漫画を読んでたら、面白い表現がありました。
「あったら便利は無くても平気。」
何かふりだし塾の看板にでもしたいくらいのいい表現です。
でも街の人たちには多分わからないことなんだろうと思います。
街の人もこれぐらいはわかると思ってるかもしれませんが、それを本当に生きてるのでしょうか。
わかってても、やらなくては、わかってないのと同じだと思います。
実を有と街の人たちとのあまりにもの違いに、最近どうしていいか解りません。
昨日、一昨日と昔のインド時代の友達が子供を連れて遊びに来てました。
彼らが帰ってから鶏小屋に行くと、鶏のエサが小屋の外にも内側にも撒いてました。
子供は遊びなんでしょう。
こちらの孫も一緒ですから、彼らだけを責めることはできないのですが、何か絶望的です。
鶏のエサは当然ですが人間も食べれます。
食べるものを、遊びでばらまく、これはなんなのでしょう。
ここまで街の人たちとの溝は深くなってしまったのでしょうか。
最近は偶然ネットで見た、ふりだし塾に来た人のブログに、書かれていたことでもショックを受けてます。
げたは彼女は嫌いではないんですが、こんなことを書いていたのかとショックでした。
彼女が一番最初に家に来たとき、げたは当然ですがどうぞ座ってくださいと,言ったのですが、
彼女はこう書いてました。
「座れと言っててもこんなに汚いところろに、座れといううんですか。」
だいたいこんなニュアンスだったと思います。
これはショックでした。
まさかこんなポイントで、こんなとらえ方をしてるとは、夢にも思わなかったのです。
ここに自給自足を学びに来てるんですよ。
こちらがぜひ来てくれと頼んだんじゃなくて、向こうから来たいと言ってきてるんですよ。
もう信じられません。
と言うより情けないです。
もう街の人との接点はなくなってきてるように思います。
虫も嫌い、汚いのも嫌い、土も嫌い、それでどんなにして自給自足をやろうとしてるんでしょうか。
皆さんがきれいすぎで、虫がいなさすぎで、土もないところに住んでるのです。
それが当たり前になってしまって、生まれたときから何でもあって、物が無いなんて経験したことが無い人たちが人口の多くを占めるようになってきてるのです。
その陰で、戦争で死んでる人たち、飢餓で死んでる人たち、このような現実が同じ地球の中で起こってることさえ、現実のリアリティーとしてとらえることができない人たちが増えて来てるのです。
日本でも東京と大きな街だけが栄えて、田舎はどんどんダメになってるのに、その現実さえ直視できないのです。
多分人類はこのまま滅びの道を一直線に進んでいくのでしょう。
はじまりは、
あったら便利です。
無くても平気なもののために、自由も平和も、幸せさえもなくなってるのに、それにさえ目を向けようとしないのです。