基礎が終わり、基礎の上に一段目の材が乗りました。
今回の小屋は床つきです。
小屋は普通床は付きません。
その割には床に直接置くことができないものが多くて、簡単なパレットを置いたりして対応してます。
今回の小屋に入るものは、ほとんど床にじかに置くことができないものです。
いきなり床を作るために、基礎を材でつなぎ、その材の上に柱が来て、同じ材の上に垂木を置き床を作っていきます。
今日は丁張りも解体したのですが、丁張りの杭が、地面が凍った時に立てたものです。
結構苦労して穴をあけて杭を打ったのですが、地面の氷が解けたので杭がぐらぐらになってしまいました。
基礎が終わってからなので問題はなかったのですが、あんなに苦労して売った杭が、意外にもそんなに深く入ってなかったのです。
基礎の穴を掘るのも大変だったのですが、冬場は何かと大変なのです。
それでも農家は、夏場に建築をやる余裕はほとんどありません。
何年か前に夏場に小屋を二つ立てたのですが、これはその時に居た手伝いが本当に優秀だったのでできただけです。
彼らは本当によくやってくれたのです。
建築は誰でもできるものではありません。
向き不向きがあります。
それでも田舎で生活すると、小屋の1軒ぐらいは立てないとダメなのです。
むいてない人でも何とかやってるわけです。
ただやはり強度的には問題があるケースも多くて、1回の台風で壊れる小屋もあるわけです。
今回はすでに大鹿村で生活を始めてる二人に、小屋の作り方を教えながら建築をやってます。
二人はなかなか頑張ってます。
やはりすでに田舎生活を始めてるので、後はないわけです。
手伝いの人は最終的には逃げれば済むので、そこが違います。
最近の人はすぐに逃げます。
ただ途中でやめるだけではないんですよ。
朝行ったら、居なくなってるんですよ。
ここは私には向いていませんから出ていきますとさえ言えないんですよ。
情けないですよね。
そもそも田舎生活をなめきってるというか、甘く考えてるというか、現実がわかってないんです。
田舎でのんびりとかスローライフとかは、適当なマスコミとかがでっち上げた幻想なんですよ。
田舎になんで人が減ったのか、それは生活が大変だからなのです。
街の方が楽だから、みんな街に出ていってるんですよ。
田舎生活は楽だからやるのではないのです。
自立して生きれるからやるのです。
自立なんて甘いもんではないんですよ。
街から逃げ出そうなんて考えてる人にやれるもんではないんですよ。
街でダメな人は、田舎ではもっとダメなのです。
現実を何にも考えないで、夢のようなイメージでここに来るので、ここからさえ逃げるのです。
ふりだしでの生活は、実際の田舎生活に比べれば、全然楽なんですよ。
そこでさえ逃げ出すようでは、絶対に田舎生活はできません。
もちろん多くの人がやってるような、街的に暮らす田舎暮らしは可能です。
自給自足は、自立した生き方なのです。
きついことを書きますが、現実は認識してもらわなくては、受け入れる側も迷惑なんですよ。