消滅とはどういうことなのだろうか。
と次々に死に関するさまざまのぎもんがわいてくる。
死は人生最後のライフステージである。
あるライフステージから次のライフステージに移るとき人は通常不安と緊張でいっぱいになる。
しかもこの死という人生最後のライフステージに関してだけは先輩を見て学ぶと言う事ができない。
死にいたる過程は見ることが出来ても、死そのものは観察できない。
もちろん経験者(死んだ人)が教えてくれると言う事も無い。
手引書があってもその内容が本当かどうかは分らない。
体験を共にしてくれる仲間もいない。
人は皆いつかは自分の死を一人で死ななければならない。
死は絶対的な孤独の中でただ自分とのみ向き合うなかではじまり、完結する。
それは人生の中でもっとも孤独な体験である。

はい、考えてくださいね。
孤独の中で。
ごまかす事は意味がありません。
何らかの解決策を見つけておかないといざというときには間に合いません。
もちろんそのほうが良いのかも知れませんが。
若い人もいつまでも死の恐怖と共に生きていくなら、何らかの解決策を見つけておいたほうが楽に生きて行けます。
「甘いブドウ」でも自分が信じきれるのならそれもいいと思います。
不可知論ではこれは解決できません。
甘いブドウかすっぱいブドウかの選択しかありません。
不可知論では生きていけないのです。
救われないのです。
それでも不可知論にしか生きていけない人は本当に救いようの無い人なのです。
不可知論に生きるとはかくも壮絶な生き方なのです。
無理しないほうがいいのです。
それでも自分をごまかす事が出来ない人は孤独な救いの無い人生を精一杯生きるしかありません。
救いはあるかもしれません。

臨死体験の著者立花隆によると。
苦しそうな顔の人は10数パーセント、これはほとんど抗がん剤を使った方の可能性が大です。
非常に良い顔、柔らかい表情は3割くらい。
それ以外は普通の顔。
人は死ぬときは意外と楽に死ねそうです。
死ぬ前は普通は苦痛はなくなるように人間の体はなってるそうです。
恍惚物質がたくさん出るそうです。
痛みも遮断されるそうです。
下手に色んな薬を使わなければ、楽に死ねそうです。
年を取ると色んなところが悪くなるのは当たり前です。
其れを良くもなら無いのに、薬を一杯飲んで、若い人達に負担をかけ、その上薬のせいで余計問題を大きくして、最後は苦しんで。
これは少しは考えたほうがいいと思います。
もちろん苦痛は少しのほうがいいとは思います。

ベンジャミンフルフォード、ファイナルウォー、扶桑社。
より。
世界のがん保険市場のデータ。
日本92億ドル
韓国36億ドル
台湾20億ドル
その他0
日本の頑保険の8割をアフラックとアリコジャパンが占めています。
なぜかというと最初にがん保険が出来たときに日本がこの保険を売ることが出来ない条件だったそうです。
1974年にがん保険が始まり、2001年まで日本の保険会社はがん保険を売ることが出来ませんでした。
最近も日本郵政の簡保保険が日本生命と提携してがん保険を売り出す直前に、アフラックを郵政が売るというとんでもない変更になってしまいました。
もちろんアメリカもひどいですが、これにだまされる人たちも悪いのです。
世界でほとんどアジアだけだそうです。
このがん保険があるのは。
普通は他の病気と一緒に保険があるのです。
其れだのになんでこんな保険に入るのでしょう。
これぼろもうけですよ。
普通の病気全般の保険でも利益は出ているわけです。
癌だけに特化すると3人に一人だけ払えばいいだけなのです。
癌が怖い、癌が怖いと宣伝して、効かない抗がん剤でぼろもうけして、保険でまたぼろもうけ。
どこまでだまされれば気が済むのでしょうか。
日本人が貧乏なのは自分たちにも責任は十分あるのです。
癌は怖い病気ではありません。
抗がん剤を使った人と、使わない人では余命は4倍の違いがあります。
もちろん使わないほうが4倍長生きしてるのです。
なおかつ使わない人は楽に死ねます。
病気じゃないのに検診をして、わざわざ病気と診断してもらって、薬という毒をお金を払ってもらい、寿命を短くしてるのが現状です。
病気になりたくないのなら、1日2食、其れも野菜を主に。
週に1回は1日断食これであなたも健康です。
厚生省の指導では1日何カロリーとかになっていますが、あなたは彼らを信用しますか。
彼らも病気で利益を得ている人たちの仲間なんですよ。
そもそもカロリーの根拠は、1日食べる量を燃やして、そのエネルギーを測ったそうです。
こんなものを根拠にしてるんですよ。
一番いいのは外でする昼食を抜くのがいいのではと思います。
今一番問題のある食材を使ってるのが外食産業です。
日本人みんなが昼食を抜けば、面白いですよね。
だれか昼食を抜く運動をやってくださいよ。
これ思ったよりも社会は変わるし、その上みんな健康になる、お金は全然掛からないどころか浮きます。
良いとこだらけの運動だと思います。
げたは面倒なので、自分だけ昼を抜くことを心がけます。
昼飯を作るのは結構時間がかかります。
この時間も節約できます。
なおかつ昼休みは丸々休めます。
いや自分で提案しておいてそのすごさにびっくりです。
ふりだしでは最近2食の人が多いのです。
朝抜く人と昼抜く人がいます。
お腹がすくと長生きDNAが活性化されるともいいます。

なぜ今落ち込んでるかというと、1番は仕事が全然進んでいないからです。
この先今のところ手伝いは不透明です。
しばらくは手伝い2名です。
昨年の一人も居ないに比べれば、まだいいのですが、今年はイベントが多すぎるのです。
明日またヴィジョンクエストでひろみもみんなも朝から出かけます。
このヴィジョンクエストがまた落ち込む原因でもあるわけです。
そもそもこういうことをやるためには、十分なサポーターが必要です。
ところが参加者の大部分は十分なサポーターを連れてこないばかりか、大部分の人は自分も準備が終わってから来てます。
なおかつサポートする人は一人もつれて来て無い人もいるわけです。
げたの感じたところでは、すごく軽い感じで参加してる人も居ます。
今回の問題は結局参加費が3万円なりと言うところです。
そもそも大鹿村では長年スウェットロッジをやっていますが、全てドネーションとみんなの奉仕で成り立っています。
この方式でやってきた人間には今回のクエスター一人が3万円なりはなじめません。
自分たちが必要だと思ってるからそれをサポートするのにも何も問題は無いわけです。
ところがここに3万円と言うお金が介在する事によって全てが変わってきます。
つまり3万円払った参加者の中には、俺は金を払ってるんだから良いんだと思う人もいるでしょう。
それがサポーターもつれてこず、なおかつ本人も直前になってから現れると言う事に出てると思います。
それではその前から仕事をストップして、薪を運んだり、スエットロッジを作ってる私達は何なのでしょう。
私達はその3万円には何も関係は無いのです。
それでも大鹿村から一人参加してますし、他の人達も何も言わずにもくもくと仕事を手伝ってます。
そしたら、私達も、手伝いに行くしか仕方ないのです。
みんなはえらいと思います。
しかしげたはえらくないのです。
簡単にいい人にはなれないのです。

最近はこういうことが本当に多いのです。
ヒッピーにあこがれる人、スピリチュアルにあこがれる人、無農薬の野菜を食べる人、こういう人が増えてるのは事実です。
しかしみんな自分中心で人の事なんか考えてないのです。
一番良い例は最近の無農薬野菜を食べる人達です。
彼らが無農薬を選ぶのは自分たちは農薬を使った農作物は食べたくない、しかし地球の環境も自分のエネルギーの問題も考えません。
自分たちだけよければいいと思ってるからです。
自分も人類の一員であると言う自覚はありません。
みんなが繋がってるなんて、夢にも思っていないでしょう。
そしてこういう人に農作物を売らないと生活できないと言う現実があるわけです。
これが他の事にも当てはまります。
みんな自分の事しか考えないわけです。
それでいてスピリチュアル志向なわけです。
矛盾してるのにそれにさえ目を向けません。
結局便利な生活はエンジョイしながら暇な時間で精神的なことを求めてるわけです。
その自分たちの便利な生活のために世界がどうなってるのか、また日本がこれだけお金を持ってるのは世界中から盗んでるアメリカの尻馬に乗って、また自分たちも儲けていて、そしてその豊かさの中で便利な生活が出来てる事に全然疑問を感じてないのです。
だから彼らの精神性は、暇人の道楽だといってるのです。
アフリカでは精神性など言ってる場合ではないのです。
今日生きるのに精一杯なのです。
他に地域にも、そして同じ日本にも今日生きていくのが精一杯という人はたくさんいます。
同じ地球でおかしいと思いませんか。
私達はお金から距離を置かなくてはなりません。
お金が全ての人をおかしくしてしまっています。
落ち込みます。
そういうげたも、便利とかお金に振り回されています。
それが余計に落ち込みます。

雨で外の仕事が出来ないので、まきを割ろうと1発、2発目にアカバチに耳を刺されました。
そのまま近づかなければいいのに、頭にきてるので何とか蜂を殺そうと近づいて首にもう1箇所刺されました。
結構きます。
痛いのなんの、2箇所でこんなに痛いんですね。
落ち込んでる上に蜂に刺され、泣きっ面に蜂とはこういうことなんですかね。
蜂に対しての優柔不断がこうなったわけです。
田舎では蜂とかネズミとか、鹿とか、虫とかに中途半端な対応は出来ません。
それでも、何か吹っ切れない思いで、毎回蜂に刺され、動物に作物を食われしてるわけです。
心の底に何か人間のほうが間違ってるのではないかと言う思いがあるわけです。
それが優柔不断になるのですが、彼らは容赦はしてくれません。
結局ためらうげたに問題はあります。
アカバチは高いところに巣を作るので、その上長危険なので、どうしても薬剤をを使うしか仕方ないのですが、この薬剤を使うことにも抵抗はあるわけです。
何回もう蜂の巣を見つければ即全滅させるぞ、と決心するソバから決心は揺らいでゆくのです。
もう10年近くこういうことを続けてるわけですが、これは最近の特徴なのです。
昔はといってもたかだか20年から30年前はこういう問題はほとんどありませんでした。
動物とも虫とも何とか折り合いをつけて暮らしてたわけです。
その頃の思いを引きずってるので、余計に気持ちが揺らぐのでしょう。
来年もたぶん揺らぐでしょう。
心の底では間違ってると思いながら、現実のやむにやまれぬ状況から殺すしか仕方ないわけです。
でも考えてみてください。
親から子供まで、その一族を全滅させるんですよ。
そんな事を平気でやれる人のほうがおかしいとは思います。
結局来年も同じように躊躇しながら蜂に刺されるのでしょう。
それにしても痛いです。

ようやく仕事が出来ると思ったら、雨で仕事は出来ません。
明日も午前中は雨でしょう。
明後日はまたまたヴィジョンクエストにひろみちゃんは出かけるといってます。
当然手伝いの人たちも行くでしょう。
げただけ残って農作業です。
仕事はやらなければmそれだけ溜まっていきます。
これから手伝いの人が減っていく中、仕事は増えていきます。
またまた昨年同様無茶苦茶忙しくなりそうです。
体も本調子ではありません。
どうなるんでしょう。
ふりだし塾は無料でやってます。
これが最近の方々にはうまく理解されて無いように思います。
野次馬が増えてるように思います。
今回のヴィジョンクエストでも居ましたが、自分が興味があるだけで、それほど深く考えてないみたいです。
こちらの大変なところは理解して無いみたいです。
もちろん全員とはいってませんよ。
よくやってくれてる人もたくさん居ます。
自給自足とか、田舎生活の裾野は広がってるようには思います。
この裾野が広がる初期症状としては、理解して無い人が増えるのもやむを得ないのかもしれません。
結構きついのですよ。
ここは乗り切らないと駄目なのでしょうが、疲れます。

子供連れは参加できないということで多くのサポーターがサポートできない事になりました。
結局ふりだし塾はげた以外は全員サポートに行きました。
ふりだし塾からは他にも募集したサポーターを二人出しています。
各参加者がそれぞれサポーターを連れてくることになってるのですが、ほとんどつれてきて無いみたいです。
ひどいですよね。
メディスンマンだけ、一人3万円で7人で21万円を受け取り、私達は今日で4日間も無料奉仕です。
食料も出してます。
ふりだし塾からはもう一人のサポーターをお願いしてたのですが、彼女は手伝いをあまりせず、ぶらぶらしてるだけ、その上子連れで猫連れという無茶苦茶です。
彼女はただの野次馬なわけです。
それでも彼女と子供に食事を作らなくてはなりません。
今日彼女に出て行けといいました。
当たり前でしょ、手伝いを募集してるんですよ。
手伝わないで飯だけ食ってるやつに何で居てもらわなければならないのでしょうか。
今回は3万円と言う参加費のおかげで、参加者も3万払えばいいんでしょと思ってる人も参加している可能性は大です。
それでは長年ネイティブアメリカンの日本での活動を無料奉仕で支えてきて、今回も支えている私達は何なのでしょうか。
ネイティブアメリカンなら何でもいいのではありません。
彼らの中にもお金に身売りしてる人は居るでしょう。
各地で有料でスウェットロッジをやってる、ネイティブアメリカンもそういう人が居る可能性はあります。
げたは誰であろうと、アメリカ人だろうが、インド人だろうが、ネイティブであろうが、疑わしい人は信用しません。
みんな直ぐやられてしまうんですよね。
日本は不良外国人の天国です。
同じセミナーが外人になると2倍になります。
それでも外人をありがたがって、お金を出すニューエイジ狂いの人たちは一杯居ます。
彼らも止められないでしょう。
国を出るとき友人に「また阿呆の日本人のところで稼いでくるよ、あいつら本当に馬鹿だね.」何て言って出て来るのでしょう。
悔しいです。
スピリチュアルとか言ってる間があったら、田んぼの草取りに来てくださいといいたいです。
少なくともインチキセミナーよりは為になるのですが、相変わらずふりだし塾には人は居ません。
10月に来ると言ってた女の人も来ない事になりました。
今年も来るといってこない人が何人も居ました。
確実に来れるようになってから連絡してください。
こちらも相手をするのは大変なのです。
何か最近は落ち込んでいます。
若い人達とのギャップも大きいなあと感じ始めています。
老兵は去れですかね。

とまべち英人 フォレスト出版社。
より。
スウェーデンとの国民負担率比較の嘘。
よく政治家は日本の国民負担率は低いと言ってます。
実は日本の国民負担率は一番高いのです。
スウェーデンと日本の社会保障給付費を対GDPで見てみると、スウェーデンの52パーセントに対して日本は27パーセントです。
分りやすく言いますと、
①日本は社会保障給付金がなどが少ない為に、一見すると高負担のスウェーデンよりも実際の国民純負担率は高い。
②その少ない社会保障給付金の最たるものは出産、育児等家族政策関連の給付、高齢者障害者関連の給付、そして雇用政策関連の給付。
スウェーデンはそれぞれ日本の7倍、10倍、4倍の給付がある。
早い話は日本は取られる税金の割りに、もらえる給付金が非常に少ないのです。
詰まりぼったくり国なのであります。
今でも給付が少ないのに、増税して結局もっとぼったくって、誰か分らない連中に金が行くのです。
とんでもない国ですね。
生活が苦しいのは当たり前なのです。
国民純負担率の国際比較。
 国  税、社会保障負担率 社会保障給付率 純負担率
日本 29,2%     11,4%    17,8%
ドイツ  39,0      24,0   15,0
フランス 43,7      26,4   17,3
スウェーデン 51,0    37,8   13,2
イギリス  35,1     20,6   14,5
アメリカ  26,7     14,5   12,2
日本の社会保障給付費は最低です。
たったの11,4%ですよ。
この純負担率が払ってるのにもらってない部分です。
つまりこれなら払わないで、もらわないほうがよっぽどいいのです。
あいつら足りない足りないと言いながら、てめえらで抜きまくってるのです。
日本の官僚が一番ひどいのです。
アメリカに貢ぎながら、自分たちもたっぷりおいしい汁を吸ってるのです。
日本人が貧乏なのは当たり前なのです。
そしてまだ足りないと言って、またまた増税するつもりなのです。
国家破綻なんて嘘八百ならべて、自分たちの利権だけ増やし続ける官僚をどうにかしないと、日本人は永遠に貧乏なのです。
日本は世界一の債権国なのですよ。
詰まり世界で一番他の国にお金を貸してる国なのです。
本来ならば世界で一番裕福な国でなければならないのです。
毎年30兆円のアメリカ国債を買ってるのです。
このアメリカ国債は、売る事もお金を返してくれることも無いのです。
詰まり貢いでるのです。

少し古い本ですので古本屋でも安く売ってます。
このくらいの経済知識は最低限持っていなければ、やられっぱなしになりますよ。
この先どのように日本人のお金が無くなるかが、この本でよく分かるでしょう。
貯金がある人は、実物資産、つまり物に変えておくべきです。
土地が一番でしょう。
土地と言っても街の土地はこれから下がるだけですよ。
でも大鹿村には来ないでくださイね。
大鹿村は財産が無くても、若い将来がある人たちを求めます。
退職おじさんたちは、地方都市の近くで我慢してください。
退職したら田舎生活なんて、田舎の人たちには迷惑以外の何物でもありません。
出来たら街で盆栽でもいじっておいて下さい。
これはきつい言い方かもしれませんけど。
限界まで来た田舎の小さな村にとって、若い人達が来てくれる以外に希望は無いのです。
数の少ない借家や売り家を、金を持ってる退職組がどんどん手に入れたりしてます。
これでは希望はありません。
若い人が入れなくなってるのです。
役場は相変わらず頓珍漢なので、とりあえずお金を持ってる退職組みを歓迎してるのでしょう。
もう少し先を見てくれると助かるのですが、彼らに期待するだけ駄目なのです。
彼らも官僚の一翼を担ってる存在なのです。

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