日本書紀は普通は西暦720年に感性と私たちは習っているので、その頃のものが今も残っていて、それからいろんな文を引用してると思っていました。
ところがこの時の日本書紀は60年後に桓武天皇によって焚書されてしまったそうです。
このとき同時に多くの史書類も焚書されてます。
桓武天皇は同時に大幅に改定した第二次日本書紀をを作ってます。
この後嵯峨天皇の時に又燃やしてしまいました.
当然第三次の日本書紀が改訂されて作られてます。
これは833年付近。
その後平清盛が又燃やして新しい日本書紀を編纂しました.。
これで第四次。
またまた源頼朝の妻政子が第五次日本書紀を作らせましたが北条時宗が焚書を命じました.
その後江戸時代1673年に松下見林が再生した。
第六次。
その後伴信友などが第七次、第八次を作りましたが、明治時代にすべて回収されてなくなってます。
1654年第百三十一代後西天皇、この天皇は幕府によって退位させられ、二間四方の小屋に33年間も幽閉されまして、彼は大いに立腹して宮中に散逸していた日本書紀の断片を集めてこれを三十巻にまとめたそうです。
これが第九次。
この第九次日本書紀を東京帝国大学教授黒坂勝美が定本したのが現在使われてるそうです。
これは絶対学校では習わないですよね。
こんな物が日本に残っている古代の史書と言われてもはてなですよね。
これは昭和40年代に八切止夫さんが書いた歴史書に載ってるそうです。
本当にこの国では真実が分からなくなってる典型的な例だと思います。
世界中の学者がみんなこの調子なんでしょうね。
日本の学者はほとんど西洋の文献を翻訳して紹介するか、それを参考にして論文を書いてお茶を濁してるてる人達が大半なのでしょう。
もっともこの学会の認めない論文を書くと教授を追放になったり、その後研究費が下りなくなったり、下手をすると追放とかになるのでやむを得ないのかもしれません。
なに人もお金無しでは生活出来ないので、大なり小なりお金で制御されるのは仕方ないのでしょう。
マトモなことを言うのにはその道のプロでない人達にしかできないのでしょう。
追求すればする程分かって来る驚愕の事実に本当にビックリします。
このようなことは本当はどうでもいいことなのでしょうが、ついつい興味がいってしまいます。
こういうところがお百姓さんになり切れない原因なのでしょうね。
