昨日学生さんのことを書きましたが、世間を知らないゆえの事もおおおうにしてあるのはこれまた当たり前です。
そこで自らの学生時代を振り返ってみました。
げたが大学に入ったのは70年安保の前で、学生運動が一番盛んな頃でした。
上京してすぐにまだ入学もしてない時にすでにデモに行っていました。
そのデモ隊の中でも一番過激そうなヘルメット集団に参加して喜んでいました。
こういう調子ですので入学してすぐに社会科学研究会略称社研に入りました。
当時の社研は学生運動の中心的な存在で事実社研のメンバーは全員熱心な学生運動の中心的な存在でした。
授業にはあまり出ずデモとか集会にばかり出てました。
したがってキャンパスライフとかは縁が無かったです。新聞配達とか運送屋のバイトも忙しかったので余計に学校には近寄りませんでした。
その頃新宿を中心に「フーテン」といわれてる人たちがいて、ともかく何をしてるわけでもないんですが、毎日深夜喫茶ですごし昼間はそこいらで寝てたように思います。何を話すわけではないのですが結構色んな事を議論していたような記憶があります、
こういうフーテンに興味を持つところが普通の学生運動をしている学生さんと違っていたのだと思います。
ただバイトもいそがしいので本格的なフーテンではなかったのですが。
つまり学校もほどほど、学生運動も熱心ではありましたが全存在を賭けるほどでもなかったし、フーテンもまあまあ唯一熱心なのはバイトでした。
この頃からすでに外国へ行くと決めて貯金をしてました。
意外と目的を持つとしっかりしているのです。
そんなこんなで2年間やっていたのですが、70年安保もおわり、大学立法も通り、だんだん大学も静かになっていく中、大学を続ける気もなくなっていました。
そのまま大学を去り、ほったらかしなので除籍になったと思います。
二度と大学には興味はありませんでしたのでそれでおわりです。
そして3年の春4月1日を期して旅に出ました。
最初の目的地は山谷でした。
山谷は日雇い労働者の街で、とりあえずお金を持たずに出発したので、ドヤ街からのスタートと思ってたのですが、その日の内に厚木ふりだし塾に到着してました。
運命というものは不思議なものです。旅の初日からすでにヘンな方向にそれてしまいました。
今のふりだし塾の名前はここから取ったものです。
また機会があれば続きを書くかもしれませんし、過去のことは気にしない性質なので二度と書かないかもしれません。
