最近よくヒッピーという言葉を聴きます。
どうやら大鹿村に住む私たちもその中に入ってるみたいです。
昔からよくヒッピーと言われてはきました。
げた自身は自分ではヒッピーとは思っていません。
ただ他にいい言葉もないので、それはそれで仕方ないのであえて否定するのも面倒です。
日本の場合はアメリカのヒッピームーブメントに影響を受けてるところはあると思いますが独自の動きであると思っています。
ただ若い人達が70年代の文化に関心を持ってくれるのはいいことだとは思います。
突き詰めて考えれば現在の私たちの動きの原点は60年代後半から70年代にかけてだとは思います。
大学紛争、フーテン、外国旅行の自由化などが要因であるとは思います。
げたも大学にいきながら学生運動をやり、その合間に山野の自由労働者の人達と生活した利、新宿でフォークゲリラに参加したり、フーテンをやったりとこれといって決まったことをやっていたわけではありません。
もともと性格的にひとつのことに打ち込めない性格ですし。
他の人間と協調性はありません。
やはり一番ぴったりしてたのはフーテン生活だったと思っています。
これとて特に何をしてるわけでもありません。
基本は当時の社会への反抗であったと思います。
この反抗からスタートして、大学を去って、当時の共同体に参加したわけです。
4月1日に大学を辞めて旅立ちました。
最初は山谷に行くつもりだったのが、高田馬場の山岸会の案内所に寄ったのがきっかけで。その日のうちに厚木のふりだし塾に着いていました。
ちょうど振り出し塾を立ち上げた原さんが挨拶がてらでしょうか案内所にいました。
げたと山岸会の人の話を聞いていて、振り出し塾に来ないかとのことで一緒に厚木まで行きました。
その日がちょうど開塾の日でした。
これが運命だったのでしょう。
現在のふりだし塾の名前はここから来てます。