「死」シリーズその2

投稿日: 2007年1月18日カテゴリー: ブログ

武士道とは死ぬことと見つけたり。武士でなくてよかったと思ってます。
昔はもっともっと死が身近なものだったのでしょう。
でもコレは本当なのでしょうか、何か権力者にあまりにも都合がよすぎるので。
捉え方は人それぞれだったのだと思います。
死んだら極楽にいけるという考えもあります。何も現世に救いの無かった昔の貧しい人たちには唯一のよりどころだったと思われます。
インドでは人が死ぬとお祝いでにぎやかな葬儀の後火葬されてそれで終わり、お墓はありません。
ゲタ個人としてはコレが一番好きです。
私の時も笑って送ってほしいものです。
坊主には死んでも拝んでもらいたくはありません。

さて死は本当に探求できないものでしょうか、ここで幽体離脱が登場します。
つまり生きながらあちらの世界へ行くということです。
まず手始めに意識しながら睡眠状態に入ることから始めます。
カルロスカスタネーダのドンファンシリーズの中に「夢見の方法」というものがあります。
毎日手のひらを見つめて、夢の中で自分の手を見るようにするそうです。
私が今読んでる何とかモーガンさんは1ヶ月で夢の中で自分の手が見れるようになったそうです。
そして手が見えるということは、夢の中で自分がコントロールできるようになったということです。そのまま進んでいくとある家の窓のところに行き中に女の人が居ました。
女の人と一緒に居るところに大男がドアから入ってきて彼は逃げました。
ここで映像は途切れます。
彼の解釈によるとそれが前世の最後の場面だったそうです。
なかなかおもしろいじゃないですか。
毎日手を見てます。1ヵ月後にはおもしろい報告が出来ることを期待しててください。

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