邪馬台国が近畿地方だとする説が強くなってるそうです。
一度は「まぼろしの邪馬台国」を読んでみて下さい。
げたは学生の頃に読みましたが、未だに宮崎康平氏の説が一番近いと思ってます。
近畿にする場合どうしても魏志倭人伝の記述の中で方角が間違ってたとしなければなりません。
これは全然根拠は無いのです。
奈良付近を邪馬台国にしたいために方角が間違っていたと言ってるに過ぎません。
無理がありすぎます。
なにしろ他の部分は正しくて、この1箇所の方角のみが間違ってるというのですから。
1箇所が間違ってるとするのなら、全体の記述のどこが間違ってるかは確定できなくなります。
魏志倭人伝全体の信憑性が薄れます。
方角が違ってたとか、水行1ヶ月が違っているとかの説は無理があります。
詰まり誤りだという根拠が全然無いのです。
これは昔の記録なので、昔の地形とか、昔の装備での行程なのです。
学者のほとんどはこのコースを歩いていないと思われます。
宮崎康平は長い間実際の場所を歩き、実際に地形を考慮しながら論証してます。
大体学者は信用できません。
勉強しか出来ない人達です。
最初に結論を持ってきたりします。
これはありえません。
なにしろ邪馬台国探しはあくまでも行程を参考にするしか仕方ないのです。
奈良に大きな国があったとする説は、何かバックを感じます。
そもそも聖徳太子のときに日本は再占領されたのです。
それ以前は弥生の人達が第一期の占領軍です。
原日本人は縄文人です。
古事記と日本書紀は占領の覆い隠しのためのものでまったく信用が出来ないものです。
歴史のほとんどは嘘です。
歴史とはその時々の権力者の作ったインチキなのです。
歴史で悪者といわれる人が悪者とは限りません。
負けた人が悪者になるだけです。
邪馬台国についてはまだまだ書きたいことはあります。
歴史についても書きたいことはたくさんあります。
いつか時間があれば、また書けるかも知れません。