雨で室内で豆のからむき。
3時から女性陣の強い要請でわらじ作りを教えました。
3人とも夕食までには片方作り終えました。
まゆみちゃんはのってるのでそのまま無片方にも挑戦してます。
げたは座ってり間にぎっくり腰になってました。
何もしないのにぎっくり腰になったのは初めてです。
毎年仕事が終わる前に、仕事が終わる見込みが付くと、ぎっくり腰になります。
気が緩むんですね、たぶん。
それだけ無理をして体を何とか持たせて来てるのです。
気が緩むともう駄目なのです。
4-5日仕事は出来ないでしょう。
わらじ作りを教えるのは楽しいものです。
最近はよっぽど熱心にたのまないとげたは教えません。
だって、結構きついのですよ。
それをそれほど熱心じゃない人たちに教える事はできません。
男性陣は棄権です。
出来たぞうりを室内で履きたいといってましたが、室内では履けません。
ワラくずだらけになってしまいます。
ワラくずは足についても洋服に付いてもやっかいです。
室内では布ぞうりです。
わらじを作るときに、ワラの上を布で巻いていってもいいし、他のヒモを使ってそれに布を巻いていってもいいです。
布だけだと柔らかすぎます。
周りの部分だけでも少ししっかりしたヒモにしなければなりません。
ヒモは化学繊維だと履いてテ気持ちがよくないし、捨てるときに大変です。
麻紐の少し太いものか、布でもいいのですが、布の場合はきつめのよりをかければ固めのヒモが出来るかもわかりません。
普通の布ぞうりの作り方では、みんな化学繊維のヒモを使っています。
化学繊維を足に履くと、気が抜けなくなります。
これは結構大事な事ですよ。
靴下も化学繊維は駄目です。
げたには化学繊維の靴下を履いて何も感じない人が信じられません。
もちろん冬はそんな事は行っておれません。
安い化繊の厚手の靴下を綿の靴下の上にはきます。
羊毛の靴下が最高なんですが、手に入れるのも難しいし、値段も高すぎます。
気楽に作業用には履けません。
作業用に二股のちょうどいい厚さの羊毛靴下があると使いますけど。
ここいらの店には売ってません。
冬は作業に地下足袋を履く事もあるので、二股の靴下は欠かせません。
5本指靴下は履くと一番いいのですが、脱いだり履くのが大変なのです。
毎日靴下を変えるという贅沢は出来ません。
何日も同じ靴下をはくので、5本指はいやになります。
面倒なのはいやです。
昨夜のオアシスナイトは大勢のお客でした。
こんな山奥のライブに、それも2週連続なのに、こんなにたくさんのお客が来るのが大鹿村の不思議なところです。
今回のライブは昼の2時にスタート。
村とか伊那谷のミュージシャンもたくさん参加して、小さなお祭りの感じでした。
ふりだしのお店は大人気で、3回ついたもちも売切れてしまいました。
お餅は古代米、紫芋、コキビの3色モチでした。
もちろん材料は全部自分たちが作ったものです。
もちに付けるのは、自家製キナコ、自家製アンコ、自家製醤油の中から選んだでもらいました。
ピザもいつもどうり人気で余れば今朝の朝食になる予定だったのですが、2枚残っただけです。
2枚といっても大きなピザを8等分したうちの2枚です。
ふりだしのピザのおいしさはピザソースでしょう。
トマトピューレは普通加工用トマトで作るのですが、ふりだしのピューレは、普通の食べる用のトマトがたくさん入ってます。
加工用のトマトはあまりおいしくないのです。
こんなに売れるのならご飯も出せばよかったのですが、ひろみちゃんが遠慮して今回はご飯物を作りませんでした。
今回のお客は街から来た人が多くて、いつもの八百屋ではあまり売れない、ビート、野草茶、トルシー茶、マコモ、菊芋、雑穀類などがよく売れました。
街のお客さんは本当にたくさんの野菜を買ってくれました。
普通、ライブに来たお客がたくさんの野菜を買って帰るなんて無いと思います。
マア、息子のたけるの宣伝で、ふりだしの野菜のおいしさを知ってるお客が多かったのかも分りません。
陽だまりマーケット並みの売り上げでした。
ふりだしの野菜は今年は本当に売れてます。
買ってくださった皆さんに感謝します。
本当は早く野菜作りは止めたいと思っていたのですが、こうなると止めるわけにもいかないみたいです。
来年はふりだしの新八角堂も完成しますので、こちらでのライブも楽しみです。
昨日まで2日間は堆肥運び、疲れて何も書けませんでした。
畑の支柱撤去とマルチはがしは順調です。
11月中に畑は終わりそうです。
これだけ毎週イベント続きで、なおかつ仕事は順調に進んでいます。
手伝いは5名、男2名女3名と珍しく女性のほうが多いのです。
漬物とか室内の仕事も多いのでちょうどいいです。
今日の鹿柵も、余裕があるからできる仕事です。
最後の50メーターが残っていました。
最近は毎晩鹿が侵入してました。
ここが終われば1町歩強の敷地が全部フェンスで囲われます。
気持ちがいいものではありませんが、鹿が入ってこないほうが平和です。
昨年は庭の花からお茶の木まで鹿に食べられていました。
山側の入り口に犬をつないで、これで鹿は入ってこれなくなります。
今年は新しく下に作った小屋の回りも鹿柵を作らなくてはなりません。
干す場所を作ったのですが、鹿が入れないようにしなければ使えません。
今日は女性陣はタクアン漬けと、カブの千枚漬けも漬けました。
明日のライブは八百屋と甘味屋さんです。
あんこを作ってモチをついて売る予定です。
もちをつくといっても、電気ですけど。
自分のところで出来た材料で作るふりだしの食べ物は人気があります。
16日のライブで帰ってきたのが午前2時。
それから湯たんぽの湯を沸かしたりしてると3時ごろになるのでやむなく次の日はお休み。
また今週の末もライブがあります。
大鹿村はどうなってるのでしょう。
5連続のイベントで出店してるので、畑が遅れてきました。
今日はヒエを足踏み脱穀機で脱穀。
残りは豆の支柱を解体です。
支柱の解体が終われば、後はマルチをはがせば畑での作業は終わります。
今年は漬物も早めに漬けていってるので余計に畑が遅れてます。
手伝いが二人増えて、現在は5人の手伝いがいるので早いです。
それでも5人の湯たんぽを入れるのは結構時間がかかります。
今時これだけ手伝いがいるのは久しぶりです。
寒さにも大分慣れてきました。
手は冷たいです。
作業によっては手袋は使えません。
足は靴下二重で何とかなります。
毎日マイナスの気温ですが、まだ地面は凍りきってません。
地面が凍るまでには仕事を終わりたいと思ってます。
今年は何とかなりそうです。
あと1週間ぐらいで畑は終わりそうです。
農業で大事なのは無霜期間がどれだけあるかです。
特に寒いところでは決定的になります。
例えば一番高い1500メーターの大池の圃場では、5月末まで霜が降りる可能性があります。
9月の末には霜が下りるときもあります。
通常では5月から10月半ばまでですから5ヶ月半です。
この圃場では、コキビはうまく実りません。
大豆は極早生のみ実ります。
種を蒔いてから収穫まで6ヶ月近く掛かるものは一杯あります。
それで60日から90日で収穫できる作物が中心になります。
それも霜が降りても大丈夫な作物が多いのです。
霜が降りても大丈夫といっても、霜は4度以下で下ります。
マイナス5度になると大丈夫な野菜はほとんどありません。
ところが寒いところは良いところもあります。
味がよくなります。
野菜は寒くなると糖分を増やして防御します。
寒ければ寒いほど糖分は増します。
寒ければいいといって1日中寒ければ野菜は成長しません。
昼間はある程度気温が上がって、夜温度が下がる高地の野菜はこれでおいしくなります。
書くと簡単ですがやってみるとうまく栽培できるまでにはかなりの技術がいります。
プロの世界は買ってもらって幾らの世界です。
この本来なら畑にすることは不可能といわれている高度1500メーターでの野菜なので他では無いくらいのおいしい野菜が出来ます。
20年少しやってきて、ようやくそのおいしさが知られてくるようになりました。
安定して出荷していた中間の業者さんから離れて自分たちで売り始めて5-6年目です。
まだまだ、安定して売れてるわけではありません。
それでも直接お客に売るだけ、しっかりとした反応があります。
これからは直接お客に売るやり方が主力になっていくものと思われます。
若い人達も直売が主です。
ただこれは手間がかかりすぎます。
これの解決策として組合で一括してパックして発送するシステムを構築するしかありません。
個人で色んな野菜をそろえるのも難しいし、それぞれがパックして、それぞれが発送していては経費も手間もかかりすぎます。
ただこの組合で出荷するにはかなりの人数がいないとやっていけません。
組合が中間業者になったのでは何もならないのです。
あくまでも手間と経費の削減が目的です。
話が全然違う方に行きました。
急に真冬になってしまいました。
これから来年の春まで5ヶ月ぐらいの冬です。
最近は4月になっても春とはいえなくなってるのです。
最も11月になるとすぐにマイナス5度くらいになるのは普通ですけど。
冬が長いのです。
きついですよ。
もう畑に野菜はありません。
これからは収穫したものを来年春まで何とかつなげていくのです。
ただこんなに厳しい生活をどのくらいの年までやっていけるのかは分りません。
げたなんかは生まれ故郷の小豆島に逃げて帰りたくなるのではと思ってます。
温かいところは楽なんです。
冬でも多少寒くても貝を掘れば何とか食べれます。
食料もためる必要はありません。
畑にあります。
薪も、あらゆるものを備蓄する必要があまり無いのです。
その日暮らしで何とかなります。
その日暮らし島で生まれたげたは備蓄の生活には中々なれません。
ここで生まれたら、ここしか知らないので、これが当たり前なのでしょうが、温かいところを知っているげたにはここの生活はきついのです。
だって今時マイナス5度ですよ。
来年の4月半ばまでひたすらマイナスの気温なんですよ。
30年以上やっても慣れません。
バッテリーが駄目になり、昼間しか使えてない独立系の太陽電池発電のシステムのバッテリーを再生する事にしました。
使うのはスーパーK、ITE国際技術交流協会の製品です。
使い方は簡単で、0,35グラムのタブレットを、バッテリーによって数個入れるだけです。
バッテリーの寿命を延ばす従来の技術には、パルス波を使ったものがありますが、これでは鉛の表面に付いた膜を剥がすだけでした。
スーパーKはこの膜を溶かします。
料金は1グラム400円。
AH100のバッテリー1個ですと6セルあります。
セルはバッテリーの区画の事です。
100には6個の部屋があります。
それぞれに上に蓋がついて、そこから蒸留水を補給するようになってます。
1セルに付きタブレット4個投入します。
6×4でバッテリー1個に24のタブレットが必要です。
24のタブレットで1個が0,35グラム。
計算機が無いので簡単に8グラムにします。
100のバッテリー1個の再生費用は3200円です。
再生バッテリーでも18000円近くしますから、一番いい方法だとは思います。
ただバッテリーがあまり古くなってダメージが大きい場合は再生できないそうです。
振り出しのバッテリーは結構ダメージは大きいです。
日が落ちてから1時間も持ちません。
100のバッテリーは5-6年使ってますが、65は12年近く使ってます。
今までパルスで何とか持たしてきたのです。
結果はどうなるか分りません。
これで再生できなければ、中古の自動車バッテリーを買ってきて、それにスーパーKを入れます。
中古のバッテリーは、解体屋さんで㌔90円ぐらいで売ってるそうです。
100のバッテリーは30キロぐらいなので3000円くらいで買えそうです。
バッテリーは一つでも駄目なやつがあればそれに引っ張られて他のやつも性能を出せなくなるので比重をしっかり計らなければなりません。
タブレットの投入のときも、十分充電して、その後に比重を計って1,15以上にならなければなりません。
比重計が壊れているので、買わなければならないのですが、この近くでは売っていません。
比重計を買ってから、タブレットの投入になるので、もう少し時間がかかります。
畑が忙しくて中々太陽電池に時間を使うことが出来ません。
バッテリーの水の補給が精一杯なのです。
その水の補給も遅くなりがちです。
毎回鉛が露出してます。
自分で電気を作るのは結構時間を取られます。
バッテリー液は月に1回はチェックしないと駄目なのですが、どうしても2ヶ月くらい空いてしまうのです。
バッテリーの調子がおかしくなって初めて気がつくからです。
もう少しまめな人でなければ自家発電は無理みたいです。
その無理な人間が20年間自家発電をやってきたのですが。
今は電力会社の電気も使えるようになったので、気が緩んでしまってるのもあります。
朝から雨で干し柿作り。
まっつんが干し柿マシーンに挑戦して、うまくなりました。
1日すると結構うまくなります。
家の横に干し柿がずらりです。
いい風景ですよ。
これをみんな食べるのですから大したものです。
振り出しの干し柿は甘さが控えめなので何個も食べれます。
明日も午前中は干し柿です。
ひろみは出荷の荷造り。
げたはケツメイシを株から切り離しです。
ケツメイシは手で取れないので、はさみで切らなければなりません。
自給自足は本当に時間がかかるなあの代表がケツメイシです。
一般にはハブ茶として売られています。
漢方なので売る野草茶には入れることが出来ません。
ふりだしで飲んでる野草茶は売ってる野草茶にケツメイシ、万年茸「霊芝」、カワラタケを別に入れます。
ケツメイシは殻から出すのも時間がかかります。
普通は熟していると殻から出しやすいのですが、ケツメイシは温かいところで出来るものなので、8割は熟しきっていません。
熟して無いものを乾かして殻からとるために時間がかかります。
考えてみてください、小豆よりも小さいのですよ。
それでも野草茶には欠かせないので、毎年作っています。
2割くらいは熟すので、種は何とか確保できます。
早生選抜も結局は限界があるのでしょう。
適地で無いものの栽培には苦労します。
朝は干し柿第2段。
今回の柿はふりだしの市田柿。
昨年は生り年だったので、今年は小ぶりで数も少ないです。
昨年コンテナ1杯あったのですが、今年は半分弱。
それでも手でむいてるので3人で午前中かかりました。
今日新たに市田柿コンテナ5杯をもらいました。
明日は畑に行かなければならないので、明後日に干し柿にします。
1日掛かって出来るかどうかです。
柿むき機がうまく出来るようになると早いのですが、次回は柿むき機を使います。
東側の2回のベランダはすでに結構たくさんの干し柿が並んでますが、今の5倍以上の柿です。
南側も使わなければならないでしょう。
南側も干し物は一段落してるので何とかなるでしょう。
干し柿がぶら下がってる家の雰囲気がいいです。
畑は最後の大根と、カブそれにゴボウの収穫でした。
今年60個買い増ししたコンテナもすでに足らなくなってます。
ふりだし塾の7不思議がこのコンテナです。
毎年買い足しているのですが、毎年足りません。
どうなってるのでしょう。
誰かがかなりの量を持ち出してる以外に考えられないのですが、毎年盗られてるのかもしれません。
まいります。
今年のコンテナ60個は約5万円です。
1個が800円もするんですよ。
400から500円でもあるのですが、安いやつは直ぐに壊れます。
カインズの一番安いやつは論外です。
直ぐに壊れます。
500円のやつは少し丈夫なんですが5-6年で壊れ始めます。
昔のやつはすでに40年近く使ってるもにもありますが丈夫です。
コンテナを買うなら少し高くても「サンコー」のコンテナです。
安いやつはメーカーの名前も入ってません。
サンコーなら800円ですが長持ちします。
それに他に持ってる人もいないので、直ぐに分ります。
本当はピンクのやつにしたかったのですが、注文しなければならないのです。
計画的で無いわれわれには前もって用意するなんて事は出来ません。
来年はピンクを試してみます。
これなら盗られることも無いでしょうから。
今はコンテナの予備が全然無いのは、大量の野菜を保存してるためです。
これから保存しながら売っていくのです。
凍ると駄目になるので最終的には全部の野菜が家の中に保存することになります。
5度くらいをキープする部屋と、一番寒い部屋は氷温です。
この部屋の温度のキープが結構気を使います。
振り出しに冬来た人はみんな温かいと言います。
サツマイモのために温度が高くなってるのです。
カボチャも、サトイモも、ヤーコンも低温は駄目です。
サツマイモは冬さえ乗り越えれば、後はうまく保存をすれば、次の冬まで大丈夫です。
昨年のサツマイモから芽が出てきたので、今は来年の苗を作るために芽を伸ばしています。
今年は半分弱の苗を自前で作りました。
この寒いところでのサツマイモの苗つくりは大変なんですよ。
今からすでに芽だしをスタートさせます。
げたの部屋には15鉢くらいの冬の花を窓際に置いてます。
そこに下のほうに水を入れたサツマイモを置いておくのです。
ゆっくり芽が出ます。
それを春になるとハウスに移します。
死に対して逃げは無駄な抵抗です。
幾らごまかしても最後にはそこに直面しなければならないのです。
死後の生命を信じろといっても、これも自分で追求して、自分で納得するしかないのです。
宗教ではないので、言われたことをそのまま信じるわけには行きません。
自分で色んな方法でそこに向かうしかありません。
ごまかしたい人はそれはそれでいいと思います。
宗教に入りたければそれもいいと思います。
最後は自分で納得するしかないのです。
死後の生命があっても、無くても、死に対して恐怖を持つことは意味が無いことでもあります。
つまり死そのものと、恐怖は別物なのです。
死とはつまり、よく分からないことです。
唯一確実なのは、この世からいなくなることです。
その後の事は死ななければはっきりしたことは分りません。
この世からいなくなることについて、恐怖を持っても持たなくても同じなのです。
誰でも必ず死ぬのです。
後はこの恐怖をどうするかです。
あの世の事に確信が持てれば一番よいのですが、持てない場合もあるでしょう。
あの世の確信が持てない場合は、死を認めるしかありません。
認める方法は自分で探してください。
げたはあくまでもあの世について情報を集めます。
げた自身は確信を持ってますが、まだ他の人に確信を持てる説明はうまく出来ません。
一つだけいえることは死に付いて追求すればするほど、死の恐怖は消えていきます。
たぶん逃げれば逃げるほど恐怖は強くなります。
昔は死の字もいやでしたし、4という数字も避けてきました。
今はこれだけ死という字を書いても気になりません。
追求すればするほど死に対する恐怖の根拠はありません。
私達は何かよく分からないのに、死に対して恐怖を持ってるのです。
それではその根拠は何なんですかといわれても、そもそもそれを避けているので、根拠なんか考えた事も無いんです。
子供のときから回りの人たちに何となく言われて、死に対して恐怖を持っているに過ぎないのです。
つまり誰かに刷り込まれているのです。
死を恐怖しないものは、誰も支配する事はできません。
非暴力、不服従の抵抗をする場合、死の恐怖の克服は最低限の条件になります。
死を怖がっている者には非暴力、不服従の抵抗は出来ません。
