ありがとう農法の一環として、毎日最低1000回「ありがとう」と言ってます。
始めてから約20日になります。
一番多い日は1日5千回ぐらい言ってます。
20日で3万回ぐらい言ってることになります。
今のところほとんど変わりはありません。
ネガティブな言動で、一度リセットされるのなら、たぶん1万回でもネガティブな言動なしでは到達できません。
何しろげた自身ネガティブを悪いモノとは思っていません。
年中ポジティブな奴とは友達になりたくもありません。
こんなものはバランスなのです。
現在的に自分が持ってるものをよくないものだと思ってるその考えこそがおかしいのです。
現在の自分自身は現在的には十分であり、それを認めるところからのスタートしかありません。
自分に出来ないことを無理に、自分に言い聞かせることはありません。
どのみち真理かどうかは誰にもわからないのです。
自分に都合のいいルールを自分で作るべきです。
自分で自分を縛るほど馬鹿なことはありません。
自分で自分に都合のいいルールを作る場合は、周りの人とのかかわりは当然ですが考慮されなければなりません。
それゆえ、人との付き合いが増えるほど妥協が増えていきます。
ここに山奥でしか住めない大きな理由があるのです。
現在村では村を二分する形で村長選が行われています。
ここは静かなもんです。
どちらの陣営からの働き掛けもありません。
選挙は個人の判断を尊重するものです。
家族といえども自分以外に投票を強要するわけにはいきません。
反対派の人たちにはここがわからないのです。
何しろ反対派の人たちは、賛成派の人たちの何倍も「自分たちが正しい」と思い込んでいます。
正しいことなら強要してもいいと思ってる節があります。
というより、反対しながら追い込められていき、自らを見失ってると思います。
げたは村長選とか、行政とかには興味はありません。
生活を一つ一つ変えていくとこからしか村は変わらないと思っています。
反対派の人はもし反対が成功して、その反対しているものが無くなっても、村は何も変わっていないし、村の分断だけ残されてしまうことを考えていません。
反対派の人たちには、反対派の集まりに来ない人たちは賛成派と同じみたいです。
いい加減こういう考えはやめてもらいたいものです。
げたは山の下の煩わしいことが嫌なので、この時期は下には降りていきません。