1978年の夏シベリアの人跡未踏の奥地でぼろ布をまとった奇妙な家族が発見された。
3人の男性と二人の女性の家族です。
彼らはこの一番近くの村からでも250キロも離れた冬場は零下30度を越す極寒後で約40年近くも彼らだけで生活していました。
これは衝撃的な本です。
新潮社、ワシリー、ペスコフ
2200円と高い本ですが、古本では安く売っています。
こんなにすごい本なのに世間の方は何も感じないのですね。
彼らは宗教的な理由で俗世を捨て、山奥で静かに過ごすことを選択した人達です。
山に入ったときは小さな子供を3人連れてますからそれほどたくさんの物を持って来れなかったのでしょう。
何もないところからスタートして最初の冬を越せたのが奇跡だと思います。
山を切り開き、小屋を立て、畑を作り、持ってきた種を蒔き、その種を40年近く絶やさず作物を維持したのはすごい事です。
彼らに比べればここの生活は何と生ぬるい生活なのだろうと思います。
塩なしで人間が生きられる事も分かりました。
考えてみれば動物はほとんど塩なしで生きてます。
人間も塩なしで生きられて当たり前なのかもしれません。
縄文時代に長野で生きていた人達も塩無しで生きていたと思います。
もちろん縄文時代でも、長野の石器用の石が全国に流れていたので、これで物々交換をしていたかもしれませんが、石の取れるところは和田峠のみなので、他の
地域の人達もその石の確保のために物々交換をしてたと思われるので、一部の例えば大鹿村に住んでいた人たちは塩を確保してたものと思います、それ以外の人
たちは塩を手に入れるのは非常に困難だったものと覆われます。
ただ縄文時代についてはまだ分かってない事が多いので、もしかしたらもっとものの流れは多かった可能性もありますが、それでも塩を手に入れることが出来なかった人たちは多く居たものと思われます。
一度6月に遅霜が来てその年の冬に母親が飢えから衰弱死をしてます。
持ってきて持続して栽培してた作物は、ジャガイモ、オーツムギ、カブ、えんどう豆、玉ねぎ、それに麻です。
当然主食はジャガイモです。
不作の年もあるので食料は2年分蓄えないとだめだそうです。
彼らはジャガイモを干して保存をしてました。
南米のペルーの人達の凍み干しジャガイモの方法を知っていればもっと楽だったかもしれません。
畑は1000メーター近くの山の畑と川の近くの2箇所で作っていました。
これも大事な事です。
アンデスの人達も山の上と下の畑を作っていました。
どちらかの畑がだめになっても片方の収穫で何とかなります。
彼らの言う事には時間が圧倒的に足らなかったそうです。
大鹿村のこの地でも11月になると畑にはほとんど何も残せません。
11月から4月までの食料は最低限蓄えておかなくてはなりません。
シベリアではあと2ヶ月つまり8ヶ月分は蓄えがないと冬を越せないでしょう。
もちろん物によります。
冬でもうまくいくと肉にありつける可能性はあります。
彼らは弓は使いません。
槍だけです。
罠も落とし穴を掘るだけです。
その落とし穴へ動物を誘導するために、他の動物が通れそうなところは全部柵を作るという、原始時代そのものの方法です。
1年に1度くらいしか落とし穴には動物は落ちないみたいです。
この人達から学ぶことは非常に多いのです。
一番恐ろしい動物は熊とリスだそうです。
熊は分かりますが、リスは意外でした。
リスが保存の食料を食べるそうです。
多分ネズミよりもリスのほうが多いのでしょう。
こういうところは寒いところは少し違うのでしょう。
昔げたもインドの海岸で簡単な小屋に住んで自炊してましたが、ネズミとアリとカラスが大変でした。
作物意外はシベリアではシベリア杉の実が貴重な保存食になったそうです。
シベリア杉は日本では聞いたことはないのでどんな実かはわかりません。
それ以外にも木苺類やキノコも採集してたそうです。
魚を釣る針は持っていたので魚も釣ってたそうです。
魚も肉も干すだけで保存していたみたいです。
保存するのは白樺の樹皮で作った桶や入れ物です。
何とこの桶は水も漏らないみたいです。
白樺の木ははがす時期が大切だとは書いてますが、何時頃?がすのがいいとは書いていません。
こういうところは困るのです。
当たり前ですが、本を書く人はこの本を生活の参考にする人が居る事を前提にはしてくれません。
普通の人が興味を持つ程度にしか書いてくれません。
ほとんどの本がその生活をした人ではなく、文章が書ける人が聞いて書くせいではあります。
この本を読んだ後では、どこでも生活できると思います。