23日の沖君がこれなくなったので、ライブはチナキャッツ、ラビラビ、アンバサ、その他で22日1日だけです。
22日は午前中から店はオープンします。
地域のミュージシャンが午後からは始まるでしょう。
詳しくはまだチラシができて無いので分りません。
23日はふりだし同人の人たちの交流会になりそうです。
ふりだし塾見学希望の方もこの機会に訪問下さい。
ライブは有料です。
2000円の予定です。
出店は村内の方は無料ですが、入場料は支払ってください。
お店は場合によっては、つまり人が残れば23日もやります。
ここから食べに行くのは大変です。
宿泊は500円いただきます。
寝袋は持参下さい。
場所の提供のみです。
何とか無事に終わりました。
何度かヒヤッとする場面もありました。
棟上げは何回やっても怖いです。
これで後は一人でもこつこつやれます。
ライブには何とか間に合いそうです。
鳥かねずみに食べられたのだと思います。
もうしたではヒマワリは作れません。
昨年は半分強食べられました。
今日はエビガライチゴの取り始め。
ジャム作りです。
建築は午後からなのでそれほど進みませんでした。
明日は棟上の予定ですが、6,7,8,9日のどんじゃらほい祭りの準備もあるのでどうなるかわかりません。
丙な生き方とは。
甲、乙はご存知だと思います。
甲乙付けがたい、なんて言います。
甲とは、そもそも秀吉の時代の2代目茶頭の古田織部守が言い出した、「乙なもの」が始まりです。
つまり初代茶頭の千利休の提唱する、茶道に始まる文化的な価値観が「甲」なのです。
それに対する古田織部守は「乙」を提唱しました。
かたグルしい「甲」ではなく、遊び心のある乙なものは時流に受けました。
「乙」な人とか、「乙」だね、とか使われます。
乙も時代を経てちょっと硬くなってきたのでしょうか、それとも受け入れられすぎたのでしょうか。
それでも現代はまた「甲」が強くなってる気もします。
そこで「丙」です。
もう俺は「丙」でいいや。
これです。
気楽ですよ。
1流、2流、3流なんて野暮な言い方はしません。
あくまでも「丙」なのです。
人に認めてもらう必要はこれっぽっちも無いのです。
ただ一言「わたしは丙ですから」、これでいいのです。
今、新八角堂の玄関を作ってます。
「丙」な玄関、出来上がりを楽しみにしてください。
10年後は「丙」な生き方が主流になってるかもしれませんよ。
その時はげたは「丁」な生き方に移行します。
参考文献「へうげもの」。
最高に面白いマンガです。
「乙」な生き方の初期は面白い時代だったのでしょう。
「乙」もいいですよ。
麦畑のちょうど真ん中の麦の株の下に地蜂が巣をかけてました。
地蜂は地面の下に巣を作るので、見た目では分りません。
今回の襲撃は執拗で、げたが2発、他の二人はもっと刺されてました。
田舎の生活のこれが現実です。
こんなもの避けれませんよ。
蜂の巣はげたが取りました。
煙幕を入り口にぶち込んで、その後の巣を掘ります。
中の子供は食べます。
今日はもう2回蜂に刺されるところでした。
2回目はスズメバチで、草を刈ってるときに、蜂が周りを飛んでるので気がつきました。
この巣は明日攻撃します。
スズメバチは危険なので殺虫剤を使います。
巣の場所が地面なので、場所が特定できません。
殺虫剤を巣の近くにまきながら巣に近づくしか方法はありません。
煙幕は巣が特定できないと使えません。
昼間にやるしかないのでさされる可能性は大きいです。
場所がふりだしライブの新八角堂の近くなので残しておくわけにはいきません。
その場所は製材したときに出る、材の捨てる部分の置き場所です。
これを全部取り除かなければならないので、蜂の巣はじゃまです。
3回目は足長蜂、ジャガイモをしまっておく場所の下に巣が残っていました。
足長は余裕で、網ですくって1匹づつ殺していきました。
げたは朝から大忙しです。
麦刈りの指導の後は、蜂の巣取り、その後に新八角堂の玄関の梁を乗せ、午後は、畑までいって、菜種の脱穀の指導、菜種の脱穀は1日目は手でたたいて、今日は足踏み脱穀機でやりました。
菜種の脱穀は全部終わりました。
ジャガイモ掘りを平行してやりました。
その後に草刈と言うか、木もたくさん生えてる所を鎌と鋸で切っていきました。
ライブまでにやる事がありすぎです。
この期間のメールには返事が出来ません。
いろんな事があり書くことが出来なくなりました。
一度書かなくなると、元々パソコンは嫌いなのでますます書けません。
田んぼの草取りも何とか終わりました。
本当は終わってないのですが、7月も中旬になるとさすがにもう田んぼの中には入れません。
田んぼに入ると根を痛めてしまいます。
かえって減収します。
ヒエをまだ取りきってません。
最終はげたが取らなくてはだめなのですが、げたは忙しすぎて時間が取れません。
友人が亡くなったので気合も入らず、落ち込み気味です。
大切な友人で年も近いので余計こたえます。
建築を始められそうですが、畑もまだ草を取りきっていません。
草は最終的にあきらめるしかないのですが、まだあきらめるところまではいってません。
まだもう少しがんばらないと、草に負けてしまいます。
草に負けないようになると、あきらめます。
もちろん草は取ったほうがいいのですが、時間的に無理になるのです。
これからジャガイモ、麦、夏野菜と、収穫が忙しくなってきます。
ブルーベリーも始まりました。
ブルーベリーは最盛期は半日くらい収穫にかかります。
ジャムも作らなくてはなりません。
草どころでなくなるのです。
建築も、8月22日、23日のふりだしライブまでに仕上げなければなりません。
待ったなしです。
大雨で水路がほぼ埋まりました。
麻から復旧。
その後田んぼの草取り。
いつまでたっても終わりません。
げたはみんなが草を取ったあとに残ってるヒエを取ってます。
何しろヒエと稲を見分ける事ができるのはげたしかいません。
稲から離れてるヒエは取ってるので、稲と一緒に生えてるヒエを取らなければなりません。
これは本当に難しいのです。
取ったと思って後ろを見ると一杯残ってます。
角度とか方角が違うだけで見分ける事ができません。
あと1日がんばりますが、それで終わりにするつもりです。
こんなに遅くまで田んぼの草取りをするのは初めてです。
天気が悪くて稲の成長が遅れている上に、泥オイがすごくて一番ひどい田んぼは、葉の半分以上が食われて恐ろしい光景です。
同じように作っても、あまり泥オイにやられていない田んぼもあります。
何が原因なのかよく分かりません。
疲れました。
変な女の人が一人来ました。
話がぜんぜん通じません。
静かにしてくださいとお願いしてもしゃべってます。
仕事から帰って疲れてるのに、彼女の相手をしなければなりません。
距離をグーッとつめて話をしてきます。
人間には距離があって、そこから中には入らないでくださいとお願いしても理解しません。
人に難癖をつけるときにグーッと迫ってきて恫喝する、あのパターンと同じ調子で話しかけてきます。
そしてあなたはなぜ闘わないんだとか、なぜこの危機的な状況を訴えかけないのかとか、大体こんな調子です。
本当に疲れました。
何とか2日我慢しましたが、今日話をしていて我慢できなくなったので、帰ってもらいました。
人の家に来て礼儀ぐらいわきまえろよと言っても、そもそも自分に問題があるとは認識して無いみたいで理解しません。
何を話しても全然聞いて無いみたいに話がすれ違います。
彼女は危機意識だけで生きているみたいです。
コチトラは十分危機意識は持ってるんです。
ただ、何を言ってももう無駄だと思っています。
闘いはしません。
闘っても勝てませんよ。
じっと我慢して服従しないだけです。
こちらのやり方を前々理解してくれません。
もう本当に大変だったんですよ。
勘弁してもらいたいです。
彼女は最後に自分だけ生き残るつもりなんでしょう。
周りの人の迷惑は一切考えません。
危ない感じもあったので、きつく言い返した後は怖いときもありました。
こういう人は勝手にやってくださいと何度もお願いしてます。
でもこういう人って、自分で問題があるとはぜんぜん思って無いんですよね。
何でこっちが怒ってるのか理解できない感じでした。
ともかく人のことは掘って置いてください。
人の家にまで来て、色々言うのはやめてください。
こちらは山奥まで引っ込んでいるのです。
これ以上下がれないんです。
こんな山奥まで押しかけてきて、人のことを何だかんだ言わないでください。
みんなほっとしてます。
他の人にも問題なのです。
もっとも彼女はほとんどげたにばかり突っかかってきてましたが。
お願いですから、こういう人は来ないで下さい。
と書いても無駄なんだろうねと思いながら書いてます。
何はともあれ被害はほぼ無い段階で行ってくれましたので一安心です。
精神に問題があると思ってる人は、まだそれほど問題ではありません。
自分は正しい、自分は正常だと思ってる人のほうが問題なのかもしれません。
げたは自分が正しいとは思ってません。
むしろ間違ってると思ってます。
正常だとはとてもじゃないけど言えません。
多分正常な人は世界にはいないと思いますが。
ただ自分が変だとは思っていません。
自分以外が変だと思っています。
これに関してはまあまあ自信を持っています。
あくまでもまあまあですが。
ともかく今回は耐えられませんでした。
ここでの修行は結構大変なんですよ。
本当は来て直ぐに帰ってもらいたいと思いました。
修行だと重い2日間がんばりましたが無理でした。
やっぱり10人来ると一人ぐらいは無理な人はいるんでしょう。
過度な期待はしないで下さい。
彼女はここの事を過度にいいところと思っていたようです。
期待が大きかったんでしょう。
期待に添えないげたに我慢が出来なかったのでしょう。
げたはどなたの期待にもこたえることは出来ません。
自分の生きたいように生きます。
期待しないでね。
今日は小さい田んぼの田車除草と手での除草。
田んぼの周りが草で覆われてたので、まず回りの草を刈る。
その後田車除草。
最初に使った古い田車は本当に重くて、これでは長時間は無理だなと思いました。
ところが途中で全面の板が取れ、これが無いと田車は本当に重くなります。
やむなく別の田車に変えると、こちらは簡単に除草できました。
一見同じように見える田車ですが、古い田車も使いやすいものと、使いにくいものがあるようです。
最初の田車は前の板が安定してませんでした。
2回目の田車は板ははりっがねで止めてはいますが、板の横もまだ鉄板がしっかりしてました。
全面の板のサイドが落ちてる田車が多いのです。
このサイドの鉄板があるのと無いのとでは、すごく大きいのではと思いました。
今日はアルミ製の田車も少し使ったのですが、一番いいのは安いほうのアルミ田車かも知れません。
安いほうは車の部分はアルミで、手で押す部分が木で出来てます。
その為少し重いのですが、この少し重いので適度に沈みかえって楽かもしれません。
軽い総アルミの田車は、沈まないので速く進むとうまく除草ができません。
結論としては古い田車でも完全なものは結構使いやすいということです。
ただ、ふりだしには6台の古い田車がありますが完全なものは一つもありません。
ほとんどガタが来てます。
ボルトの部分はさびて締める事も出来ないものがほとんどです。
これを何とかして新しいボルトにするのが一番です。
ボルトの穴も長年ガタが来た上体で使ってる為に、穴が広がってしまってます。
一番大事なのは全面の平たい鉄板だと思います。
この鉄板が無いと沈んでしまうので、この鉄板がしっかりしている事が大事だと思われます。
特にサイドはほとんどが取れてるので、これを別の何かで修復しないと、ここから泥が入って田車が重くなってしまいます。
一番いいのは新しいものを買うことです。
新しいアルミの物はアルミであるがゆえに、この平たい部分も弱くて直ぐに壊れてしまいますが、何とか針金で固定してください。
ともかく田車除草は疲れます。
もう少し水を減らしたほうが楽かもしれません。
今では手伝いの人のほうが田車は上手になってます。
げたは長時間は出来ません。
田車除草と、手での除草、どちらも本当に大変な作業なのです。
それゆえに米の収穫のときの喜びも大きいのです。
