げたは携帯を持っていません。
もちろん便利は承知してます。
でもデメリットが大きすぎるのです。
いつも捕捉されるなんて、何で耐えられるのかが分りません。
農業に関しても、収量が上がっても仕事量が増える技術は採用しません。
もちろん現在は平和な時代だからでもあります。
ひとたび激動の時代に入ったらこれは変わります。
どんなに仕事量は増えても、収量が増えることにまい進するでしょう。
当然知識としては持っています。
たまに気が向いたら試したりもします。
つまり最終的にはどういう判断になるかはある程度試してみないと分らないのです。
それに収量はある程度は追求すべきことではあります。
ただこの終了の増加に対して、多くの問題は起こってきていることには十分気をつけないと駄目なのです。
そもそも農業はスタートから問題が始まってます。
収量が安定して増える,それは人口が増えるということです。
人口が増えると今度は周りの自然を破壊して田畑を増やします。
そして周りの木を切って薪にして、利用できるものは全て利用してしまいます。
最後に環境を破壊しつくして、自ら滅びるか、他を侵略します。
これが文明がおこなって来た歴史でもあります。
そして今最後の関門に来ているわけです。
ここを通り抜けれなければ、また最初からやり直しです。
物事を判断する場合大きな視野を持って判断しなければならない理由はここにあります。
特に現在に住むわれわれは、がけっぷちなのです。
もう後はありません。
この地球はがけっぷちであると言う認識ナシの判断はありえないのです。
ここを大部分の人たちは理解していないのだと思います。
ちょっと立ち止まって、少しでも考えたらこの便利の恐ろしさに気がつくはずです。
このメリットだけを強調するのが洗脳の手段でもあります。
メリットだけを刷り込んで、デメリットのほうは考えさせない。
そして最大の洗脳はもっと先にもあります。
メリットとデメリットを比較するのは価値基準です。
この価値基準を大きくゆがめられています。
これは学校で、そして家で、テレビで、新聞で、そして本で、色んな方向からこの価値基準を押し付けられているのです。
これから逃れるためには、ちょっと止まる、なおかつ自然と接する、そして感じるです。
考える事お大事ではありますが、その考え自体が洗脳されてるわけです。
感じるほうがまだましです。
この感じるという事も、町にいると鈍ってしまいます。
町で住むためには、この感性を鈍くさせないと生きていけないからです。
自然との生活はこの感性を復活させてくれます。
私達は何の為に生まれてきたのでしょうか。
今のような世界を作るために生まれてきたのでしょうか。
少しのもので満足する事がどうして出来ないのでしょうか。
頭では求めれば求めるほど欲求は膨らんでいくと分っていながら、その欲求に抗えないのが現状だと思います。
食糧危機と、経済危機が目前に迫ってきていても、多くの方は動こうとしません。
今のぬるま湯に1分でも多く浸っていたい気持ちは理解します。
それでももう時間はあまり残されて無いように思います。
危機が来れば世界観なんていってられなくなります。
今の平和なうちに自らの内部を点検してはいかがでしょうか。
時間つぶしはもう無理ですよ。