そんな失礼なことを面と向かって顔が見えないのに言うのやめてくださいね。
あなたは実際にげたさんに会ったことあるの?わたしは2度振り出し塾で暮らしてました。げたさんとは実の親子みたいに分かり合え大好きです。げたさんとひろみさんを山のお父さんお母さんのように思っています。
書き方からあなたも振り出し塾に一度は来たことがあるように読み取れるけれど、それならなにか今の時代の流れに疑問をもっているからそうしたんでしょう?
振り出し塾は手伝いの人が2人の生活を手伝っているところではない。ここは自給自足の暮らしを学ぶ場としてわたしたちに開かれているところでしょ。げたさ
んは手伝いと呼んでいるけどほんとうならわたしたちは弟子みたいなもんでしょ。手伝いに行ってるんじゃない。自給自足の術をこっちが学ばせてもらってるん
でしょ。自給自足を学びたい人を居候させてくれて、寝床とごはんを与えてくれるところなんてふつうあるかな。そこにはまったくお金が介在してない。
振り出し塾はもともとげたさんとひろみさん2人だけで食料は120%は裕に自給できています。食べ物はあるし電気もほぼ太陽光発電でまかなえるし、2人だ
けだったらなんの問題もないです。2人の息ときたらぴったりで、黙々とめいめいの仕事をすごい速さでこなしていけます。山奥なのでいつも自然と共にあり、
過酷な場面も多々あります。でもふたりにはユーモアがあり、前に進んでいく。
ただ、今まで振り出し塾として塾生を受け入れながら共に広げてきた畑は広く、いくつもあって、やることも山積みなのは本当です。2人ともポジティブバイブ
レーションに満ちていてとてもげんきだけれど、年をとれば昔のようにはいかなくなってくるのが自然ですね。振り出し塾をやめて2人だけで足りるようにやっ
てることの規模を小さくすればきっとなんてことなく収まります。でも振り出し塾がなくなったらほかにどこで自給自足を学ぶこんないい場所があります?自給
自足だけじゃない、生きている意味を考えたり、真実について話すこんないい場所がなくなったらどこへ行ったらいいんでしょう。
そんなときは弟子たちの出る幕ですよね。ふたりがつくってきてくれた流れを受け継いでいくのはわたしたちですよ。愛情をもって師を助けることはごく自然の流れでしょ。
げたさんとひろみさんはいまの時代の大きな流れに逆行して、自分たち流の暮らしを30年間続けてきている。山を切り開いて一から暮らしを立てるのは並大抵
のことじゃあない。ここは世界では消滅したように見える、70年代に起こった自然回帰の流れが、いい音楽が、カウンターカルチャーが、今も息づいている、
ものすごくいいところですよ。大鹿では人も樹も山も川も花も土も火も動物たちも本当の意味で生きている。太陽も月もものすごく大きく近くに感じられる。太
古からのエネルギーに満ちている場所なんです。
わたしたちは仲間内で言い争っている場合ではないでしょ。このげたさんのブログを見にきている人は、多かれ少なかれいまの世界がおかしいと思い、物事の本
質を見極めようとしている人たちだと思います。いまは差し迫った世界の状態に対応していくことのほうが重要です。げたさんに文句を言っている場合じゃない
でしょ。文句があるならじぶんでどんどんやりましょ。
大鹿村にはどんどんものの本質を見ている人が移住してきています。振り出し塾を出た人がパートナーとそのまま移り住んで子どもを授かって育てたりしています。げたさんたちも彼らのこのあたたかいコミューンのような仲間の輪はとてもよく循環しています。
大鹿に移住する最初の年は、みんなで野菜を移住者に分け与えます。それで最初の年は暮らしを整えながら食べていきます。みんなで種や苗も分けてあげて、次
の年からじぶんで畑をやり始めます。こうしてなにもないところからみんな暮らしを始められるんです。留守中のヤギの乳絞りや子どもの面倒を頼みあったり、
みんなが助け合って暮らしています。
すべてはげたさんとひろみさんとはじめに大鹿に移住した人々がはじめてくれたことです。素敵でしょ。
わたしは離れて暮らしているけど大鹿を思わない日はありません。
はじめて足を踏み入れたのにじぶんの故郷のように感じる人がわたしのほかにも大勢いると思うな。
げたさん・ひろみさん・大鹿のみんなに愛を込めて。