死の恐怖への対応。

投稿日: 2014年11月9日カテゴリー: ブログ

死に対して逃げは無駄な抵抗です。
幾らごまかしても最後にはそこに直面しなければならないのです。
死後の生命を信じろといっても、これも自分で追求して、自分で納得するしかないのです。
宗教ではないので、言われたことをそのまま信じるわけには行きません。
自分で色んな方法でそこに向かうしかありません。
ごまかしたい人はそれはそれでいいと思います。
宗教に入りたければそれもいいと思います。
最後は自分で納得するしかないのです。
死後の生命があっても、無くても、死に対して恐怖を持つことは意味が無いことでもあります。
つまり死そのものと、恐怖は別物なのです。
死とはつまり、よく分からないことです。
唯一確実なのは、この世からいなくなることです。
その後の事は死ななければはっきりしたことは分りません。
この世からいなくなることについて、恐怖を持っても持たなくても同じなのです。
誰でも必ず死ぬのです。
後はこの恐怖をどうするかです。
あの世の事に確信が持てれば一番よいのですが、持てない場合もあるでしょう。
あの世の確信が持てない場合は、死を認めるしかありません。
認める方法は自分で探してください。
げたはあくまでもあの世について情報を集めます。
げた自身は確信を持ってますが、まだ他の人に確信を持てる説明はうまく出来ません。
一つだけいえることは死に付いて追求すればするほど、死の恐怖は消えていきます。
たぶん逃げれば逃げるほど恐怖は強くなります。
昔は死の字もいやでしたし、4という数字も避けてきました。
今はこれだけ死という字を書いても気になりません。
追求すればするほど死に対する恐怖の根拠はありません。
私達は何かよく分からないのに、死に対して恐怖を持ってるのです。
それではその根拠は何なんですかといわれても、そもそもそれを避けているので、根拠なんか考えた事も無いんです。
子供のときから回りの人たちに何となく言われて、死に対して恐怖を持っているに過ぎないのです。
つまり誰かに刷り込まれているのです。
死を恐怖しないものは、誰も支配する事はできません。
非暴力、不服従の抵抗をする場合、死の恐怖の克服は最低限の条件になります。
死を怖がっている者には非暴力、不服従の抵抗は出来ません。

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