毎日雨で、ゲストハウスの方の仕事をしてます。
床が抜け落ちているので、半分以上の床を剥がして、モノによっては基礎から入れ替えてます。
布基礎にしてるので床下が特に痛んでます。
宮大工の西岡さんも言ってますが、コンクリ-トの上に材木を横に置くと20年もすれば腐ってしまいます。
まさにその通りで、なまじ改築してコンクリートにしているので痛みが激しいです。
離れは昔ながらの石の上に木をオクタイプなので木は痛んでません。
建築はまさに退化している技術の代表選手です。
分けの分からない必要のないものばかり増えて、肝心の技術が死んでいます。
早く使えなくなる技術を本当に進んだ技術だと思いますか。
住んでるだけで病気になるような材料を使った家が進化なのですか。
家を直していて強く感じます。
この間西岡さんの映像を見たばかりなので、余計にその技術の佐が目立ちます。
飛鳥時代の技術の方が進んでいたなんて信じられますか。
鎌倉時代には既に見た目の良さに走って、既に技術は落ちてるそうです。
同じく西岡さんの本からですが、斧の横に3本と4本の線が左右に掘られてるのですが、3本線はお神酒でお酒のことです。4本の線は穀物です。
ではなぜ斧の横にそれが掘られてるかなのですが、昔は木を切るのは斧で切ってたのですが、木を切る前に木に斧を立てかけ、お祈りしてから切ったそうです。
つまりお神酒と穀類は捧げ物なのです、毎回捧げ物をするわけにも行かないので、斧にそれを掘って気持ちとしたのでしょう。
と話は思わず長くなってしまって、探し物の話です。
実はげたは探し物が本当に駄目なのです。
その場所を探して、目の前にあったはずなのですが、それが探せません。
げたはそれは自分が探してる時にはそこになかったと長い間主張しているのですが、当然ひろみちゃんはそれを認めてくれません。
でも探し物に関しては探してる本人より他の人の方が見つける確率が本当に多いと思いませんか。
ブルースモーエンさんの「死後探索マニュアル」という本の中で見つけました。
彼はそれをピーナッツバター現象と呼んでます。
当然ピーナッツバターが見えなかったのです。
普通の人はそれを見逃したのだと思って終わりにするのですが、彼はそこを追求して行ったのです。
つまり自分の(ない)という思いが物を見えなくしているのだと言ってます。
そこでその解決法まで載ってます。
「ない、ない」といって探すのでなく、(自分はそれが必要なのだ)と言って探すのだそうです。
多分この説は、特に夫婦の中では認めてもらえないでしょう。
人に認めてもらわなくても良いのです。
自分はそれが必要なのだと言って探すことに寄ってそれが見つかれば良いだけのことです。
やってみる価値はあると思いませんか。
結果はまた報告します。
