百姓の力、渡辺尚志、柏書房。
江戸時代の村を調べて、そこから現代へ通じる問題が起こってるのではないかという本です。
百姓とは農業だけでなく、村で生きる人の中で、村が認めたものを百姓と呼ばれてました。
各家で家長のみです。
百姓というのは、勝手に名乗れないものだったのですんね、
元来村は土地についても明確な所有権はありませんでした。
そこに江戸中期から貨幣経済が急速に入ってきました。
貨幣経済が入ってくれば来るほど、一部の人達に富が集中していきました。
同時に村の共同社会は徐々に崩れていきます。
貨幣経済が村をここまでにしてしまったのです。
貨幣経済とは搾取の方法にすぎないのです。
お金は多いところにより多く入っていきます。
少ない人はますます少なくなっていくのです。
日本も一時はみんなが豊かになっていくと錯覚しましたが、結果的には貨幣経済の波に飲まれてしまいました。
自給を崩して、専業化して、よりたくさん稼げるかと思えば、どういうわけかだんだん貧しい人が増えていく。
これが江戸時代の農村の実態です。
誰なんですか、江戸時代は理想的な社会だったなんて、ろくに江戸時代の事も知らずに大法螺を吹いてる人は。
たぶん縄文時代もそんなもんでしょう。
詰まりかって理想的な社会は一度も来ていないのです。
一度自給をくずせば後は雪だるま式に大部分の人は貧しくなっていくのです。
一部の人に富が集中すれば、残りの人が貧しくなるのは当たり前です。
こんなに単純な事なんですよ。
大学で経済を難しそうに教えてるのは、ともかく訳分らないようにして、事実を隠蔽してるからなのです。
真実は単純なのです。
そして明治の中ごろになって、土地の私有が確定して、村は崩壊してしまったのです。
巣出ぬ昔から駄目になっていたのです。
戦後の農地解放で少しは良くなったものの、また同じ道に進んでいってます。
一部の人に農地を集約してなんて、また昔に戻るだけなのです。
土地は誰のものでもありません。
共産主義は、土地と富の一極独占ですよ。
最悪な選択が共産主義なのです。
労働者のものでは無いんですよ。
地域自給自足でとちはみんなの共同利用するものにする必要があります。
お金は最低必要なものを村が作って流通させればいいのです。
お金も土地も使えるだけにすればいいのです。
お金をためるから問題が発生するのです。
地域の共同体がしっかりしていれば、保険も年金も必要ではありません。
保険も年金もそれで儲けてる人がいるということは、ほとんどの人は損をしてるのです。
江戸時代初期はまだ貨幣経済はほとんど村に入ってきていないので、比較的平和で平等な社会だったわけです。
といっても武士が一定の年貢を取ってましたので、それ分余分に働かなくてはならなかったのです。
武士なんていっても、元々盗賊なんですよ。
えらそうに武士道なんていってますけど、超インチキなんですよ。
日本なんていってますけど、これもインチキですよ。
国があるから搾取されるし、戦争があるのです。
私達には国は必要ではありません。
世界連邦なんて、世界独裁にすぎないんですよ。
国連なんてのもインチキ集団にすぎないのです。
そもそも国連ではないですよ、あれは連合諸国と訳すのです。
つまり、戦争で勝った連合国の集まりなのです。
日本が地位の低いのは当たり前なのです。
戦争で負けて、戦争犯罪人になった人達が祭られてる靖国神社に首相が参拝するからアメリカも、ヨーロッパも怒ってるのです。
国があるとこんな事になってしまうのです。
それで、中国は悪い、韓国は悪いと大宣伝してるのです。
マスコミに煽られて中国と韓国が嫌いになった人達、中国でも韓国でも一般の人達は私達と同じなんですよ。
つまり、いい人も悪い人もいるけど総じて大部分の人達はいい人なんですよ。
というより普通の人達なんです。
国なんていうからおかしな事になってしまうのです。
茶番ですから国の指導者はとんでもない人がなってしまうのです。
自分たちの足元が危ないので他の国に興味を持っていくのです。
歴史を勉強してください。
みんなこれですよ。
徳川家康も、豊臣秀吉もみんな泥棒の大親分にすぎないのです。
それで、歴史をでっち上げて自らを美化するのです。
歴史を勉強する場合は基本的に勝った人達が作ったインチキの集合が私達の習う歴史なんです。
偉人も賢人もいなかったのです。
ただ貧しい多数の人と、一部の権力者がいたにすぎません。
これは全ての歴史でそうです。
私達の習う歴史は全て嘘なのです。
事実を権力者が美化したものです。
今特に良く言われてる人達が悪いやつらなのです。
国とか、権力者の支配の仕方を良く知らないと、結局とんでもない事になってしまいます。
地方の経済圏が独立して他を侵さない、自分の経済圏では働かない人が収入をたくさん取る事をさせないシステムも構築する。
土地を持っている、お金を持っているだけで働かなくても食べていける、働いてるけど難をしてるのか分らない、実質的に生産をしない人を減らす。
これを書いたらまた一部の怖い人達が弱者を差別するのかなんていいそうですが、これは違いますよ。
これぐらいのことは理解しましょうね。
インテリジェンスが足りないので言葉尻で噛み付いてくる人がいるんですよね。
これは言いすぎですが、ちょっと興奮しました。
妻栄働く能力がある人で、生産しないで食べている人が増えれば増えるほど、生産する人は貧しくなるのです。
組織とか集団は大きくなるほどこのような人達は増えて生きます。
日本人がある程度豊かなのは、世界中から盗んでくる国の下でこそこそおこぼれをいただいてるからなのです。
これは恥ずかしい事です。
私達は名誉の貧乏人になるしかないのです。
物も金もたくさん持っていないけど幸せに生きてます、これが自給自足の生き方なのです。
後は無い人同士で助け合って生きていけばいいのです。
大鹿村はこの自給自足が確立する絶好の位置にあります。
この村を自給自足の村にする。
それが大鹿ふりだし塾がやろうとしてる事です。