朝はマイナス4度、夕方はマイナス2度。
冬に逆戻りです。
朝から醤油絞りの続き。
醤油を絞るために、袋2枚に分けてもろみを入れ搾っていたのですが、袋を増やしました。
醤油屋では1枚の袋は厚みはあまり無く、たくさんの袋に分けて、それを搾ってたので、袋を増やしました。
醤油は本来家で作る人はほとんどいません。
味噌は家で作っていました。
それだけ醤油つくりは難しいものなのでしょう。
3回分あるのですが、まだ1回目が終わりません。
今年の醤油の原料は1回目は大豆と小麦、2回目は黒豆と裸麦、3回目は黒豆と小麦です。
1回目の味は薄い。
昨年の大豆とヒエがおいしかった。
搾るのは男二人がかりです。
1回目は今日も終わりませんでした。
棚田を作ってます。
思ったようには行きません。
それでも今は重機があるから早く出来ますが、昔は本当に大変だったと思います。
重機が無い時代はひたすら手で作業をしてたのでしょう。
頭が下がります。
それでも生きていかなければならなかったので、そんな事を言ってる間もなかったでしょう。
何代にもわたって仕事の積み重ねが棚田なのだと思います。
梅ノ木の選定が面白いのです。
今まで選定がこんなに面白いとは思っていませんでした。
今年は娘たちが中学校の横でブルーベリーを始めます。
剪定をしてたのですが、取りやすいところを残すとの事でした。
これは目からうろこでした。
そもそも剪定の本はあります。
ところが剪定の本を書く人はプロです。
剪定の仕方も色々あって、かえって的が絞れません。
用は取りやすいところを残す。
これです。
アマは失敗してもいいのです。
こういう風に考えると楽なのです。
もちろん今までにも剪定はやってますから、基本は出来てるのですよ。
間違わないように。
基本が出来てから、好きにするです。
基本もできて無いのに自分の思いどうりにやると失敗するでしょう。
木は失敗するととんでもない損傷を受けます。
ナシの剪定で強引に切り込んだら木が死にそうになりました。
木を切る場合も切り方によっては木は死んでしまいます。
木にもよります。
自然との付き合いはマニュアルどうりに行きません。
あくまでもケースバイケースです。
ひたすら経験と勉強が必要です。
そういう意味でもこのふりだし塾は意味があります。
今までの私達の経験の集積、早い話が数々の失敗の集積でもあります。
これにより現在の私達の生活があります。
今現在、昔からの生活をしているお年よりは絶滅の危機に瀕してます。
私達の求める生活をしている人は本当に少なくなってしまいました。
詰まり私達も絶滅危惧種なのです。
村にもっと自給を真剣に考える人が増えなければ、村自体も崩壊してしまいます。
自給はある程度の人達が共同でやらなければ維持できません。
その共同を如何にうまくやっていくかです。
昔がいいわけではありません。
昔も多くの問題があったのです。
新しい形の地域共同を創生していかなければなりません。
より多くの自給を志す方の入村をお待ちしてます。
げたはこの大鹿村を日本のこれからの新しい生き方の手本になるくらいの村にしたいと思っています。
古いいいものは残しますが、問題の部分は改善していかねばなりません。
大鹿村を自給自足の村にするのが私の目標です。