人が怒るときの代表的なイメージは右手のこぶしです。
右手にこぶしを握ると、怒りはより攻撃的になるそうです。
反対に左手でこぶしを握ると、これは力が入りません。
右手は前頭葉左に対応してます、左は攻撃性が強くなるそうです。
左手は前頭葉右に対応します、前頭葉右は逃避性が強くなるそうです、当然攻撃性は弱くなります。
覚えておいてください、「怒り」が出てきたら、左手を握る、こんな簡単な方法で怒りが収まるんだったら、大したもんです。
ただしこれは右利きの人だけです。
もっといいのは、怒りから離れることなんですが、こちらは会得に時間がかかります。
とりあえず試してみてください。
24日に長野県庁に道路についての陳情に行ってきました。
途中拘束を通っていったのですが、松本を過ぎたあたりから長野市までの高速沿いの松が軒並み枯れていました。
枯れた松をカットして薬剤処理をしてるところも一部ありましたが、ほとんどの所は枯れた松が立ったままか、倒れたままでした。
松枯れが始まったのは今に始まったわけではありません。
戦前でも一部ではあったそうです。
本格的に松カレが始まったのは1970年代からだそうです。
そしてなんと恐ろしいことに、50年以上たって、全然効果のない薬剤をまだ使い続けているのです。
この薬剤が効果がないのは松枯れが全然おさまってないことで既に証明されてます。
50年以上全然効果のない対策をするのは何とも信じられません。
これはいかに国の林業政策と、その政策を提言している学者たちの無能を証明してるわけでもあります。
寒いです。
今日は餅つき用の杵を削ってやすりをかけたところで、あまりの寒さにめげました。
マイナス4度の気温の上に風が吹いてました。
指がまともに動きません。
杵は結構たくさんけずらないとダメなくらい押しつぶされてました。
今年初めて杵を削ります。
そもそも、杵を削るなんて知りませんでした。
杵の先はうすに強い力で当たるわけですから、先はつぶれていきます。
これがモチに混ざるんでしょう。
けずったらどうなるのかはやってみないとわかりません。
面倒なので毎年やるのは気が進みません。
餅つきは人気があるのですが、つくのは結構きついのです。
奥さんの情熱で餅つきは維持されてます。
げたはそれほど興味はありません。
雑穀何種類も餅をつく気持ちもわかりません。
モチなんて白餅とアンコ餅で十分だと思ってます。
午前中に大豆の選別。
昔は大豆は棒でたたいて、ふるいでふるって、唐箕にかけ、その後に人間が選別してました。
昔と言ってもたかだか4-5年前までの話ですが。
現在は機械で脱穀して、機械で選別します。
当然ですが、たかだか大豆のために専用の機械は買えません。
大鹿村では村が大豆の脱穀機と選別機を買って村民が利用できます。
安い利用料で機械を使うことができます。
村もやる所はやってるんですね。
村議をやってるとよく分かりますが、村の行政もやってるところはやってるんですが、村民はやってるところは見なくて、問題ばかりフォーカスします。
時々役場の方々が気の毒に思うときもあります。
しかし、村の問題は山積みです、根本的に政策の変換が求められているのに、十分対応できてるとは思われません。
一番の問題は外のことを理解してないことだと思われます。
今は特に価値観が大きく変わってきてますが、そのことを十分理解してるとは思われません。
世界も、日本も、村もこれから大変な状況になってくるのにそれを気付く余裕もないのでしょう。
多分役場も野暮用が多いのでしょう。
大胆な改革が求められますが、今のままでは無理でしょう。
来年から起る経済危機で大変になることが予想されます。
経済危機に、食糧、環境、その上村では人口減がますます加速される可能性が大きいです。
陸の孤島の大鹿村では人口減は村の存亡にかかわります。
分かってはいるんでしょうが、対策も難しいんでしょう。
もう少し追い詰められなければ、大胆な改革は出来そうにありません。
げたは申し訳はないと思うんですが、世界の変化の方がもっと気になるのです。
この先トンデモナイことになるんでしょうが、自分に出来ることはただ農業をやって生活するだけです。
少しづつ有機農業の畑と田んぼと、人を増やしていく、これが自分の仕事だと思っています。
人はたくさんのことはできません。
あれもこれもやろうとすると、かえって本来の仕事ができなくなります。
やれることをやる、単純ですがそれしかできないのです。
薪が作れないとこの掲示板に書いたら、心配した友人から薪が届きました。
友人とは有り難いものです。
ありがとう。
もう少しで薪にかかれると思ってるんですが、今年中には無理かもしれません。
今年は寒そうだし、山に雪が降ると木を出すのが困難になってしまいます。
早く薪にかかりたいのですが、議会の仕事もまだ1日残ってるし、稲の脱穀もまだ残ってます。
明日は大豆の選別の予定です。
畑はもう凍ってしまったので、終了です。
ヤギのエサ作りも急がないとダメです。
まだまだ忙しい毎日であります。
最近は時々関節の痛みで歩くのが困難な時もあります。
寒いと余計関節にくるのだと思います。
最近一番の目からうろこです。
皆さんに質問します。
山に木を植えるのは正しいやり方だと思いますか。
多分ほぼ100パーセントの人が正しいと答えると思います。
そこがこの本のすごいところなんです。
常日頃マスコミとか世間では正しいと言ってることは、ほぼ間違ってることが多いから注意するようにと、何回もこの掲示板では書いてます。
そのげたでさえ、この本を読む前までは、「木を植える人」は良い事をしてるんだろうなとつゆも疑ってませんでした。
もちろんイオンの植林とか、一般的な針葉樹の植林は当然おかしいんですよ。
それでも、木を切った後に木を植えるのは当たり前だと思っていました。
なんと、この本は木を切った後はそのままにしておくという大胆な新しい林業を提唱してます。
松枯れはご存じだと思いますが、松枯れに対する薬剤注入はおかしいとは思ってますが、それではどうすればいいのかと問われれば、あれ、そんなことは考えたことはなかったと思いませんか。
松枯れは先進地(この表現はおかしいのですが、先発地のほうがいいんですかね)ではすでに何十年もたってます。
げたも中国自動車道を走ってた時にほぼ全部の松が枯れてるのを見て、須佐マジいなあと思っていました。
この何十年もたった松枯れの跡地ははげ山になったのでしょうか。
なんとほかの木が茂っているそうです。
みどりの山になってるそうです。
ご存じだと思いますが、松が生えてるところは地面にはあまり他のものは生えてません。
特に傾斜地が多いので落ちた枯れ葉は下に落ちていくケースも多いのです。
傾斜地ではないところでも松ばかりの所は松葉が積み重なって、何も生えてないところが多いように思います。
松ばかり生えてるところは、これが昔からそうだったと思ってる方が多いと思いますが、この松林は戦争中から戦後にかけてはげ山にされたところがほとんどだそうです。
はげ山に唯一生えてきたのが、松なんですね。
松、ナラとかのブナ科の木、カンバ類の木は外生菌根が共生している木です。
マツタケで有名なのでご存じだとは思いますが、松とマツタケは共生してます。
松の根っこの表面に菌糸の幕を張って、松の木の養分をもらい、その代わりに松の根っこを保護しています。
小さな裸の菌が根に直接食い込んでいるものは内生菌根菌だそうです。
昔はこの内生菌根菌との共生の木が多かったそうですが、後から入ってきた外生菌根菌との共生の木が、内生根菌の木を駆逐して、広がっていったそうです。
この外生菌根菌の木が松、ナラ等のブナ科だそうです。
その松が枯れ、今ナラが枯れてます、また戦前の状態に復帰しようとしてるのかもしれません。
この本は内容が濃いので、すべてを紹介するのは難しいのですが、意外と森はしぶとい、森の木は植林すると問題が起きるが、そのままにするとまた元の森に帰る可能性があるということです。
植林の木は直根が伸びないので倒れやすい、自然に生えた木は簡単には倒れない。
日本の森を守るためには根本的な森林行政の変換が必要なんでしょうが、行政は変わらないでしょうね。
昨日の最低気温はマイナス10度、最高気温はマイナス4度。
寒くて少し仕事をして、その後は家に引っこみました。
今日は昨日よりもっと冷えてます。
車のタイヤをまだ冬用に替えれてなかったので、寒いのですが仕事です。
寒いと言って休めるのは1日だけです、次の日からはそんなことを言ってる場合ではないので仕事はします。
雪も降ってるので、いくら4Wの車でもスタッドレスタイヤでないと車は上がってこれなくなります。
もっと降ると、今度はスタッドレスタイヤの上にタイヤチェーンをつけないと車は上がってこなくなります。
こ
大豆脱穀機を借りました。
大鹿村では大豆専用脱穀機を借りることができます。
脱穀機がないと、毎日毎日豆たたきになります。
棒で豆をたたいていきます。
豆をたたいたら、ふるいで大きな茎を取り、その後唐箕でごみを取ります。
これは時間がかかります。
最近は大豆を販売してるので、豆たたきでやる量ではありません。
プロは厳しいのです。
今年は草取りの時間がなかったので、収量は少ないのです。
ただ、大豆栽培はどちらかというと、次の年の田んぼの米作りのためです。
大豆後は肥料は要りません。
これで、後は最後に刈り取りした、少量の稲の脱穀が残ってます。
農作業に追われて一番影響が出るのは自給の部分です。
薪は少なくなり、ヤギ小屋とニワトリ小屋の堆肥もいっぱいです。
冬場のエサの用意もまだ整ってません。
便所を見るとあふれてたので、今日は肥担ぎ。
雨で地面がぬかるんでるので滑りやすいのですが、溢れている以上は汲むしかありません。
やるなら、最低年を越せるだけやらないとダメなので、何とか半分弱までくみ出しました。
くみ出した肥は家の周りにまずまいていきます。
家の周りは果物の木が植わり、その他のちょっと取る植物もたくさん植えてます。
20から30キロを担いで坂道を上がったりもあるので重労働です。
今回は他にもデジタル化について質問もしたかったんですが、これも質問が長くなるのでまたの機会の単独での質問とするしかありません。
何しろ村は問題だらけなんです。
根本的には人口減がすべての問題の大きな原因ではあります。
しかしながらただ人口を増やせばいいというわけでもありません。
村が求める移住者は、地元の習慣ややり方を尊重する、共同の負担もしっかりやってくれる人たちなんですが、なかなかうまくは行かないのです。
ごみの資源化です。
長野県は実を言うとごみの減量では全国的にもかなり進んでます。
長野県の一人1日あたりのごみの排出量は822グラムで県別で1位です。
市町村単位では、1番は徳島県の神山町ですが2番が川上村、3番が南牧村、4番が泰阜村、5番が中川村、8番が平谷村、9番が阿南町、10番が豊丘村とベストテンのうちなんと7市町村が長野県です。
しかしながらこれがリサイクル率のランキングになると木島平村が5番目に入ってるだけです。
おそらくこれだけ減量してる長野県なので、リサイクル率でも結構頑張ってるとは思いますが、このごみの問題は、今大きく変わってきてます。
最近ではごみは大事な資源になってるのです。
徳島県の上勝町(かみかつ)ではごみの分別を45種類に分け、その多くをリサイクルして、なんと年間でごみのリサイクルしての売り上げが200万から250万円あるそうです。
全てのごみは街の1か所に集積所を設けそこに住民自らが持ち込みます。
つまりここではごみの収集車もゴミの回収ボックスもありません。
街の集積所であるごみステーションに年末年始の3日間以外は、午前7時半から午後2時の間ならいつでも持ち込めます。
ゴミの8割がリサイクルされ、2割が焼却か埋め立て処分だそうです。
資源ごみを入れるコンテナには種類ごとにキログラム当たりの金額が書いてあります。
売れるものと処分するものでプラスとマイナスの金額が書いてあります。
この金額の明確化は大きい影響があると思います。
街が最初に取り組んだのは生ごみの減量化だそうです。
生ごみを燃やすのには費用が多くかかります。
街ではコンポストなどの購入の助成して、現在は98パーセントの普及率なので生ごみはほぼステーションには持ち込まれません。
村でもコンポストの補助はやってます、
ここで生ごみも資源と考えると、生ごみをたい肥化するべきです。
コンポストは意外とうまく発酵はしません。
ほとんど生のままいっぱいになり、場所を変えていかないとなりません。
これではそのまま生ごみを捨ててるのと大差はありません。
生ごみは水分が多いので、そのままでは発酵しません。
そうかといって毎回水分をしっかり切って、発酵補助の米ぬかなんかを入れるとお金もかかるし、尚且つそれでもうまく発酵させるのは結構難しいものです。
それなら1か所に集めて、水分調整をしっかり行い、堆肥化する方がいいのではないでしょうか。
特に最近ではコンポストを置く場所もない住居もあります。
このごみの資源化はやってみる価値はあると思います。
ごみ処理費用は減るし、売却収入も出ます。
これにより仕事も増えます。