ホタル祭りとか、赤とんぼ米とかで村おこしではありません。
だいたい、よそから人がたくさん来て村おこしにはなりません。
普通にホタルが居て、普通に赤とんぼが居て、何となく和む村にしたいのです。
ホタルも赤とんぼも村の人のための再生であるべきです。
そうすればお金も手間もかける必要はありません。
これからの村作りは小さく、簡単であるべきです。
悲しいことに大鹿村では、まだ、前世紀の遺物である箱もの政策を続けてます。
道の駅に大金を使って、そのあとまた全然わけのわからない施設を作ろうとしてます。
村の政策の基本は住民の生活です。
それとはほとんど関係のない箱ものに大金を使い、肝心の移住者の受け入れ政策にはお金をかけません。
今までずうっと、道路整備とかが過疎対策でした。
道路がりっぱになると村は過疎になるという統計さえ考慮されていません。
この道路がりっぱになると余計過疎になるという現象は、原因さえつかめていない不思議な現象なのです。
余談ですが、新幹線の駅ができるとその町は衰退するという不思議現象もあります。
当然ですがリニアの駅ができる飯田市も、駅ができると、なぜか町はますます衰退するでしょう。
箱もの政策もお金ばかり使い、その後の維持に村は大きな負担を強いられ、新しい本当に必要な政策さえできなくなってしまいます。
いつまでこんなバカなことを続けるのでしょう。
不思議なことに、村は自分の金ではないので、いい加減な使い方をするのはまだわかりますが、議会の議員でさえこれに賛成するのです。
まことにおかしな現象です。
村は救われません。
いま世界は大きく変わっていってます。
最近好きな言葉で「昨日の常識は今日の非常識)、これまさに現在にぴったりの言葉です。
価値観はどんどん変わっていってます。
世界情勢もどんどん変わっていってます。
この山奥の大鹿村もその変化から逃れることはできないのです。
今までは仕方なかったと思います。
村を守っていくのが精一杯だったのかもしれません。
何をやっても過疎化は止められなかったでしょう。
しかし、今ここにきて、過疎化を止めなければ村は崩壊します。
今までのやり方は、今後通用しません。
今までやってきてダメだったんですから、大幅に変更しなければならないのです。
それも根本から替えなけネバなりません。
と書きつつ、やっぱり無理だろうね、なんて思ったりもします。
もっとボロボロにならなければ、変われないのかもしれません。